315 夢は叶えるものだけど叶わなくても夢は夢さ
シャルのスケッチブックの『風景画』の中央には空白がある。
ドラゴンを描いて完成とする為だ。
なので乗りながら描くのかと思いきや、此処で広げる事はなかった。彼女はキラキラとした目でドラゴンに乗った景色を眺めていただけなのだ。
描き忘れているというより、今この瞬間を楽しんでいたいのだろう。
だけど、こうも楽しそうだとズレ落ちないかハラハラする事もある。なんせボク達が乗っているのは首の付け根辺り。
蛇腹構造の骨は変形し易いし、円柱の首は滑り易い。
……と、思ったのだが意識してみるとそうでもない事に気付く。
「意外と安定感があるんだね」
「だろう?ふふん。
本来はそこに乗るから、それに適した首の骨を遺伝子操作で設計してあるんだ。
勿論、安全帯や鞍なんかで補強するけどな」
感嘆を漏らすとアセナは自分の事のように嬉しそうに答える。
「……ああ、なるほど。
アセナは今背中に座っているけど、そこは翼の付け根に当たるから飛行の邪魔になる訳だ。地上での移動は足の位置を避けるだけで良いけど」
「それに羽ばたくと騎手に風圧が当たって落下の危険があるのもある。この巨体を支える浮力が発生する訳だから人間の体重なんか鼻くそみたいなモンだ。
逆に翼の後ろである尻尾側に乗ろうとすれば、翼で視界が遮られて衝突事故などに繋がるしな」
確かにドラゴンライダーの話にロマンを感じた事はあったが、単に空飛ぶ馬って程単純な話でもないんだなあ。
ボクは、自身を子供の割に物を知っている方だと自負しているが、マイナー兵科過ぎて「こういう物も歴史にはありました」程度にしか考えてなかった。
只、これからこんなドラゴンが飼育されるなら学ぶ人も増えるかも知れない。
『飛べれば』であるが……。
「でも、だとしたらどうやって二人以上乗るんだい?
船舶からの脱出に使うなら騎手だけが脱出するんじゃ駄目だろう」
「ああ。あそこに置いてある物を使うんだ」
「……鉄箱?」
アセナの指差した先には鉄箱が置いてあった。サイズは小さめの馬車くらい。
前面には小さなガラス張りの窓が取り付けられていて、上の蓋が開くようになっている。後ろに留め具が付いていて、宝箱のように開くのが分かる。
「アレを安全帯で腹に括りつけるんだ。
ぱっと見は鉄箱だけど、錬金術を用いた物凄く頑丈な合金だ。海でも使えるように錆びない仕様になっている。
アポロはかなり筋力があるけど、硬さの割にかなり軽量化されており、体勢は余裕のない物になるけど、一度に四人は乗せられる。
子供二人が乗るならもっと快適だと思うぞ」
「おお~……」
仮想敵が船も沈める強力な海の魔物という事は生半可な銃では壊れないのだろう。と、いう事はそのまま『鎧』としても使えそうだ。それに窓から狙撃銃とか機関銃とかも撃てる。
簡単に兵器としても使えそうだ。
だけど思っても言わない。きっと誰もが解っているだろうから。それに元締めが父上なら、そういう事には使われないだろうしね。
ボクらしい妥当で面白みのない結論に落ち着いていると、対照的に夢いっぱいでワガママな意見が飛んできた。
「お兄様。妾達の手でアポロを飛ばしてみたいのじゃ。
だからもっと友達になって、飛びたくさせてみせるのじゃ。こんなに良い子じゃから、きっと上手くいく筈なのじゃ」
「のじゃ」三連発だ。
まあ、思うよね。
此処まで夢のある話を聞いて黙って居られるシャルではない。
問題が性格にあるというなら、少し励ましてやれば出来ると思ってしまうのが子供心というヤツだ。
と、いうかアセナの口ぶりからしてこうなるよう誘導しているのが簡単に解った。かなり露骨だったし。
なのでボクは頭の中の算盤を弾く。
此処に居られる期間なんて高が知れているし、偉い人達が何日も試して駄目だったんだよね。
じゃあ、無理じゃないの?
出て来た結論は「ちょっと無理なんじゃないかな」というもの。これもまあ、ボクらしい考え。
故にシャルに向き合い、『ボクらしい』言葉を述べる。
「そうだね。やってみようか」
このワガママお姫様の欲求を聞くのが大好きだ。
だからボク自身は無理と思っていても、やらせてみせるのが『ボクらしい』という事。
それに失敗しても困る事はないし、どうせ進展がないのならやるだけやってみるのも一興じゃないか。
偉い人のスケジュールや機密を守る為の決まりなんかはあるのだろうが、そんな事は知るか。今のボクには、それを強行するだけの権力だってあるんだ。
主に行使するのは母上とお爺様だけど。
ボクは室内でピーたんを見る。ソファーに寝っ転がっていた。
何時の間にか着替えたのか、サイズの合っていない白衣のぶかぶかな袖は手を隠しているが、そのまま頬杖を付いている。
まあ、ビショビショの作業着じゃソファーが濡れちゃうだろうし当然とも言えるか。
「と、いう訳でピーたん。この子を借りて行って良いかな」
「良いよ~。私に断る権利は無いし、なついているアセナが居れば大丈夫でしょ。
まあ、ゆっくりと遊んでいてくれ。子供は友達と遊んでいるのが一番だ」
手を振ると袖の余った布が旗のように揺れる。
なんとなく、彼女の言う『子供』にはアポロの事も含まれている気がした。
「ピーたんも一緒に来るのじゃ?」
「あたしゃ、さっきまでフジツボ取りのバイトに行っていたんだ。
ドラゴンの体力じゃないんだし、年寄りを労わってくれ」
「そういや、そうだったの。じゃあ、後で合流するのじゃ!」
「ハイハイ頑張ってね、いってら……それに……あ、いや何でもない」
八重歯を見せてニヒヒと笑うシャルを、そっけなく流す。
だが直後の一瞬、口元が確かに動いていた。小声過ぎて此方へは届かなかったが、口の形から何を言ったのかは読めたのだった。
『それに、一人くらいバルザックを待っている人間が居ても良いじゃない』
ボクは聞かなかった事にした。