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210 カーチェイスが終わって

 エミリー先生はさりげなく此方を見やった。その片手にはシオンが握られている。

 どうやら「渡すけど良いかな」と、暗に言っているのだろう。

 ボクにあれだけの事をした『緋サソリ』を此処で渡して本当に良いのかという決断をボクに任せているのである。


 幾らハンナさんから『信頼できる情報』を貰っていても、自分一人では感情が混ざり正確な判断が出来ない。先ほど本当にそれをやりそうになった自戒の意味もあるのだろう。

 だからボクは黙って頷いた。余計な事は言わない。


「それが君の回答であるなら、私は君に従おう」


 シオンをブラブラと揺らし、暗部の男へグイと突き付ける。男がシオンの手首を軽く握るのを確認。そうしてエミリー先生は、己の手を離した。


 シオンの身体は機械の塊であるにも関わらず、男に握られたまま地面に落ちる事なくブランとそのままの状態をキープする。

 暗部の腕力すげえ。


 エミリー先生は筋力補助で何となく分かるけどこの人も大概だ。それとも、ボクん家のように軍隊を持たずに諜報に全振りした大貴族の暗部はコレくらい出来ないと務まらない魔境なのだろうか。

 指示を出すハンナさんも大変だなあ。先ほどマイクを介して会話したから、今も何処かで見ているかも知れない。

 いっそ声くらいかけた方が良いのだろうかと思ったが、暗部自体がそもそも秘密組織なので止めておく。ここまでやって今更だが、だからといって余計目立つ行為をして良い理由にはならない。


 でも、やっぱ気になるからキョロキョロと辺りを見回す。それでも終ぞ彼女を見つける事は出来なかった。

 くそぅ、ハンナさんは何処からどの様に暗部の男へ指示を出しているんだ!?



 こうして暗部の男がシオンを連れて行き、大通りに静寂が戻っていた。周りは明日も平日という事で、チラホラと明かりが消えはじめているのが分かる。

 それを確認し、本当に終わったのだと余韻も過ぎたと感じた時だ。


 ドッと冷や汗が噴き出して、ボクの身体から一気に力が抜けた。


───ドサ


 バクバクと心臓だけは一丁前に激しく鼓動するのに、腰に力が入らなくなり身体は体幹を支える事が出来ない。お尻からへたり込んでいた。つまりは腰が抜けたのである。

 夜風で冷たくなった石畳の温度のみが身体の芯まで伝わって来る。


 尚、深く考える必要はないが、だ。

 腰が抜けるという行為を詳細に言うなら、感情の高ぶりによって交感神経が優位に働き血管が収縮して血流が滞り、酸素が行き届かなくなった筋肉が過剰な緊張状態となり身体をうまく動かせなくなって立ち上がれなくなったのである。


 目の前でエミリー先生が戸惑い。そして一気に焦燥の表情で、グイと此方に上半身を近寄せる。


「アダマス君!大丈夫!?」

「あ、あ~。大丈夫デス、ハイ。ボクは大丈夫デス、ハイ。今まで我慢していた緊張が一気に出てきたんだと思います」

「……全然大丈夫じないのはよく分かったかな」


 しょうがないじゃないか。

 誘拐中もその後もヘラヘラと軽口を叩いていたボクだけど、怖くなかったと言えば大嘘だ。

 エミリー先生達を信じていなかった訳じゃないけど、生理的に怖い物は怖いに決まっている。


 カフェバーでやった気付(きつけ)と同様だ。

 平静を保っていたのは、次期領主として普段からいざという時の為に無理やり恐怖の感情を抑え込む訓練をしていただけに過ぎない。そうでなければ途中で考え過ぎて人一人殴れるかも怪しい。

 今回はこれに「彼女達は必ず助けに来てくれる」という根拠のない自信が上乗せされてやっとだ。

 しかしこの方法はやせ我慢に近い一時的なものなので、フィードバックは何時か必ず訪れる。寧ろ訪れないならば、そいつには人間性がない。


 彼女と視線を合わせるのが怖くなり、気付くと下を向いていた。

 腕をダラリと垂らし、みっともない内股の姿勢を取っていた。ガクガク身体が震えている。今にも股の辺りから温かい物が漏れそうだが、下唇を噛みしめて精一杯我慢した。それでも尚動けない事に、羞恥心を感じる。

 そうして口から出て来るのは情けない言い訳ばかりだ。もはや敬語も出てこない。


「しょ……しょうがないじゃないかっ!

皆が力を合わせても失敗して、沢山の人が傷ついて、まんまと連れ去られて、取り戻す為に迷惑をかけてさ。

しかもそれはボクが海図を見せられて勝手に勘違いして、父上を超えようという勝手な思い上がりで起こった事なんだ」


 石畳には尻尾を粉末にした物が散らばっている。

 エミリー先生の憎しみの欠片だ。しかし、その感情もボクが勝手な事を言い出さなければ出なかったものだ。


「なんだよコレ、酷すぎるよ。フォローのしようがないじゃないか!」


 己の上と下の唇を、圧で固くなる程押し付け合う。数滴の涙が石畳へ落ちると粉末へ染み込んでいく。

 悔しさだとか無念だとか、そういった感情が悪い意味で適切なバランスで混ざり合い、頭の中で噛み合った歯車の如くグルグルと渦巻いた。


 拳を石畳に叩き付けようとした。


 しかし拳は、落とされる瞬間にふわりと柔らかい感触に遮られた。故に痛みが来ることは無い。甘い香りが鼻腔を擽る。

 エミリー先生が抱いて止めてくれたのだ。実際に彼女を見た訳じゃないけれど、彼女に抱かれる感触をボクは間違えない。


「そうだね。私も君と同じ立場になったなら同じことを感じるだろう。それどころか間違いなく、もっと酷い事になると断言できるよ。

なんせ私は天才だから……。何もかも自分独りでどうにかしようと考えてしまう」


 何時までも聞いていたくなる声だった。もたれかかって甘えたくなって、そして眠ってしまそうな、優しい口調だった。

 だからボクの顔は自然と上に向く。視線の先には嘘偽りないを愛情を乗せたエミリー先生が微笑を向けていた。

 その頭の高さから、彼女はボクに見えるよう跪いていたのが分かる。つまり、ボクと同じ目線に立っていたのだった。

 それを知った途端、熱い何かがこみあげてきた。


「帰ろう……私達のお(うち)に。私も一緒に侯爵様に謝るからさ」

「……うん」


 クロユリは地面へ。

 その空いた片手で頭を撫でられる。


 ボクも手を彼女の背中に回して抱き返して、ドレスの上から柔らかい感触が返ってきた。

 時間が経つにつれて内側からじわりと安心感が湧き出してくる。それに伴い今まで制御し溜め込んでいた恐怖心が溶け出してきたのだった。

 ああ、暖かいなぁ。


「うわ……うああ、あああ、ああああ……」


 下瞼に熱い物を感じた。


「わあああああ!」


 エミリー先生の胸の中で、ボクは泣いた。いっぱい泣いた。

 人目も憚らず滑稽なほどの大声で、先程とは打って変わって滝の様な涙を流した。胸に縋るその様は、まるで赤ん坊だ。


 エミリー先生は余計な事を言わず、力強くボクを抱き返し続けてくれた。

読んで頂きありがとう御座います。


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