194 ステータスとキャラクターの天秤
「チィ!」
緋サソリの判断は一瞬だった。職業柄、窮地に立たされ慣れているのかも知れない。
宙に浮いた針を尻尾でラケットのようにハンナさん目掛けて『打つ』。ハンナさんはナイフでそれを弾くも、その隙に緋サソリは反動を利用して回転し、尻尾を上へ伸ばした。
行先は爆発で剥き出しになった天井の鉄骨。勿論長さは足りない。
しかし、なんと蛇腹構造が分かれていき、中から太いワイヤーが勢いよく飛び出して長さを補っていった。収納されていたのだ。
単なる尻尾に見えるが、実のところ大分多彩な機能が詰め込まれているらしい。
回転の勢いと相まって、勢いよく尻尾の先端が天井の穴へ向かって飛んでいく。
尻尾でに巻き付き、
「それでは諸君、確かに『国家を揺るがす宝』。頂いていきます」
え!?
それを聞いて、緋サソリが抱えている物を改めて確認する。
確かに彼女の予告状には『国家を揺るがす何か』と書かれているだけで、ウィリアム氏はたまたま持っていた海図の事だと予想したに過ぎない。
「えええ~~~!」
まさかの『誘拐予告状』だったのだ。
おい、殺人に次いで児童誘拐とか。正義の義賊は何処にいったんだ。
クレーンの積み荷の如く、勢いよく引き上げられるボクと緋サソリ。
しかし、そこへ飛び掛かる人影が在った。この、燃えるような赤い狼の尻尾はハンナさんではない。
「アセナっ!」
「なにくそおおおお!?」
歯を食い縛って彼女は駆ける。
改造人間にも穴を開けるような銃弾を腕に喰らい、そこから血を拭き出しながら。
腕を上手く振り回せず、ほぼ足だけの力で跳ぶ。それでも多少動いているのは、スーツやシャツに防弾技術が使われていたのかも知れない。
この国では蜘蛛型モンスターの糸から作った防弾ワイシャツは割とポピュラーな代物だ。技術費が凄いから高いけど。
「負け犬の獣人が生意気なっ!」
「人の事言えた事かよ、クソダッサい恰好しやがって!このケバサソリがっ!」
アセナを迎撃しようと緋サソリは蹴りの体勢を取った。
しかしアセナは、それを見てニヤリと微笑む。
「そうだよな……お前はそうするしかないよな。
尻尾は脱出用ロープとして使用。片手はアダマス。もう片手はアタシの反対側にあって、迎撃に向かない。
だとしたら、こんな時はどうするかなっ!」
アセナは尻尾を跳ね上げ、思い切り頭を下へ振った。蹴りをかわせるよう捻りながらの前宙をし、膝が額に付きそうな程、身体をくの字に曲げて体勢を変える。
頭を前に突き出し突撃する体勢だった物が、鎌状に曲げて揃えた両足を振り下ろす形で前へ突き出す体勢に変わった。
故に迎撃の為に出された蹴りを寸前でかわし、更に膝裏が蹴りを絡め取る。
「必殺、アセナ大回転足絡みっ!さあ今だ。エミリー……やれえっ!」
直球なネーミングセンスの審議は、後でするとして、そうかと素直な感想が漏れる。
確かに今、この瞬間だけアセナの体重分ワイヤーの巻き取りは遅くなっていた。
クレーンというのは原始的な機械だ。なので今回の様に様々な応用が利くが、あれで中々、デリケートな機械だったりもする。皮肉な事に安全性を考慮した結果、技術レベルが増す毎にデリケートさが上がっていく機械とも言えるだろう。
恐らく、緋サソリの尻尾クレーンは今よりも素早く巻き上げる事は出来る。現にライフルを防ぐ超高速自動防御をやってのけた。だがそれはしない。否、出来ないと言った方が正確かも知れない。
例えば引き上げ速度が今より速過ぎたとしよう。
するとワイヤーの慣性と風力による誤差により、目的地からズレた所にぶつかってしまう可能性が高くなる。そうすれば機械の緋サソリは逃げ切れるかも知れないが、目標の『宝』であるボクは無事では済まされない。
摩擦でワイヤーが途中で切れる危険もある。
そういった訳で今、尻尾クレーンはあくまで『緋サソリとボク』を積み荷として想定した引き揚げ作業を行っているのであってアセナが加わるのは完全な想定外なのだ。おまけにアセナは身体をくねらせ、余分な運動も与えている。
つまりは重機などでよく見られる『積載量オーバー』となってしまったのだ。この状態をどうにかするには積み荷にアセナを加え再び計算し直すしかない。
勿論身体そのものが機械なので素早い計算になるだろうが、エミリー先生の計算はそんなものよりずっと早い。なんせ転生者を上回る本物の天才なのだから。
この距離ならワイヤーパンチで緋サソリのみを撃ち抜く位は簡単だ。
アセナはニカリとエミリー先生の方へ視線をやる。
飛び掛かっていた時には彼女の意を理解したのだと解っていたのが分かる。ウルゾンJの武骨な手は、既に緋サソリに向けられ今にでも撃てる状態だった。
そしてエミリー先生の声が拡声器から聴こえる。
「ごめん、やっぱ無理だ。私には撃てないよ……」
それは、アセナが思っているように勝利を確信したものではなかった。
寧ろ涙声に近い。
だがボクは、その一言で彼女の中にどれだけの葛藤が生まれたのかを理解する。
エミリー先生は、アセナの決断を受け入れるには余りにも頭が良過ぎて優し過ぎて、そして余りにも過去に多くの物を失い過ぎた人間だったのだ。
頭の良い彼女はシオンの初期戦闘不能やウィリアム氏の遊軍化。アセナの負傷やボクを人質に取られる等、多過ぎる今回の事件の不確定要素により、ボクとアセナをもしかしたら失ってしまうかもという『ゼロでは無い確率』も計算出来てしまった。
勿論、彼女の力量なら成功する確率の方が高いだろう。それでもエミリー・フォン・メリクリウスという人格は、過去の経験から撃つという選択を拒んでしまったのである。
それでもボクは叫ばずにはいられない。
これはきっと酷い事なのだろう。だって泣く女性に無茶な事を怒鳴りつけるのだから。
「だめだっ!やれ!多少は当たっても構わない!エミリー先生なら出来るって信じているから!」
「ううっ……でも、出来ないんだ。くそぅ、くそぅ……」
拡声器越しでもよく解る、無念の声だった。
読んで頂きありがとう御座います。
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