26 お冷を残すってなんか出来ない
マスの味がよく染み付いたクリームをパスタに絡めて、口へ頬張る。
二色の脂はバランスよく混ざり、そこへパスタ特有の良い歯ごたえ。そしてほうれん草の微かな苦みと硬さがあって、んっん~、美味しい!
そんな事を思っているとシャルがこちらを見ていた。
今のボクの顔に何故か魅了されているようだけど、ご飯を食べている時の顔がそんな珍しいものだろうか。それとも隣の芝は青く見える理論で、やたらボクのパスタが美味しく見えるのだろうか。
まあいいや。ボクは彼女に語り掛けた。
「美味しいね」
半口開けていた彼女は、はっとその一言で我に返ってコクコク頷く。
丁寧に二回も頷いた。
「う……うむっ!」
「はいはい。取り敢えず、急いで返事を返そうとしなくても、ゆっくり食べてからで大丈夫だからね~」
「……むう」
そうして素早く口内のパスタをモゴモゴ咀嚼し始めた。頬は赤い。
そんな様を一通り愛でて話題を切り出す。
「んで、これからどうしよっか。
湖には行ったし、ご飯は食べたしで一段落はついたけど」
「それならの。実は考えておるのじゃ」
未だ、テーブルの上にはパンフレットが広げられていた。
店の雰囲気も相まって、まるで物語に出てくる海賊の地図のようである。
シャルはフォークの柄尻で一部を差す。
「駅前か。なにか目当ての物でもあるのかな」
駅前から考えられる事は様々にある。
例えば蒸気機関車でやって来る学園都市からの学生を狙った小綺麗なアクセを置いた市場かも知れないし、素材輸送の都合で駅の隣にある冒険者ギルドを見てみたいのかも知れない。
だからこそボクのみの思考では彼女の意図は理解しかねるものだった。
「うむ。妾は蒸気機関車そのものが見てみたいのじゃ」
「え?それはシャルの実家で見れるものじゃなかったのかい。全ての貴族の中でも特に抜き出ていた技術の筈だけど」
「確かにそうなんじゃがの。アレは完全に軍用じゃから、妾では見る事も触る事も出来んでのう。
妾もロマンス小説に出てくるような駅のホームとか見てみたかったのじゃ」
さもありん、か。
カカオの使い方でさえ完全に薬用らしいし、同じ技術を持っていてもこういう違いがあるんだなあ。
ボクはクルクルとパスタを巻きながら、ボンヤリ思った。
思うと同時、胸に湧き上がる欲がひとつ。
それは「こうであるべき」と願う、若々しい愚かさであった。
正直、こんな時にも誰にでも言える業務的な事くらいしか言えない人間ってどうだろうという事。
ボクは内向的な人間であるが、一歩を踏み出さねばならないとこの数秒の内に感じはじめるようになった。
つまりは「あ〜、彼女欲しい」という事だ。
もしも『彼女』が特別であるならば、冗談のひとつくらい言ってみるのが、『彼氏』ってヤツではないだろうか。
「ねえ、シャル。このパスタなんだけどさ……」
「ふむ?」
シャルと、巻き上げた麺の間にお冷の入ったグラスを持てば、水には揺れるパスタが映った。
だからグラスを細かく揺らす。
それはまるで、熱を帯びた煙突のようになる。
「汽笛」
そして反応が返ってくる。
「……?」
キョトンと、アーモンド型の目を広げたのだ。
直後、ボクは無愛想なまま。しかしお冷に映る顔は真っ赤になっていた。
やばい。ギャグが滑った。どうしよう。
正直なところ、シャルならきっと滑ったことに対して笑って許してくれるのではという甘えがあったのは確かだ。
けれどもギャグの失敗は想像以上に羞恥心という反動が大きく、思わず愧死しそうになってしまう。
顔を両手で覆って「ギャー」と悲鳴を上げる直前、思わぬ助け舟がやってきた。
シャル本人からだ。
「ええと……蒸気機関車の汽笛って事で良いのかや?
