29 女教師エミリー参上
まるで典型的なホラー映画のようであった。
怪物から逃げ切ったと思ったら後ろに居て、映画館の連中は「後ろうしろ」と言っているのに女優は気づかない。
しかし、音響担当のスタッフが迫りくるような音楽を鳴らすとゆっくり後ろを振り向き、視線が合い、そして……。
「……ぴぎゃー!?」
今のシャルのように、驚いた声の字幕と同時に驚いた表情を浮かべるのである。
それにしても悲鳴と共に抱き付くとか、大分古い反応するね。
さて、そういう訳で一緒に映画に行くのも面白いなとか思ったりしている最中の事だ。
そのシャルの想像した通りの『怪物』ことエミリーが片手を上げて微笑みを浮かべた。
紫の瞳を持つ整った顔。
その顔を少し隠すような、艶やかなロングでウェーブがかかった長い黒髪がある。
顔の隠れた部分から赤い光を煌めかせて覗く片眼は、確かにシャルの言っていた通り機械造りの義眼だった。
その白目の部分が金色なのは義眼の構造が金色の球の中央に赤光を放つセンサを取り付けている為 (十字の切れ目が入っているので移動も自由だ)。
そんな浮世離れした容姿を気味悪がる貴族や聖職者はかなり多いが、ボクはその怪しさが寧ろ好きだった。
それに元々が垂れ目なのか、普通に騙す気のない優し気な目をしている為なのか、特に怖いという印象はないのである。
エミリー先生は上げた左手で余裕のピースサインを作っていた。
その薬指には玩具の指輪が嵌まっている。
昔、記憶が曖昧だがボクが4歳の頃、精神を壊す前の彼女に渡したものらしい。
「ク~フッフッフッ。話は全て聞かせて貰ったよ。
はじめまして。侯爵嫡男の家庭教師、エミリー・フォン・メリクリウスです。よろしくねん」
「う、ううむ。シャルロットなのですじゃ。取り敢えず、何時からそこに?」
キャラを掴めていないシャルは恐るおそると聞いた。
エミリー先生は近付き過ぎない程度の距離を維持して、ピースサインを下ろし、座る際の自然体に入る
その動作には、気楽にやっているように見えて実はなるべく怖がらせないように気を使っているのが感じ取れた。
エミリー先生は今の性癖がアレで中々目がいかないけど、実は元々は普通に子供好きのお姉さんだったりするからなあ。
いや、今のエミリー先生も好きだけどね。
そういう事でボクにスケベな感情を抱いているからといってシャルに嫌な感情を覚える訳でないのだ。
「よろしくね、シャルロットちゃん。
私が来たのはさっきだね。お仕事の休み時間に待合室を歩いていたら見慣れた顔があったからね。全くの偶然さ」
言ってボクの頭に手を伸ばす。
そしてワシャワシャと何時ものように撫でたのである。
動き易さ度外視で袖周りに花弁のように飾られた、黒鳥の羽根がチラチラと見える。
そして、ボクに抱き付いたままその胸のボリュームに目を見開くシャルも視界に入るので、エミリー先生に視線をやった。
へらりと直ぐに対応する。頭から手を離して距離を取った。
「おっとっと。ごめんね」
「大丈夫なのですじゃ……」
大丈夫と言う割にはしょぼくれている。
その視線は自身の胸元に向けられていた。
エミリー先生は髪の毛をクルクルと指に絡め弄りながらボクに言う。
「ああ~。これはアダマスくん、慰めてあげなきゃ」
「具体的にはどうやってです?」
「シャルロットちゃんのおっぱいを揉んで小振りなものの素敵さを伝える」
「……ないわ~」
空気が冷える前にジト目で伝えておく。
シャルはといえば、耳まで真っ赤にして此方を見ていた。
浅めに胸の辺りを遮っていることに多少の迷いを感じる。公共の場だしねえ。
「お兄様はおっきい方が好きなのかや?」
「大きさよりも誰に付いているかが重要だと思うな」
「そうなのかや」
すると彼女は安心したように、ボクへ両手で抱き付いた。先ほどよりも多く体重を預けてくる。身を委ねていると言っていい。
布越しに薄くも確かに在る温かくて柔らかい感触を当てているのを感じ取れた。
そこで堪能しただろうタイミングでエミリー先生が話しかけるのであった。
「婚約者じゃなかったんだね」
「ですね~。ボクもはじめはそう思ったのですけど、なんか今日、父上に突然『お前の妹だ』って押し付けられてしまいまして」
「へえ、一日でそれか……で、その子って確か……。
ああ成る程、それなら確かに『妹』だろうなあ」
何かを理解したように言う。
それは安心、嘆き、理解……様々な感情が複雑に絡み合って具体的に心を解せない。
「『成る程』って、どういう事でしょう?」
「う~ん、言っても良いんだけどね。ただ、それは君が気づくべき事だから言っちゃいけない気がするなあ。
多分、侯爵様も似たようなこと言ってなかった?」
確かに言ってた。
腹立たしいけど、ボクはまだそこには到達していないらしい。
するとシャルが心配そうな顔で此方を見ていた。
抱きしめる力もやや強くなっている。
ああいけない、顔に出てしまったか。妹を心配させるのはお兄ちゃん失格でいかんね。
微笑みを浮かべてシャルの頭を撫でてやった。
「……大丈夫さ。時間はたっぷりある」
「ホントに大丈夫なのかや?」
胸を寄せて上げたエミリー先生が近付く。
「大丈夫?おっぱい触る?」
「それは今はダメなのじゃ」
ちょっと残念かも知れない。そう思ったがシャルは身体を寄せてくるので、まあ良いやとも感じられた。