189 箱入り娘のカルチャーギャップ
店内。シャルは動揺を隠せなかった。
迷惑な行為ばかりだと言うのに、周囲はケラケラと笑い声が絶えない。産まれて以来箱入り娘として育てられた彼女の常識では、聊か刺激が強すぎたのである。
「ん〜……んっ?
妾、明らかに拒否ってる感じだったのに、嫌な気分とかにならんのかや」
「そんな事言ったってナマズが泥臭いのは当たり前だしねぇ」
「妾が触れるのも嫌って感じで拒絶しておったのじゃぞ」
「そりゃ、普段から食器を使うお嬢様は嫌になって当然だろうよ。私は知ったこっちゃないけど」
女店主は一言放つ。そして何時の間に取り出したのか、恐らく真鍮製であろう鈍い金色を放つ煙管を吸っていた。
口から離すと、上に向いて吹く。白い煙の輪っかが宙に放られた。此処が食事場だとはまるで気にしていない様子だ。
「……」
ポカンと口を半開きにしたシャルは、無口になって視線で追いかけてしまっていた。
煙の輪っかは天井にぶつかり、砕けて消える。
まるでシャボン玉だ。
と、いった突拍子も音もない一幕を数秒挟み、ハッとした様子でシャルは「それはそれとして」と再び女店主を見やる。声を上げる。
「でっ、でもっ!金持ちが自分らの食事を粗末に扱ったら嫌な気分にならんか?」
対して女店主は前屈みに柔らかい態度で対応。
「んな事言っても〜、こんなの私達の間じゃ粗末に扱うに入らないしねぇ。
もっとこう……手の甲でガッシャーン!って、皿ごと床にわざと落として、『こんな犬のエサ食べられませんわ。オーホッホッホ』くらい言われたら、そりゃ私もキレるけど」
女店主は手の甲を頬に当て、昔ながらコテコテの高笑いの動作をした。
それを見てシャルはカァッと頬を赤くして、目を見開く。
「わ……妾はそんな事しないのじゃ!」
「アッハッハ、ごめんごめん。
まあ、そういう訳で気を悪くしてる訳でもないし、優しいお兄ちゃんが折角準備も整えてくれたし、ゆっくりで良いから食べてみなよ」
女店主は煙管を回して、ボクの手元を指す。そこには、さっきシャルが嫌がっていた時に「必要かな?」と、ボクが作っておいたお絞りがあった。
フォローありがとう。折角の流れが出来たので、一言加えよう。
「そういえば、モルトビネガーって置いてあります?」
「おやま。お坊っちゃんもやっぱこの辺は同じなんだね」
そう言って女店主は嬉しそうにしてカウンターの下へ手を向ける。そして取り出されたのは、大振りなガラス製ポットだった。
下が丸くて、上に行くに連れて細くなっていく洋梨形のシルエットだ。
上部には小さな取っ手と、嵌め込み式の大きなガラスの蓋と、小さな注ぎ口が付いていた。
全てがガラスで出来ているので、水晶を削り出した芸術品を思わせる。
しかし中には、そんな美しさとは裏腹に茶色い液体が入っていた。
突然そんな物を前に出されたシャルは、未知の恐怖に少し怯えているように見える。だがしかし、彼女の性格からか未知への好奇心の方が強く、ボクの方を見てきた。
そういうのが君の良い所だよ。
「お兄様、これは何なのじゃ⁉︎」
「麦芽から作ったお酢だね」
「麦……もしかしてビールを発酵させたものかの?」
「その通りだね。偉いぞ」
「うへへ。『酒ある所に酢あり』と、なんかの本で読んだ気がするのじゃ」
どんな酒でも発酵させれば酢になる。
そして発酵と錬金術は切り離せない関係であり、錬金術士の家系で発酵が身近にあった彼女は、物心つかぬ頃からそれを理解していたのだろう。
もしくは実家の本を読んだ記憶が、頭の片隅に残っていたのかも知れない。
頭を撫でてやると、シャルはこそばゆそうに鼻の下を擦り、ニッと歯を見せた笑いを浮かべた。
そんな彼女を微笑ましく思い、ボクはもう片手で、ポットの取っ手を掴む。
その流れでボクは、フィッシュアンドチップスにドバドバとそれを注いだ。
目の前で繰り広げられる光景にシャルは唖然とし、微笑ましい表情も忘れて目と口をぽっかりと開ける。
注がれる量が、少しお椀状の白い皿にワチャワチャとしたポテトフライが軽く浸る位になると、やっと注ぐのを止める。
「ええ〜……」
どう対応して良いのか分からなかったのだろう。取り敢えずシャルは目を点にしていた。
ボクは苦笑いしてまた頭を撫でる。
「ボクも修業時代さ、はじめは驚いたんだけどねえ。コレが正しい食べ方らしいんだ。だよね、店主さん?」
「まあね。何ならもっとかけるかな」
「マジかや」
そんな態度とは裏腹に、ボクと女店主との何ともない会話で何とか異文化に納得出来たらしい。
実際にボクも、はじめて修業場の食堂でこの食べ方を知った時はシャルと同じ反応をしたものだ。本当にこの食べ方で合っているのか、不安でアセナに何度も聞いた程である。
すると行動は早いもので、ビネガーが浸り、よく衣に染み込んだフィッシュフライを恐る恐るといった様子で摘み、口に放った。
「「「……」」」
さて、どうだろう。
気付けば周り全ての視線がシャルに集中していた。
シャルは小さな顎で咀嚼し、細い首で嚥下する。
───ゴクリ
そして指に付いたビネガーを、ボクの作ったお絞りで拭き取るとボクの方へまた振り向く。
唇をムズムズさせて、彼女は言った。
「酸っぱいのじゃ」
そんな言葉を店内全ての人間が聞き入ると、再びドッと爆発するような笑いが溢れた。
ボクは除かれるから、総勢二名だけど。
そんな周りの態度に、シャルはお馴染み頬袋を膨らませて文句を言う。
「むう。そんなに笑ってなんなんじゃ」
そこにパーラは笑いながらも説明する。
「ビネガーが酸っぱいのは、そりゃそうだなと思ったんすよ。でも、この酸っぱさがクセになるんすよ?」
「そうなのかや⁉︎お兄様!」
ボクの方に勢い良く振り向いた。
「まあ、クラシックな食べ方のひとつだね。泥臭さが取れるメリットもある。
タルタルソースやカレーソースなんかで食べても美味しいよ」
それに反応するのはパーラ。
地雷だったのか此方を指差し、珍しく熱弁した。
「はぁっ?なんすか!フィッシュアンドチップスにタルタルやらカレーやら。
そんなもん邪道っす!冒涜っすよ!」
「そんなもんかね」
「そんなもんっす!今日はもう、フィッシュアンドチップスの良さを知って貰うっすよ。
と、言うわけでもう一つお代わりっす!」
こうしてボクらは下町というか、パーラという一少女の文化を隅々まで教えられる事になるのだった。
取り敢えず、後半になるとシャルもお絞りを使わず、汚れを気にせず下町に溶け込んでいたのは嬉しい誤算だったかも知れない。
この後、女怪盗とバトルをする事になるのだけど、少しはこんな平和な寄り道も良いんじゃないかな。あんな夢を見た後だもの。
そう思って、ポテトフライを咀嚼するのだった。
酸っぱ!
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