249 最後の魔王軍 その1
ハンナさんの口元に牡蠣を持って行くだけ。だが、十分に意地悪な遊びである。
ハンナさんは、ボク達が全て食べ終わるまで外に出る事は出来ない。
食器を片付けるメイドの立場上、主人がお楽しみをしている現場にゴミを放置する訳にはいかないからね。
しかし先ほど一緒に遊ぶことを断った手前、食べて『了承』の暗喩をする訳にもいかない。この牡蠣の酒蒸しは『ボクと遊ぶ者達』が食べる為に作られた料理なのだから。
無表情の裏でニヤけてみせる。ハンナさんに一杯食わせるなんて滅多に出来ないのだから。
「あらあら、ありがとう御座います」
だが、ハンナさんは迷いなく牡蠣へ顔を寄せた。
そしてツルリ。
ボクの手に握られた殻に唇を当てると手を使わずに口へ身を含み、飲み込んだ。
普通ならズズズと啜る音がしそうなものだが、流石に器用だ。綺麗に汁ごと飲み込んでいて、食べる姿は一種の上品ささえ感じられる。
そして変わらぬ微笑みを、ボクに向けた。
「では、折角のお誘いなので今度、お供させて頂きます」
「あ、ああ……うん。待っているよ」
心の中で苦笑い。
そうだね。一緒に遊ぶのは別に『今』である必要はない。だから了承か放置か。どの選択肢も選ばずに適当にスルーしておけば良いのだ。
所詮は『子供』の言葉遊びなのだから。
乳母さんだなあ。ボクのあやし方を解ってらっしゃる。
彼女は貝殻を皿の上に置き、クロッシュを被せてワゴンを押す。部屋を出ようとする背中に、ボクは声をかけていた。
「大変なんだね。困ったらいつでも手伝うから言ってね」
「ふふ。頼もしいですわ。その時はよろしくお願いします」
ペコリと礼をした。
「それでは、お楽しみくださいませ」
そう言って扉の向こうへ去っていった。
最後の一言は、なんとなく出てしまった言葉だ。ハンナさんがボクなんかの助けを必要としないなんて解っている。
それでも、言っておかないとボク自身が後悔する気がしたのだ。だから自分の為なのだろう。
一旦溜息を付いていると後ろから黄色い声が浴びせられ、『現実』に引っ張り戻される。
「あっはっは、フられてやんの。ほらアダマス。お姉ちゃんが慰めてあげるよん♡」
「続きなのじゃ、お兄様。今度は長持ちしてみせるのじゃ」
「シャルちゃんは負ける前提なのがリアリティあるね。まあ、夜はまだ長いんだ。ゆっくり来れば良いよ」
ボクは感傷に似た想いを心の隅に置き、口から後味を消して身を翻すのだった。
「ああ、今行くよ」
◆
領主館は歴史があると言いつつ改装を繰り返している。
部屋を出て台所に向かうハンナは、錬気術が発展してからはエレベーターも充実し便利な世の中になった物だと感じていた。
実のところエレベーターそのものは昔からあるクレーンの原理であるし、意外な事に炭鉱などに行けば昔から設置されていた。
だが、完全に個人で扱える蒸気機関式の小型エレベーターの商品化は最近の事だ。一番難しかったのは安全審査だったとか。
台所に行くと、ワゴンを戻して夜食に使った食器や貝殻を片付ける。
その後に向かうのは地下に設けられた『家政婦長室』だ。完全なプライベートルームなので彼女以外が使う事は無い。
ところで、何故地下なのか。
それは一部の『使用人たち』が領主館地下に住んでいる事に関係していた。
伝統的な貴族の館において、基本的には一階にホールを作り接客の場とする。そして二階以上は主人とその家族の部屋だ。
尚、ラッキーダスト家の領主館では領主の部屋は応接室に当たり、寝室は別である。
故に使用人の部屋は地下にある。
この構造には上下の身分差の意味も含まれているが、利便性もあった。
地下には台所や洗濯場、貯蔵庫などの家事の場を設けている事が多く、使用人を一か所に集めて管理するのに丁度いいのだ。
尤もこれは一例に過ぎない。
現に領主館の台所は機械化と換気。そして階段を昇る手間を考慮して、効率性を重視して地上の食堂隣に作られている。
エレベーターがあるといっても大量に乗れる訳でもなければ、新技術をステータスとする貴族の面子もある。
使用人はワゴンや重い荷物といった階段では不便な物を運ぶ時など、上司の許可が必要なのもあって階段の使用頻度が増えるのだ。
また、領主館で雇っている使用人達は坂の下にある高級住宅街の屋敷を『社宅』として借り受け、そこから出勤するという形を取っている。
しかし領主館は城の様に大きい。
維持の為にどうしても館内に誰も住まわせない訳にはいかない。
それは幾らハンナが『実は一人で事足りてしまう』というレベルの超人でも、領主館が王国社会の枠組みの中にある以上仕方ない事なのだ。