確かに上に昇るパスタが煙っぽいの」
「……うん。ゴメン、伝わり辛い冗談で」
ボクは顔を真っ赤にしたまま、下を向いて答える。シャルは慌てたように言葉を続けた。
「あ、イヤイヤ!
頭の中が蒸気機関車の事を考えておったし、伝わってはいたのじゃ。
ただ、妾も正直ずっと人に関わる事なんてなかったから『冗談』なんて言われた事がなくって……。
その、なんていうかありがたくっての……」
彼女は照れ臭さそうに笑い、ボクは巻いていたパスタをゴクンと飲み込む。
これはつまり、結果オーライというヤツでいいのだろうか。
恐る恐るシャルの頭に手を伸ばし、撫でてみた。彼女はキョトンとしているものの、気持ち良さげに受け入れる。
よ、よかったぁ〜。
心中で胸を撫で下ろしつつ手を離す。
さて、「格好いいお兄ちゃん」のフリをする為に、駅のホームに何度か行った事を必死に思い出していた。
このポーカーフェイスなら一見余裕そうに見えるので、まだ格好いいままで居られる筈。
彼女に感情を伝え辛いが、何事もメリットデメリットはあるものだ。
「あそこは結構よく行くから色々と遊べるかもね」
「むむっ。これは女の臭いがするのじゃ。
きっと仕事と銘打って密会とか逢引きとかしているのじゃ」
「アッハッハ、シャルはロマンス小説をよく読んでいるんだなあ。勉強熱心でいい事だ。
……まあ、間違ってもいないけど」
両手を広げて大袈裟に褒めた後に、面白いので落としておく。
先程まで難しかった冗談が、いとも簡単に出ていた。
この子は話題を作って、人を乗せるのがとても上手いと思う。
それじゃあノリが醒めない内に、ロマンス小説の軟派男らしく言い訳でもしておこうか。
「いやいや、これは仕方のない……そう、仕方のない事なんだよ」
「なにが仕方ないのじゃ?」
シャルはボクに負けないジト目をした。
本当にボクと血が繋がってないのかね。お兄ちゃんは心配になるなあ。
「その会っていた女の人っていうのがエミリー先生なのさ」
「ああ、家庭教師の。ていうかなんで家庭教師がそんな所に居るのじゃ」
「錬金術師としての先生は、実践的な錬気術を理解する数少ない技術者でもあってね。
蒸気機関車の現場を監督するのに必要なのさ」
「はぁ~。そうなのかや。それは……純粋に凄いの」
正確には技術者の他にも、発明家やら研究者やらスーパーショタコンウーマンやら色々な称号があるのだが、取り敢えずは技術者とだけ言っておけば分かるだろう。
そこまで重要な事でもないし。
それはそうと目を見開いて、シャルは普通に驚いてくれていた。
逢引き云々は単なる戯れと分かり切っていたので、簡単に思想を切り替えられたというのもある。
しかし、実際にそれを理解する大変さを知っている彼女としては心を打たれるものがあったのだろう。
「そういえば使用人でもないのに侯爵家の家庭教師なんじゃものな。
それくらいのとんでもスペックなのか」
「まあね。とりま、そういう訳で行ってみると現場で働くエミリーが見れるかもね」
「おお!それは興味深いの。敵の情報は多ければ多い程良いのじゃ!」
そう言って彼女は、パスタの最後の一口を食べた。
なのでボクも自身のものを口に運ぶ。うん、美味しい。
「じゃあ、この辺で会計といこうか」
「う、うむ……」
シャルが少し躊躇っていた。
その意識の先を読むと、グラスに注がれたお冷がある。確かにこれを飲み切らないで店を出るのって少し戸惑うよね。
お互いに冷たいお冷を飲んでいった。
読んで頂きありがとう御座います