195 逆襲の前振り
下へ引っ張られる力を感じた。
尻尾クレーンがエミリー先生よりコンマ一秒遅い計算を終えて、ボク達三人を引き上げ始めたのだ。
その光景にアセナは苦虫を嚙み潰したような顔をする。もはや、このまま自分がしがみ付いたところでこれ以上積載量オーバーの状態は作れないのだから。
状況を作った彼女が一番理解しているだろう。
もし、このまま足絡みを解けば『三人分』の設定から『二人分』の設定に切り替わる一瞬が発生したので、その隙を突いて再び足絡みに持って行けば同じ状況を作り直せたかも知れない。
しかし全てが不利過ぎた。
肝心のエミリー先生の精神状態が不安定だし、アセナ自身が血を失った上で改造人間と取っ組み合いをして体力を失い、流石の獣人でも肉体が限界に達しようとしている。
何より、引上げ中という事もあり高度は高く、怪我をしてまともに着地できるのか。仮に着地したところで、再び緋サソリの元への跳躍は無理だろう……と、思っている筈だ。
だからアセナは最後の力を振り絞り、本能のままに吠える。
腹筋の要領で上半身を持ち上げながら拳を緋サソリの顔面へ突き出したのだ。
「ちくしょおおおおおっ!」
己の血が染まった赤黒いスーツの袖が痛々しい。
緋サソリは、そんな彼女を氷の様に冷たく見つめ、ボクを抱える方とは別のフリーになっている腕で拳を作る。
そして、今までの芝居染みた話し方とは一変。落ち着いた言葉を落とした。
「結構ヒヤッとしたよ。でも、私の勝ちだ」
放たれるは人工皮膚を被せた機械の拳。
それがスクリュー回転の軌道を描き抉りこむ様に、アセナの頬から顎にかけて斜め下へ吸い込まれていった。
クレーンにも使われる計算機能を活かしたのであろう、綺麗なカウンターである。
「あぐ……」
突きの力に流されて、アセナの頭が力なく、カクリと横に傾く。
彼女の目がぐるんと意思なく上を向き、何時もの活力に溢れた光がなくなる。歯を食い縛る事もなく、口が半開きになっていた。
どうやら緋サソリは頬から顎骨を揺らし、その振動で脳震盪を起こして意識を断ったのが分かった。
因みに瞬時に現象を理解できたのは、その手の一撃必殺をボクは頻繁に見ているからである。
一対多で戦うが故の、アセナの得意技なのだ。
自分のお株を奪われた彼女は、空中でそのまま糸の切れた凧のように力を失う。足絡みを仕掛けていた褐色の足がスルリと解けて床に向かって身体が落ちていく。
ああ、なんて事だ。
ボクは絶望を感じていた。緋サソリが勝利した事ではなく、アセナがこのまま落下したならば受け身を取れない事に。
普段のアセナならこんな高さで命を落とす事はないだろう。
しかし建築の世界では「1メートルは一命取る」と言われるように、人の命を奪うのにそこまで高さはいらない。特に、身動きが取れなくて着地も受け身も出来ない、気絶した状態なら尚更だ。
頭、首。背骨……急所は剝き出しだった。
「アセナッ!アセナッ!アセナァァァァァ!」
引き上げられる事なんてどうでも良く、ボクは落ちゆく彼女の名前を叫ぶ。
しかし抱える邪魔な腕は、手を伸ばす事すら許してくれない。そんな時に頭を過ぎるのは夢の中の『ボク』の記憶。
巨大な剣を振り回して、城一つを一人で陥落させる豪傑の記憶だ。
なあ、せめてあの十分の一……いや、百分の一でも良いんだ。本当にボクが勇者の生まれ変わりだというのなら、今だけで良いんだ。
その力を今此処で示してくれよ!誰かを守れないで、何のための勇者なんだよ!
「うおおおおおっ!」
アセナに負けない程ボクは叫ぶ。
しっかりと夢の中で『ボク』がどのように魔力を行き渡らせていたか思い浮かべながら、思いつく限りの魔力を筋肉へ込めて、呪縛を振り払わんと燃え立たせる。
全身から水蒸気のように汗が滲み出る感触が伝わり、そして……。
───何も起こらなかった
大人の身体と子供の身体では規格が違い過ぎたのがあった。
何より、身体の作りが遺伝子レベルで別人なのだから、同じように魔力を使おうとするのは俄然無理な話だったのだ。
魔術は学術と同じだ。単に仕組みを知った所で扱えず、長く時間をかけて自身の身体に合わせた使い方をしなければいけない。
そんな基礎中の基礎くらい分かっていた筈なのに、藁にも縋る思いでやってしまう。
無駄で、虚しくて、疲れが残るのみだった。
「……くそう、かっこう悪いなあ」
気付けばエミリー先生の様な事を言っていた。
これだから彼女を責められない。
ボクは体力の限界を迎え、ぐったりと項垂れた状態になっていた。そのまま抱えられ、淡々と天井へ引き上げられていく。
それでも。せめて『それでも』と、アセナの行く末を見ようと下を見た。不幸中の幸いか、流石に此処からなら全体が見渡せる。
見つけるのは楽だった。あの赤い狼の尻尾は大分目立っていたから。
落ちる途中、空中を跳んだハンナさんにお姫様抱っこで受け止められるアセナの姿が観察できた。そのままフワリと優雅に着地すると、ウルゾンJへ向きを変え、運んでいった。
アセナの攻防においてハンナさんが割り込んでこなかったのはアセナを邪魔して逆効果にならないようにするのと、こうした失敗時の予防線の為かも知れない。
「ああ、良かった……」
とうとう屋上に到着してしまい、ボクの身体は室内から外側へ離れていく。そんな中だというのにぼんやりと笑顔が浮かんでいた。
次期領主としてこんな顔しちゃいけないのに、それでも無事で良かった。思ってしまうものは仕方ない。
ボクという個人は、そんな彼女達が大好きなのだから。
しかし直後に浮かんでくるのは申し訳なさだ。ボクが「父上に一泡吹かせてやる」だなんて、そんなバカな事を考えなければこんな惨劇は起きなかったのに。
「……ん?」
そこで思った事がひとつ。
改めて緋サソリが開けた大穴から床を見る。
(『アレ』が無い!?)
思うも束の間。
緋サソリはボクを抱えたまま、飛空艇の残骸に向かっていった。
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