359 運命のルーレット回して
動かなくなったプテリゴ号を前に、半魚人は『世界』への違和感を覚えていた。
周りの人間達の自分へ向けられる嫌悪の感情が消えている。
あるいは、路上の小石の如く自分に全く関心が無くなっているのだ。
「少々認識を弄ってみました。
此処に居る人々にとって貴方の存在は無関心ですし、自身が無関心である事に関心を持つ方も居ません」
未だ復元途中の首を振り回していると、女の声が聞こえてくる。
それは脳内に直接染み込んできて、魔力波動とは違った妙な感覚だ。
「まあ、蛇足かも知れませんがね」
その一言と共に、装甲がベコベコになったプテリゴ号の像が波紋のように揺れた。
波紋の中心から白い女性の手が伸びて来ると、手の甲で波紋をカーテンよろしく横に広げる。
現れる全体像は真鍮色のボブカット。年齢不詳の微笑んだ容姿。
そしてオーソドックスなメイド服。
紛れもなく、ラッキーダスト家・家政婦長、ハンナ・フォン・アンタレスの姿だった。
密かに『貴族権限』の管理人でもあり、何を以て権限を得る貴族とするかは彼女の気分次第であるし、魔力系催眠にしか作用しない事も彼女がなんとなくで決めたバランスに過ぎない。
故に、『神』とも『邪神』とも呼ばれる事がある。
「登場の方法を毎回変えるのも楽しいものですが、お約束なやり方もこれはこれで悪くないものです」
とんでもない事が直前にあった手前、半魚人は距離を取って警戒する。
しかしそれもなんのその、気にすることなくプテリゴ号の外装をペタペタと触って触感を確かめていた。
「なんと言いますか、思ったよりも劇的になりましたね。
当初の予定では適当に引き付けて大怪我で帰ってきました的な展開になる筈だったのですが、坊ちゃまが焚きつけたのが決め手になりましたね。
流石は私のお気に入りの坊ちゃま」
半魚人は苛立ちを覚えた。
人間の言葉は喋れなくとも、言葉は理解できる。目の前の『人間』は此方に危機感どころか何の興味も示していない。
まるで、そこらの虫けら同然に考えているのだ。
半魚人は胃液を喉まで押し上げ、ウォーターカッターとして吹く。
人間の住む建物くらいなら軽く溶断する、地上に上がった時の必殺技のひとつだ。
その矛先はハンナの頭に迫り……何のアクションもない、棒立ちのままあっさりと直撃した。頭は顎から上が消滅する。
やったか。思った直後、消した部分が『生えて』くる。
なるで逆再生でも見ているかのように、頭蓋骨からはじまり眼球、舌、筋肉、皮膚、頭髪と戻っていき何事もなかったかのように微笑み顔を浮かべた。
「初期登場時の骨格を変える変装をイメージしてバイオ的な防御をしてみましたが、いささかグロテクスですね。これからはやめておきましょうか」
困ったように頬に手を当て、再びプテリゴ号を見る。
半魚人は先程の怪物より、もっと得体の知れない『ナニカ』を前に再びウォーターカッターを放つ。
けれども時間を止められ、地面と水平のまま宙に停止する酸の『棒』が出来上がった。
「正直なところ、このまま死亡としてもそこまで展開に支障は出ませんし、寧ろ其方の方がドラマチックなのですよね。
私が言うのもなんですが、感動の最後の後に続編やらで無かった事にされるって相当冷めますし。復活後に話そのものが迷走して『あの時死んでいれば』なんてよくあります」
彼女は宙で停止する酸の棒を指で『摘まみ』、電話機のコードであるかのように指でクルクルと弄り始めた。
尚、酸としての作用はそのままなので常人がやったら骨も残らない行為である。
「とはいえ基本はハッピーエンドが良いですし……ふ~む、コイン投げで決めてみましょうか。
表が出たら生還。
裏が出たら、魔力と一緒に放出した人格が潜水艦に定着してしまい、半永久的に機械として生き続けるといったところにしましょう」
「GAAAAA!」
名案閃いたりと指をピンと立てている間、半魚人が自慢の長い腕を振り上げて突撃した。
腕力と遠心力を活かしたその直撃は、トラックの衝突を上回る。
「ところで本来この展開、ドラゴンが飛び立った後のダメ押しに入れる予定だったのですが、今更エキビションマッチなんて需要あるんですかね。
バルザック様の大健闘でもうやり切った感がある気もしません?」
ハンナはその細腕で直撃を受け止め、握りしめていた。
アセナの全力でもヒビひとつ入らなかった鱗が焼き菓子の様にパリパリと割れていく。腕を抜こうとするが、何故か抜けない。
『生態系に関する歴史』を書き換えられたのだ。
【この鱗はクッキーが如く脆いものであり、筋肉は見た目だけで実は赤ん坊の様にか弱い、単なる擬態の一種である】と。
「【半魚人は、水圧から逃れる為に羽のように軽い。しかし無重力に近い水中だからこそであり、重力下では自重を支えられず逆効果となる】こんな設定も面白そうですわね」
ハンナが腕を振り上げると半魚人は天高く飛んでいき、弧の軌道を描いて砂浜に直撃。
脆い鱗は落とした皿の如く。羽のように軽くする為に空洞に近くなった骨は、バルザックの肉体と変わらない程度に粉砕された。
背骨の中から飛び出た神経が己の体重で圧迫され、更なる痛みを生む。
背中に両手を当てて転がり回るが逆効果にしかならない。しかしそれでも転がり続けるのは、本能に関する設定を書き換えたから。
そんな情けない光景を見下しながら、ハンナは腰に手を当てた。
「仰向け……『表』ですか。では生存でいきましょう。
これ以上出しゃばるのもアレですし、何より物語の主役は坊ちゃま。半魚人はドラマチックに行われるべきですから」
そう言ってハンナは潜水艦に歩を進め、壁をすり抜けてバルザックだった肉塊の元へ向かったのだった。
因みに、億分の一でバルザックは生還していた可能性もある。
彼は衝撃波を受ける瞬間、体内の魔力を受け流しに使っていた。これが衝撃波を受けても暫く生きていた理由である。
これを奇跡以上の確率で寸分の一ミリも間違わずにいれば重要な臓器が最低限の生命維持活動を残す事が出来た。
その上で、実は懐に忍ばせていた『高性能ポーション』が身体にかかって重要な機関を修復すれば確率で生き残れたのである。
『台本』の途中でシャルが大怪我を負った時の為の物だ。
故にハンナは『そういうシナリオ』でバルザックを生存させる予定だ。
どのような少ない確率でも起こってしまえば事例と出来る。学者とはそういう生き物なので、彼は奇跡を受け入れるだろう。
かつて、宇宙に進出する超文明を築いたにも関わらず『賢者の石』を調べてしまった結果、神の存在を認めた古代人の様に。
「後は雑に半魚人の設定を元に戻して完了と。夢か何かと思うでしょうね。
それではモニターの前の皆様、お目汚し失礼しました。この後は坊ちゃま達の視点に戻り、ピーたん様の伏線を回収しますのでこうお付き合い頂ければ光栄で御座います」
スカートを摘まんで礼をしたハンナは、そのまま風景に溶けていったのだった。
読んで頂きありがとう御座います。
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