192 ファーストコンタクト
対人用のライフルで飛空艇は落とせない。
大抵の場合、球皮は頑丈なリザード系の革で作られているし、ある程度破れても暫くは飛べるように何重にも革が張られて設計されているからだ。
その為、固定式の捕鯨砲や大砲。それに大型機関銃といった対海獣兵器にもある程度の耐性を持つ。
だけど超出力を持つウルゾンJのワイヤーパンチであればその限りでない。大質量で一気に何重にも張られた球皮諸共に大穴を開け、ガスを抜ける。
エミリー先生の操縦するウルゾンJは、片腕を持ち上げると来た時と同じように蒸気を煙突から吹かし始めた。
エンジン音が唸り、鼓動が此方にも伝わって来そうだ。
要塞の様に対空戦も考えられているこの兵舎は小型飛空艇の墜落なんかでは崩れない。だからそれを利用し、屋根に落ちてきた所を予め配備されていたライフル兵の集団で取り押さえる。
隊長にそれを伝えると、納得し了解してくれた。
ボクは腕を高々と掲げる。エミリー先生とシャルの乗るウルゾンJによく見える様に。
「それじゃ、いってみようか」
珍しく大声を上げるボク。一気に振り下ろされる腕。
ハンドサインの意味は「火蓋は落とされた」である。
「ワイヤァァァ……パァァァァンチ!なのじゃ」
「今日もシャルちゃんは元気だねぇ」
拡声器を通してシャルとエミリー先生の声が伝わってきた。お約束というやつだ。
空に向かって飛んで行ったパンチは、室内からどうなったか分からない。しかし耳を澄ませば風を切る音がして、「バスン」と確かに球皮を貫いた音が鼓膜へ届く。
後は墜落した緋サソリが憲兵に捕らえられるのを待っていれば良い。そんな流れで勝利を確信する。
だが一方で、アセナは顔をしかめていた。何かを察知したようだ。
彼女の耳は純粋な人間だと聞き取れない音域を聞き取れるらしく、それによって風切り音等から狩りの獲物の正確な進行方向などを知る事だって出来るらしい。
「……落下の軌道、おかしくね?なんかグニャグニャしながら落ちているぞ」
次の瞬間だ。分厚い天井を隔てていても聞こえる大きな爆発音がした。
空気を焦がす独特の香りが鼻腔を擽る。煙幕にもなりうる多量の砂埃が、まるでカーペットを落とすかのように、ゆっくり落ちてくる。
「爆薬っ!?
はじめから『墜落させるつもり』で飛空艇を使ったとでもいうのかい!」
「それだけじゃねえな。この臭い……煙は天井を砕いたものだけじゃなくて、本物の煙幕も混ざってるぞ。本番はここからって事だな」
アセナはヒクヒクと鼻を動かしていた。
瞬間、ボクの頭には緋サソリの作戦が一瞬で理解出来た。
爆薬。そして空気より少し重めの煙幕をめいっぱい詰め込んで爆弾と化した飛空艇をわざと墜落させ、天井に穴を空けて煙幕を撒くというものだ。
しかしこれでは飛空艇に乗っている緋サソリも爆発に巻き込まれるのでは?
天井の煙を見ながらそんな事を考えていると、咄嗟にある考えが閃いた。
「まさかっ!」
無人操作。
飛空艇にははじめから緋サソリなんて乗っていなかったとしたらどうだろうか。
恐らく上への警戒を見越して迎撃された場合とされなかった場合の二通りのシーケンスを、操作の魔力で組んでいたと思われる。
これなら仮にウルゾンJがワイヤーパンチを使わなかった場合でも、墜落事故を装って爆発は起こせる。
無人操作による行先指定は、この兵舎そのものに予め目印となる何かを取り付けておけば良い。
方法に関してはオーパーツでも使っているのかも知れないが、魔力探知の装置でも裏社会が開発していたのかも知れない。
そうすれば特定の魔力を発する物に誘導出来る。
この考えに思い至ったのは前々から疑問に思っていた事が下地になっている。
ルパの反乱後、改造人間の『素体』の魔力探知をさせられていたアセナ達は解放された訳だが、その後も改造人間は増え続けている。
つまり、別の方法で魔力探知をする必要がある訳だ。勿論、人造人間技術を使うというのも考えられるがコストと成功度から見て、探知機の開発に力を入れた方が可能性は高い。
ならば緋サソリ本人は何処に?
