191 ハンドサイン
ボクが隊長へ説明している所へ、横から近付いてくる声がした。
「おお、これは壮観だ。正に針すら通さない警備網ではないですか」
「ウィリアム殿」
そこにはウィリアム氏、そして護衛のシオンが付いていた。
こうして並べてみるとラッキーダスト領憲兵の軍服は、王都の陸軍の軍服とデザインが根本的に違うのが分かる。
色が微妙に違うのもあるが、王都の軍服は騎士の名残かマントを羽織っているのがあった。
互いに違う歴史を歩んできた故の影響だろう。
彼等に会うのは暫くぶりのような、さっきぶりかのような不思議な感覚だ。
只、ボクがこれまでの期間で新聞売りの手伝いをしていたり、アセナの会社でダラダラしていたり。
後はパーラと一緒に『強力ナマズッコ』でフィッシュアンドチップスを食べていたら、アセナにとっても行きつけの店だったらしく、バッタリ会ってしまって会話が弾んだりと年齢相応に充実した時間を過ごしていたのが一因であるのは間違いないだろう。
やっぱ人間、特に未来ある子供が過去ばかり見ていちゃ駄目なのかも知れない。
ところで、ウィリアム氏の発言にボクは違和感を感じていた。
嘘は言っていない。しかし、背後には隠し切れない後ろめたさがある。そんな感情の揺れが読心術で読み取れた。
やっぱ、何か裏はあるんだろうね。
ボクはハンドサインをアセナに送る。これは『強力ナマズッコ』で食事をしている最中、彼女の武勇伝と一緒に教えてもらった、冒険者同士の簡単な手話みたいなものだ。
こういったハンドサインは、狩りをする時の猟師が獲物に気付かれないよう声を出さずに効率良くチームワークを取る事に源流を持ち、上級冒険者の間では暗黙の必須技術と言われている。
尚、冒険者そのものは武器の機械化により近年減少傾向にある事実もある。
そういった都合もあって、軍人では余り知られていない技術でもあるのだ。
冒険者と一緒に任務に当たる事のあるベテランなら兎も角、シオンのような若手。しかも護衛が主なエリート軍人なら尚更だ。
『ウィリアム氏とシオンを警戒』
『了解』
直ぐに返事が返って来て、互いに頷く。
だが予想通り、このやりとりはスルーされた。これといって警戒の色も見えない。
大方、ハンナさんがウルゾンJへ送っているハンドサインの延長とでも見られたのだろう。
「さて、今度こそ全員で宜しいでしょうか」
トーマス隊長は声を上げた。やれやれといった感じがよく伝わった。
特に乱れてもいない軍服を直す動作をして歩み寄って来る。こんな状況でもボク等に気を使い、一歩引いてくれているのだろう。
これは出来る隊長。
「ああ、待たせてごめんね。じゃあ、中に入っても良いかな」
「ええ。是非どうぞ。例の物は指示の通りにしてあります」
例の物とは海図の事だ。どうでも良いけど、この『例の物』って響きが格好いいよね。
そうして兵舎に似合う武骨な扉が開かれ、ボク等はゾロゾロと中へ入っていくのだった。
ロビーの中は整頓されていた。これは「兵隊が居ない」といった意味ではなく、一定間隔毎にライフルを持った兵隊が綺麗に並んでいるという意味だ。
これなら緋サソリが現れた時も混乱せずに動ける、十分なスペースが取れて良い判断だと思う。
映画とかだと、夜空に消える格好いい怪盗を追いかけて憲兵たちが揉みくちゃになるシーンがいっぱいある。
なので新聞売りをしていた当初は、もっとワチャワチャした物を読者諸君は想像していたそうだが、こうするよねと予想通り。
因みに読心術で見回したところ、緋サソリらしき人物は見られない。
だけど映画の通りになっている物もある。
ガラスケースに入れられた海図である。ボクが指定したのだから当然だが、憲兵達は一晩これを守り続ければ『勝ち』となるので非常に分かり易い。
因みにガラスケースとはいうものの、希少な魔骨を用いた強化ガラスで出来た特別製で、ウルゾンJの窓なんかにも使われているものだ。
硬さの維持には定期的に魔力に当てる必要があるが、ガトリング砲くらいなら傷ひとつ付かない優れものだ。
こういうシチュエーションはフィクションでよく見るものだが、さて、現実を生きる女怪盗はどう解決するか。お手並み拝見しようじゃないか。
チラリとウィリアム氏とシオンを見た。
奇襲してくるならこの辺りの筈なのだけど、今のところそれらしい動きは見られないし、ハンナさんが張り付いている。
(これはもう少し『待ち』かな)
そう思った時だった。
窓の外からチカチカと光が点滅するのが見えた。あれはウルゾンJの頭部に付いた照明が点滅して信号を送っている証だ。夜闇だとハンドサインだけでは分かり辛いので、ボク等はこういった手段も織り交ぜて会話している。
ええと、何々……。
(ジョウクウ・ヒクウテイ・コガタ!?)
なんと緋サソリは大胆にも小型飛空艇でやってきたというではないか。
しかし一方で納得も出来た。
飛空艇は気球の様に、船上の乗り物のマストに当たる部位へガスを詰め込んだ楕円球形の革製風船(球皮)を付け、更に蒸気エンジンで動くプロペラを取り付ける事でグライダー等に比べて方向転換・長距離移動を可能としたものだ。
しかしワイバーン等の飛行系魔物によるバードストライクが恐ろしく、理論は確立しているが法律上使用できない厄介な代物だった。
だが、その殆どが寝ている様な夜の短時間のみ。しかも一人で乗るような小型の物を使うなら小回りも効くので街中というデメリットも抑えられて効力を発揮するとも言える。
それに、天井にライフルを持った兵隊を配備した程度では対処出来ない戦術兵器であるというメリットもあった。
恐らく今回は、何処か遠くに拠点があって、そこから飛んできたのだろう。
エミリー先生の合図を見、ボクはハンドサインで合図を返す。
向こうからは点滅で意思を送る必要があるが、明かりに満ちた室内からならハンドサインを送っておけば、後はエミリー先生の望遠鏡と義眼で事足りるからだ。
それにしてもボクとシャルは結構アセナの所に通い詰めて覚えたハンドサインなのに、エミリー先生は一時間程で覚えてしまった(ハンナさんは例によって『何故か』予め知っていた)。
これだから天才ってやつは……。
ボクが送った合図は一つ。
(ゲイゲキ、セヨ)
逃がさないよ。大人しく凡人たるボクの手柄になってくれ。
僅かに響く飛行艇のエンジン音を聞きながらそんな事を思った。
読んで頂きありがとう御座います。
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