例えば朝を迎える度に分身の術を使っていたり、常にそれが風より速く動き続けるのは不自然過ぎる。それに、その様に全てがハンナ任せでは領主が居る意味も無くなってしまう。
こうした理由から地下には一部の使用人達が住んでいるのだ。
ただし使用人というのも表の顔であり、実質は暗部である。しかも全員が赤ん坊の頃から隠れ里で育てられてきた精鋭達だ。
陰に生きる彼又は彼女達は機密情報の保持に優れ、地下牢の看守や拷問官。他にも地下倉庫にあるオーパーツや、とても外の世界に出してはいけない『何か』の管理人なども兼ねていた。
『使用人』が管理する秘密の多さが、地下を巨大な迷宮へと変える。
もはやラッキーダスト領主館の地下は、何層もの階を持つ古代遺跡のような規模を持っていたのだ。
領主館がすっぽり収まる程に巨大で、暗く長く、枝分かれの多い廊下は入る者を惑わせる。
様々な設置罠などを潜り抜ける必要のあるそこは、単なる英雄レベルの冒険者パーティーが全滅を覚悟で数日掛けて攻略するような距離と道筋だ。
勿論、そこに住む『使用人』の妨害が入らないことが前提である。
「今 君の目に~、いっぱい~の未来~♪すべってを~、輝かす~♪」
そんな廊下にルンルンと響く不似合いな鼻歌。歌い手であるハンナは軽い足取りで歩いていた。
人を超えた力を持つ彼女にとってはさしたる問題でもなく、ものの数分で最奥に辿り着いてしまうからだ。
彼女の進む先には、ひとつの扉がある。一言で言えば『何の特徴もない』が特徴の扉だ。
四枚の框パネルと真鍮製のドアノブをもつそれは、何処にでもあるヴィクトリアン・スタイルの物。
しかもモールディングなどで飾り付けをしていない、下級使用人の部屋にも使われる簡素なものだ。
だが、そこに真鍮製の金属プレートが嵌め込まれているだけで特別である事を十分に表す事が出来ていた。
素っ気ない字で『家政婦長室』と記されていたのである。
因みに『彼女以外が使う事の無い』とは言っても、勿論主である領主夫婦やアダマス達も見に来た事はある。内装は普通の部屋に偽装しているので、見られても問題はない。
客人に己の部屋に招待する場合は『超常の力』で次元を捻じ曲げ距離を誤魔化し、あたかも浅い階層の何の変哲もない安全な部屋の様に見せてきた。
先代も、先々代も、ずっとずっとそうしてきた。
「偶に私自身が当主だったり領主婦人だった時もありましたがね」
漏れる独り言には深い歴史が詰まっている。
政略よりも自由恋愛に重きを置いているこの家は、物凄いモテない領主だった場合はハンナが結婚して帳尻を合わせる仕組みになっている。
もしくは一途な当主の為に『夢の中でだけ死んでしまった恋人が現れ、子供を授ける』というプランも用意してある。
彼女の『変装』の仕組みは、表の舞台で扱われる超常の力の代表みたいなもので、生物の形を根本的に変える能力だ。
骨格も性別も変えられる。それどころか何にでもなれるので、人間である必要も無ければ生物である必要も無い。物理に捉われない夢魔でも問題はない。
はじめて勇者の前に現れた時は人魚だったし、海底都市で祀られていた時は宝石の形だった。
その力で遺伝子も変化させれば、二代続いてモテなかった場合における近親婚での遺伝病の心配もないのだ。
「まあ、今のところは二代続くケースはありませんがね。反面教師といった所でしょうか。
一応、私の力で因果律にも少しだけ干渉していますが」
尚、ちょっと出会いが良くなる程度の干渉である。全てを都合のいいよう操作し運命を決めつける一人芝居はハンナの趣味ではない。出来ないとは言わないが。
故にモテない当主は本気で抗おうとしない限り、ずっとモテないままなのだ。
また、結婚しない状態で当主が死んでしまった場合は、ハンナ自身が『跡継ぎ』として登場する事になっている。
実は二代目当主はハンナが変装した姿だ。
初代である勇者アダムは、正に結婚をせずに死んでしまったパターンだったからだ。
アダム自身が空白期の多い旅人だった事。ハンナと親しい関係だった事。そして事情を解ってくれる第三者も居た事もあって理由付けは幾らでも出来た。
その時の遺伝子は初代と全く同じものにしていたので、三代目を作る際も血族的な問題も無し。
大分代が離れた筈のアダマスが転生したと勘違いする程度には親和性を証明していた。
ラッキーダスト家の歴史はハンナの暗躍の歴史と言っても過言ではない。
そんな彼女は扉の前に立つ。
「さて。本日最後の暗躍です」
嬉しさと哀愁の混ざった声色だった。
もしもアダマスが読心術で見たのなら「まるで、懐かしい誰かに会いに行くかのようだね」とでも言うだろう。
ある意味その通りだった。
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