208 似ていない人形
「ぐ……がっ……」
緋サソリは悔しそうにギリリと唇を噛む。必死だ。
彼女は此処から逃れようと四つん這いで石畳の上を這おうとする。しかし、そんな執念も虚しく、真っ直ぐと正常に歩む事は無かった。
まるで強烈な毒を浴びせられた虫の如く、ジタバタと片手を動かすのみとなっていたのである。
エミリー先生の射撃の衝撃によって強く脳を揺さぶられ、平衡感覚がまだ安定していないからだろう。寧ろ意識を保っている事が奇跡の状態なのだ。
一つ言えるのは、単独犯である彼女はもう逃げられない。
緋サソリはシオンだった。
その点については、個人的に様々な疑問があったので驚きはあまり無かった。
先ず疑問に思うのは、憲兵に変装した緋サソリが現れた時の攻撃だ。
あの時、ライフルによってシオンはボクを庇い『何処か』を撃ち抜かれて血を大量に吐いて戦線離脱した訳だ。
そこは当時でもかなりの疑問点はあったし、彼女の目的と踏まえて分解してみれば解る事である。
とはいえ幾ら演出を強調させる為でも機械の身体で血を吐いたのはおかしい……と、いう訳ではない。
これについては少し前、エミリー先生に授業中「改造人間は蒸気機関で動いているなら、常に蒸気を噴いている筈ではないのか」という質問をした事がある。
すると「使った蒸気は体内の冷却材で冷やして液体に戻して血液のように身体を循環させている」との答えが返ってきたからだ。
では疑問点とは。それは何故、ボクを庇ったのかだ。
そこにはボクという『獲物』を捕らえ易い、『最も接近する場所』に違和感なく来る為の動作だったという理由があったと考えれば辻褄が合う。
かつ、庇う事で身体の何処を撃たれたかの疑問を感じづらくもなる。
人間というものはどうしてそれが起こったか考えるより、目の前で死ぬような怪我人が居るという事実の方に目が行きがちだ。
更に致命的な疑問点として、ボクが攫われて上から見た光景なんだけど、撃たれた後の『シオンの死体』が無かったんだ。憲兵だらけの中で王都の軍服だから、見つけ易いものなのに。そして、ウィリアム氏も居なかった。
普通に考えればウィリアム氏が医療目的で別の場所に運んだから。
それでも文官の彼が、人間の形をした機械の塊を遠くまで運ぶなんて違和感があり過ぎる。
因みに上から落ちてきた変装用の憲兵の軍服も遠目ながら探してみたが、それも見つける事は出来なかった。
ボクを抱える緋サソリ。それを討ち取ろうとする憲兵で溢れていたからだ。
それはつまり緋サソリ視点で言えば、『上から落ちてきた憲兵に扮した緋サソリ』が早着替えをして『怪盗としての衣装を着た緋サソリ』に『入れ替わる』際に軍服を隠す手順は無かったという事である。
しかし、それは「可能だけどやらなかった」も考えられるのだ。「上だ」と叫んでしまったボクが言える義理ではないがね。
確かに、上から憲兵に変装してライフルを構えた緋サソリが兵舎へ侵入する事も出来る。
だが、敢えてその案を廃棄し、そもそも『上から落ちてきた憲兵』が緋サソリでは無かったのだとしたら?
