327 いのち短し恋せよ少年
ネモの持っている本が黒歴史ノートとかだったら気まずくなるだろう。
それを抜きにしても、外国人の冒険者は秘密のメモ帳を持っている事が多々あるので説明が面倒だったりする。
なのでネモは少し唇を尖らせた。しかし、パラパラと本を開いて此方に見せてくれる。
折角のありがたい凱旋だったのだが、アポロの首を再び降ろさせて覗き込む。
見えた物は参考書のような物だった。この『ような物』という表現は、本の内容が彼の手書きによるものだったからだ。
「ポケット参考書だな。
授業や現場でノートした内容を纏めている」
ああ、確かに受験生だしそういう物を持ち歩くのも有りなんだな。
だけど一方で、何の影響かは理解した。確認の意味も込めて聞く。
「『ノートをよく取りなさい』というエミリー先生の指示かな」
「そうだな。俺は一言二言の言葉で理解できる天才って訳じゃないけど、せめて近付こうと思っていてさ」
「やっぱり。あの人は必要な事をノートに纏めるのが上手いからね。
かなり豪華なのは決意の表れかなんか?」
するとネモは誇らしげに、若干大きめの声で語る。
「いや、実はエミリー先生が用意してくれたんだ」
「そうなの!?」
「ああ。正式名称『ポケット図書館』。
本そのものが記憶媒体となっていて、書いた事を『記憶』しておける。
ワンタッチで白紙に出来るし、過去の記録を直ぐに取り出せるから紙が無くなる事もない。音声も『振動』として記録出来るから、授業の復習も出来るな。
その容量は一般的な図書館の蔵書量を遥かに凌ぐらしい。
更にあまり特殊過ぎる素材が必要でなければ、古代に魔術の発動媒体として使われた『魔本』としても使用が可能との事だ」
因みに魔本とは、分厚い本一冊につき基本的に一つの魔術が納められている中世で活躍したマジックアイテムの事だ。
紙とハードカバーと書いてある内容がそれぞれ魔術を構成する為の『パーツ』となっていて、連動する事で一つの術を放てる。
複数の魔法陣を組み合わせる多重魔法陣や、複数の術者を使って放つ儀式魔術の応用らしいが詳しい所はちょっとボクじゃ分からない。
学園都市に住んで居るような古代史の先生の仕事だな。
火球を出したり真空刃を出したり。
勇者の物語で見るような『派手な魔術』といえば大体は魔本とか、似たような仕組みの『杖』によるものを指すのだが、火を出したいなら火炎放射器とか小型爆弾とかで良いし、遠距離攻撃なら銃の方が実用的だ。
なにより魔本が高い。お高い宝石を武器にしてぶん殴るレベルで高い。
そういう訳で派手な魔術は、今も残る声帯操作や身体強化とは違って『使えない魔術』としてもはや過去の遺物となったのである。
ただ、彼の持っている本に幾つもの『魔本』を記録しておけば、絵本で見るように複数の派手な魔法をガンガン行使する『大魔術師』にもなれるとは感じた。
エミリー先生に視線をやると、なんとない表情で首を縦に振って肯定。
ぶっちゃけ読心術使えば正否なんて解るのだが、本人に意図を聞きたい気持ちが強い。
読心術があるからといって、会話が不要という訳では無いという事だ。
寧ろ、会話の補助にこそ使うべき技術とは思う。内向的な性格なので、使いこなすには前途多難だけど。
「かなり熱心にノートを取っていたし、予習復習をした上で分からない事があれば聞きにきていたでかなり真面目な生徒だったからねえ。
特に板書を書き写す事を『真面目に授業をしている』と、考えない事がポイント高い。意外と学園都市でも出来ない人は大勢いるし。
だからついね……前に文献で見た『タブレット』とかいうのを再現してみたい気持ちもあってか、気合入れて作っちゃった。
てへっ、なのだよ」
手を後頭部に回して可愛らしく舌を出した。
ボクとしても納得できるものだったし、あざとかわいいは無罪。
しかしネモは、更に口を開いて言葉を続けた。嬉しそうではあるが少しだけの『癇癪』と、結構な『優越感』が読み取れる。
「言っておくが俺がエミリー先生が好きになったのは、別に物に釣られたからって訳じゃないからな。
只、あの時のエミリー先生が心の底から嬉しそうでな。その笑顔がどうしてもこびり付いて、頭から離れず、何時しか彼女の事ばかり考えるようになっていた」
「そこまでは聞いてないけどね。それに振られたのにアタックを続けるのはしつこくないかな?」
「まあ、普通だったらそこで引き下がるべき。そう思ってはいたんだけどね……」
彼はチラリとエミリー先生を見る。
彼女のお断りパターンは『教え子との恋愛』『権力者の婚約者』『妊娠できない身体の元娼婦』の、三段階だったっけな。
「先ず教え子との恋愛がダメと言われたんだが、困った事に、ならば後一年待てばこんな素敵な人を迎えられる権利があると燃え上がった」
「それって一発合格が前提だよね。なんか何年も生徒でいそうな気がしないでもないんだけどなあ」
ジト目で彼を見る。
入学出来るのは16歳からで、現在15歳。秀才のネモの能力ならきっと合格出来るだろう。
ただしエミリー先生は、あくまで受験勉強の臨時講師だ。
なので「生徒として一緒に居られる期間を引き延ばし、先生を口説けたら適当に合格しよう」みたいな考えは直ぐに浮かんだ。
「そこまで恥知らずじゃねえよ。
この留学だって祖国ネッシー王国の援助とドゥガルド様の推薦を『受けさせて頂いている』立場だぞ。
自分の欲を優先させて無駄遣いなんて言語道断だ。
だけどせめて、エミリー先生の生徒でいられる一年だけ、どんなに愚かであっても足掻こうと思ったんだ。だって、はじめて本気で好きになった人なんだからさ」
言って水平線の彼方を見た。
そういえば王子だというのに『次期領主であるボクと同じ条件の提示』というだけで、それを傘に着てエミリー先生に迫った事はないな。
あくまで、エミリー先生を愛する一人の男として足掻いていているのだろう。
「そして次にアダマスという婚約者の存在」
「指輪を渡すのはボクである必要はないという事かな?」
「それもあるし、俺が実家では王子なので身分的にも負けない自負が湧いたのもある。
だけど実際に重要なのは、先生が古本修理の行商人の娘だったという事だ。先生は、子供の頃の大切な思い出も込めて、コレを俺に作ってくれた。
お前にもない、俺に対してだけの大切な『愛情』だ。そう思うと、もっともっと好きになっていたんだ」
ギュっと本を握る。
気合を入れたと言っていし、エミリー先生ならきっとそんな気持ちは込めるだろうね。
針を片手に幼い頃の思い出と照らし合わせて、綴じる為の糸を紡いでいく。そんな情景が細かく浮かんだ。
その時の情熱が生み出した作品なので、本質的な意味でもう二度と同じものは作られないネモ専用の本だと理解した。
そりゃ「順番の問題だけで、自分でも良かった」と思える筈だ。ボクだって少しはそういう未来もあったのかなと思うもの。
溜息を付いて最後の告白拒否の思い出を聞く。この溜息にどのような意味があったのかは、終ぞ自分でも解る事は無かった。
「で、エミリー先生は妊娠できない身体の元娼婦っていうのは?」
ネモは本を抱いたまま、ニカッと満面の笑みで歯を見せた。
お爺様がたまに見せる笑顔に似ている。若い頃はこんな風に笑っていたのかなって。
故に、まるで海のように広い懐を感じさせる。
「そっちの方が良いだろう?」
これは強敵だと思った。