345 限りある恋だとしても
恋は盲目とよく言ったものだ。
勝負方法を提示した時、エミリー先生はこう言った。
『と、いう訳で勝負方法は、楽しい時間の言い出しっぺでお馴染み。シャルちゃんに提示して貰おうと思うよ!
さてお姫様、何かやりたい事とかあるかな?』
結局のところ、この『勝負』は「如何にシャルと楽しい時間を過ごすか」と、いうところにある。
シャルは良い子だからあり得ないが、極端な事を言えば、楽しい時間を提供出来なければ勝負方法が途中で変わる可能性だってあった。
それこそ「やっぱビーチバレーの方が楽しいから、それで勝った人が優勝なのじゃ」とか言い出せば、勝利条件は変わるのである。
ネモはエミリー先生にアタックをかけていた訳だが、そのせいで視野が狭まっていた。
結果、「シャルと仲良くなる」という本質から離れてしまった訳だ。
勝つ事に必死になればなる程に勝利から遠ざかるのは、恋愛のお約束でもあろう。
一人で「エミリー先生をお近づきになるにはどうするべきか」などと考え込まないで、シャルと仲良くなるべきだったのだ。
それこそ、エミリー先生が望んでいた事なのだから。
エミリー先生の身長は169cmと、女性としてはまあまあ大きい方だ。しかしネモは大人としての身体が出来はじめているのでもう少し大きい。
しかし、今は少しだけ見上げる彼女の方が大きく見えた。
「ネモ君、君は正しい。正しく間違っている。
どうかその真っ直ぐな間違いを大切にして欲しい。
若い内にいっぱい行動して、いっぱい壁にぶつかって、君の立つこの世界がどういう物なのかをいっぱい学んで欲しい。
それはきっと素敵な事だよ」
この忙しさの影響だろう。
ネモの前髪が乱れて直し忘れていたのを、エミリー先生は少し掻き上げた。そして額に、キスをした。
その瞬間、ネモの片目から頬にかけて一滴の涙が伝う。
今までの悔しさとは違う、何かを悟った時の感動という感情が、ボクの読心術を介して入り込んできた。
気付くとボクの目からも同様の涙が垂れていた。
「あれ、お兄様。泣いているのかの?」
「ん、ああ、ごめん。どうも強い感情に当てられたせいらしい」
「よしよし、なのじゃ」
優しくしてくれるのが嬉しかった。
一方で、このように差し向けたのはボクだというのに、随分自分勝手だとは思う。
それでも感情を御し切れないのが人間というものだ。
だってアレは『ゴメンね』のキス。
優しくされる分、ある意味拒絶よりも残酷な答えである。
ポロポロと、しかし真っすぐな視線を外さずに、逃げずに、ネモは口を開く。
会話ではない。一方的にエゴを伝えるだけの、純粋な恋。
「……無理なのは解っていました。
でも、どんなに無理でも、貴女に振り向いて欲しかったんです」
「うん。うん」
彼がどう足搔こうと事態は変わらないように、どう慰めたところで彼の根っこは変わらない。
エミリー先生は『言い訳』をしない。
「好きです。大好きです」
「そうだね。知ってる。
君の望む形じゃなくても、君の事はずっと見ているよ」
これはエミリー先生の一方的な気持ち。
一方通行な気持ちが互いに行き来しているだけの、今のネモをよく表している言葉のやりとり。
だからボクも、一歩前に踏み出す事にした。
部外者らしく自分勝手に、解ったような事を口に出す事にしたのだ。
「シャル、アセナ、ボク、ハンナさん、母上……。
ボク達みんなが揃ってはじめて、今のエミリー先生なんだ。エミリー先生だけを持って行ったところで、何も掴めやしない。
『ボクと出会ったばかりのエミリー先生』は君が脳内に想像しているだけの、会った事も無い他人なんだよ。
君はボクと出会う順番が逆でも良かったと言うが、そんな訳あるものか。あの時出会ったのが『ボク』だから、今のエミリー先生があるんだ。
恋愛に『もしも』なんてあるものか!」
証明の出来ない勢いだけの台詞。
自分はそんな偉いのかと言い聞かせたくもなるが、その一方で、ボクでなくては駄目だったと言ってやりたい。
あの時のボクは、エミリー先生と出会う為に生きて来たんだ。
ネモは視線を横目に揺らし、ボゥと眺めるようにボクを見る。
そして一拍。何か腑に落ちたように半口で青空を眺め、突然大きく泣き出した。
「ああ、そうか!そういう事だよな!
ああ、その通りだ。ああ、畜生、悔しいなあ。悔しいなあ。畜生!
あああああああああ!!」
今までの強気が一変。
空間が歪んでいるかのような叫び。
少なくとも、彼の視界では形を認識できない程度に歪んでいるのは間違いない。先ほど涙が垂れた時のように、つい視界を共感してしまいそうだった。
ガツンと心に響く哀しみだった。
だからボクらは、彼を嘲笑したりはしなかったのである。
◆
「と、いう訳で俺の失恋を記念しまして……かんぱーい!」
「かんぱーい。なのじゃ」
皆とお揃いのトロピカルドリンクのグラスを、シャルの物とカチンと合わせる。
何時の間にやら、シャルともすっかり打ち解けていた。
「やっぱ、落ち込んだ時は飲んで食って忘れる。これに限るな」
そう言って彼は、カブト焼きから取ったリトルホエールのカマを、骨付き肉宜しく片手に掴んでガツガツと胃袋に入れ始めた。
此処に至るまで速いような遅いような。
ただ、『立ち直る』という事に関しては、ネモはとても気持ちの切り替えが早い人間だと感じた。
少なくともボクは根暗気質なのでこうはなれないだろう。やはり、互いになり替わるなんて出来ないな。
新たな恋は、案外早いのではないだろうか。
そんな事をふと思い、ボクはカルパッチョを口に含んだのだった。
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