例えば、兵舎に落ちるよう設定された飛空艇と同様に、ライフルを撃つという動作を入力しただけの人形だったらどうだろう。
原理としては、飛空艇の爆発と同時に空に跳ね上げられ、空いた大穴に入るというものが考えられる。調節の為に、ある程度の濃度の魔力探知をした途端に切り離すパラシュートでも付いていたのではないだろうか。
アルゴスが逃亡時に使っていたように、改造人間の身体にはそういうシンプルなものもあった筈だ。
こうすると『シオン=緋サソリ』と『人形=憲兵に変装した緋サソリ』が同時に存在出来る。
そして人形からボクを庇い、煙幕に紛れて早着替え。全身タイツなので軍服を脱ぐだけで十分だ。
人形は放置し、それを後からウィリアム氏が回収して別の部屋に運ぶ。
改造人間の身体は等身大の機械なので、本来はウィリアム氏が運べない重量の筈だが、単なる人形であればそうでもない。
シンプルな構造をしているので態々重い素材で作る必要はなく、ウィリアム氏一人でも運べる程度の重さに出来るだろう。それこそライフルを撃てれば良いだけなので殆ど空洞だったのではないだろうか。
運ぶ理由はそれこそ「治療のために個室に連れていく」とでも言って堂々と証拠隠滅すれば良い。個室なのは「女性だから」と言えば十分だ。どうしても駄目なら「改造人間だから、処置は自分しか出来ない」という最終兵器もある。
とはいえ、最終兵器を使わずとも偶然だがアセナが怪我をしたし、それとは別に憲兵側から多量の重症者も出たので怪我人として個室に連れていくのは簡単だっただろう。
そして王都の軍服とウチの憲兵の軍服ではデザインが違う事については、少しパーツを代えれば煙幕の中では分からない。
何故なら王都の陸軍の服はマントがあるので、下半身だけ軽く改造すれば誤魔化しが効く。それに、軍服の色も微妙に違うが、剥がしやすい被膜で上からコーティングしておけば十分だからだ。
周りは本物の緋サソリに夢中でごった返している。その隙に落ちてきた人形から余分なパーツを剥ぎ取り、早着替えしたシオンのマントを被せる。
余った服やパーツは人形の空洞部に詰めていたのかも知れない。
つまり、人形の着ていた憲兵の軍服のズボンは、王都の軍服の物に変えられるよう細工がしてあったという訳だ。
これで多少シオンが怪しまれたとしても、服装が違うという『アリバイ』が出来上がるという事である。
あの長すぎる尻尾もこれで説明がつく。あれは、尻尾の先を失っても独立して動く機能を持っていた。つまり、蛇腹一つひとつが独立した機械なのだろう。
ならば、導き出される答えは分割だ。
初めから尻尾を半分程度に分割しておき、一方は丸めてマントの中へ隠し、もう一方は人形の中へ入れておく。
人形の空洞部に入れておくには長すぎるかも知れないが、人形の脚部にも収納されていなら納得もいく。尻尾をUの形にして脚部に詰める。少々足が太くなるのは、軍服のズボンで隠してしまえば良い。
こうしてどんぶり勘定になるが、人間の脚二本と上半身。これで人間一人半ほどの長さが稼げるという事だ。
それを早着替えの最中に、マントの中に丸めて隠しておいた尻尾へ接続したのだ。
尤もよく見れば簡単にバレてしまう。それは人形をシオンに似せすぎると落ちて来る時点でバレる危険もあるし、収納庫という目的の為に体格が違い過ぎる。
故に、ボクが誘拐される最中という、周りの注意が反れつつ運んでも違和感のないタイミングで運んだと思われる。
後はボクを運び出した『緋サソリ』が、後々『ウィリアム氏とシオン』によって捕らえられた事にする。
ハンナさんがやって来た時も思った事だが、ウィリアム氏は父上に恩を売れると同時に暗部の失態という面子の弱みも握れるという訳だ。
つまり実行犯は緋サソリであるが、首謀者はウィリアム氏という政治的な犯行なのだろう。
と、こんな具合か。
目の前でエミリー先生が、先程のカーチェイスの爆走が嘘であるかのように、シオンに軽く歩み寄る。
「さて。じゃあ、アダマス君。アレをちょっと動けなくするから待っててね。
今度こそ殺しはしないから安心してくれれば良いさ」
丁度シオンは、動く為に何かを掴もうと宙に向かって腕を動かす真っ最中の事である。
その手首はエミリー先生の手によって握られ、片手で芋の様に引っこ抜かれる。シオンの身体がブランと宙に舞った。
筋力補助って凄いなあ。
と、そんな時だ。
先ずは砂嵐。そして次に聞き慣れた声。ハンナさんの声だ。それが、エミリー先生の胸元から聞こえてきた。
音源であるペンシル君が、ひょっこりと顔を出す。
「ガガ……ピー。ちょっと宜しいかしら」
深い事は分からないけど、ボクにとっては倉庫での戦いでエミリー先生から指示を貰っていたのと同じ原理なのだと思う。
確かアレは義眼へ入力した信号を遠くのペンシル君へ送っていたらしいね。
そんな長距離の通信は出来ないとの事だが、渡したのはハンナさんらしいし、エミリー先生すら知らない他の機能があってもおかしくない筈。
エミリー先生の反応というと、なんか面白くなさそうな気持ちが伺えた。
「どうしたんですか。ご心配されずとも、四肢を捥ぎ取っておきますが」
あ、そういう処理をするつもりだったんだ。
確かに相手が改造人間だと、動かさないようにするには縄で縛るような真似は出来ないのは解るけど。まあ、痛くはないから良いのかな?
「その必要はありません。
緋サソリは私達、暗部が回収させて頂きます。パーツはそのままでお願いしますわ」
聞いた途端、エミリー先生の表情筋がゾワッと動き、眉の間がジャガイモの如くしわくちゃになる。ここまでイラッとした顔の彼女を見るのは初めてかも知れない。
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