(緋サソリは変装の名手だった筈!)
ボクが読心術で見た感じ『此処』には緋サソリらしき人物は見られなかった。
怪しいのはせいぜいウィリアム氏とシオン程度。しかし彼等は一歩も動いていない。何より読心術が偽物ではないと言っている。
『驚愕』の感情が読み取れないが、それは後にしておこう。
重要なのはそこではなくて、『此処』以外にも緋サソリが潜り込む隙間はあったという事だ。故にボクは叫ぶ。
「上だぁーっ!緋サソリは天井の憲兵に変装しているぞぉーっ!」
途端、天井の煙幕の中から薄っすらと空中でライフルを構えた人影が現れる。
そう。トーマス隊長が予め屋上に用意しておいたライフル兵の一人にはじめから変装して紛れ込んでいたなら辻褄は合うのだ。
ここで煙幕に紛れて、海図を取ってしまえば向こうの思う壺だ。
だが、ボクにだって切り札はある。
「やらせはせん!やらせはせんのじゃ!」
窓の外から可愛らしい拡声音が聞こえてきた。
履帯を唸らせ、胸の送風機を見せながらウルゾンJが此方へ近付いてくるのが分かる。
声とは裏腹に最大時速100キロで1500馬力のモンスターマシンだ。こんな兵舎の壁なんて簡単に木っ端微塵にして煙を吹き飛ばす事が出来る。
そして、人影の自由落下速度から計算するに、煙幕が吹き飛ばされた瞬間には此処の憲兵達に包囲されているという図式だ。
これで勝てる!
そう思った瞬間だ。
「危ないっ!」
声はボクの真横から聞こえてきた。
(嘘だろっ!?)
可能であっても絶対にありえないと思っていた事が起こった。
ボクの視界にシオンが一瞬で入ってきたのだ。
警戒からかアセナは一足早く、シオンがボクに向かって動いた事に気付いて羽交い絞めにしていた。
しかし改造人間の出力を利用して無理やり前進して、ボクを突き飛ばしたのだ。幾ら肉体的に優れたルパ族とは言え、膂力で改造人間が上回るのはジャムシドとの腕相撲が物語っている。
一体どういうことだ。何のメリットがある。そうこう考える前に、答えは目の前を通り過ぎていった。煙幕を突き破ってボクの居た所に飛んできたライフル弾だ。
「ぐふっ!」
何がどうなっているのか分からないが、ボクの代わりに被弾するシオン。彼女を羽交い絞めにしていたアセナも腕に被弾し、シオンを離した。
アセナという支えを失ったシオンは多量の血を吐きながら煙の中に倒れていく。人間なら死んでいる量だ。
凶弾に対し、シオンがウィリアム氏よりボクを優先して庇ったのだ。
マジかっ。
緋サソリは人殺しをしない主義じゃなかったのかよ。
ボクの中の前情報という『常識』が音を立てて崩れゆき、背筋に寒い物が走る。ウルゾンJはまだかと、窓の外を見ようとした瞬間の事だ。後ろから誰かに抱えられる感触を味わう。
「ラッキーダストの皆様、今宵もごきげんよう」
海図なんか知らんとばかりに、『彼女』に抱えられるボク。ハキハキした声とは裏腹に全貌は煙でいまいち見えづらい。しかし全身タイツの艶めかしい身体のラインは何となく分かる。そこは新聞通りらしい。
それが女怪盗緋サソリとのファーストコンタクトだった。
長い夜の幕開けである。
読んで頂きありがとう御座います。
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