184 お仕事は計画的に
どんなに素質があっても、素質だけでやっている内は半人前と言って良いだろう。
数時間ほど経つと、シャルの声は小さくなっているし、足元のふらつきも目に見えていた。
売り子としての素質にも限界が出てきたのである。
幾ら元気な彼女でも、笑顔で動き続けられるのは自分と対話してくれる個人を想定したものであり、ずっと相手に呼びかけ続ける『接客』という仕事をボクとお喋りするようなペースで行うのは無理があったのだ。
つまり、序盤に体力を使い過ぎたペース配分のミスが祟ったである。
加えて精神的な疲れも見えていた。読心術でよく見た訳でもないが、普段の彼女を知っていればそんな物に頼る必要もない。
同じ様な動きを行う事に段々と飽きが見え始めてきているのだろう。すると、そこを起点に身体的な疲れとしてフィードバックされるのは人体の必然だ。
あまり気乗りしない事を続けるには疲れが付きまとうものなのだから。
それでも彼女は周りにバレないよう、健気に笑顔を作って仕事を続けているのは凄い事だと思う。しかしそれは、己の精神に無理を強いる子供にはあまり良くない事だともよく分かった。
故にボクは彼女の元へ歩み寄ると、帽子の上から頭を撫でる。
「シャル。そろそろ休んで良いよ」
「えっ!妾はまだまだいけるぞ!今が楽しくって仕方ないのじゃ」
「ダメだ。休むんだ」
ボクは少し目に力を入れた。
しかし怖がらせちゃいけない。決して高圧的ではなく、しかし命令するように言う。
その『命令』が耳に届くと、彼女は暫くボクの目を見つめた。アーモンド形の大きな目が、潤むように此方の心まで覗き込んでくるような感覚にとらわれる。
いや、まあ、ボクとしては相手がシャルだったらドンと来いだけどね?
そう思っていると、彼女の頬が薄っすらと赤く染まって、若干目がトロンとしていた。きもち嬉しそうに見える。 読心術ではなくとも人として察する事はあるものだ。
そう。別にボクに心配をかけないよう仕事を楽しんでいるフリをしなくても良いんだよ。
珍しく彼女は無言でコクリと頷くと、パーラの方へ向く。
「それじゃあ妾は何処で休んでいれば良いかの?」
「んあ?ああ、それじゃ、そこのバーの前にでも座っていてくれば良いっす」
突然話を振られた事に一旦の焦りが見えたが、直ぐに持ち直し、早い対応を取った。
彼女自身も、新聞売りとしての経験からシャルが無理をしている事は分かっていたのだろう。
バーの前に行儀よくちょこんとお尻を付いて座る。普段はそのお転婆ぶりから気にしないものだが、こうやって本物の下町と比べるとシャルは、お嬢様なんだなあ。
そして彼女はそれらしい事を言った。
「でも、お店から文句とか出ないのかの?」
「ああ、集団で溜まり場にしたりとかは流石にアレだけど、邪魔にならなければ大丈夫っす。
なんなら壁を背もたれにしても良いっすよ。子供のやる事だと見逃して貰える」
「集団で溜まり場って……何をするのじゃ」
「ああ、便所座りで安酒とか煙草とかやったりしてるっすね。
たまに『接着剤の入った紙袋』とか『強めのハッパ』とかをやってるのも居るっすけど、そういうのは憲兵にしょっ引かれるっす。
で、後日この新聞に載ってたり……」
「は、はあ……」
理解出来ない文化を聞いたといった反応に困る相槌を打ちつつ、シャルは直ぐに壁を背もたれにしたのだった。順応が早いなあ。
それにしても、やはりというか想像以上というか、疲れは大分溜まっていたらしく、座り方には結構グッタリした印象を受ける。
後で美味しいものでも食べさせてあげないとね。
さて、それでは残りはボク達が頑張らないといけない。
パーラを真似て新聞を売ってみるものだが、ボクではぎこちなさがある為か中々お客さんが取れなかった。
羨ましいと思いつつ、彼女を見やる。
どうやら彼女には、固定客が居るのも売れる要因らしい。こんな時間に外をうろつくのは、怠け者の労働者や観光客くらいだと思っていたが隠居した老人なんかも居るそうで、そういった人々が彼女の主な顧客だと分かる。
ふと彼女は杖をついて歩く老人を見つけた。猛禽類のように鋭い目つきで鷹鼻をしている。特別金持ちには見えないが汚れた格好をしている訳でもない。何処にでもいる中流階層の平民だった。
そんな彼を呼び止める。
「おや、カルロの爺ちゃんじゃないすか。新聞買って下さいっすよ。今日は安いんすよ?」
「パーラか。何時もの場所に居ないのだな」
「あっはっは、今日はちょっと新しい子と班で行動するから身を固めて売れる場所が良いんすよ」
カルロ氏というらしいその老人は、猛禽類のように鋭い目でボクと、パブで休んでいるシャルを見やる。目元に皺を寄せながら頷くのを見て、ボクは納得したのだと思う。
次に視線を移してボクの鞄の中にある、大量の新聞を見るとフンと高飛車な鼻息を付いた。
しかし、彼は古ぼけた財布を取り出すと雫型銅貨……つまり何時もの新聞の金額で取り出し、急にボクの手元に押し付けると、ボクの鞄から新聞を一部だけ取っていく。
ボクは声を荒げた。
どう接していい人なのか分からないので、上手く声が出ない。
「あっ、あのっ!今日は半額でして、粒銅貨の間違いかと。お返ししま……うおっ!」
一枚の雫型銅貨を返そうとする。
しかし彼は手の平で強引にボクの手を胸元へ押し返し、決して受け取ろうとはしない。
「今回は黙って受け取っておけ。
しかし、ちゃんとパーラの言う事を聞くのだぞ」
「は、はあ……」
カルロ氏はそう言うと再び杖をついて歩き始める。
その間の時間にパーラは「お買い上げありがとうございましたっす!」と、言うのを忘れない。ボクはハッとなって、完全にパーラの後出しで「お買い上げ有難うございましたっ!」と、言った。少し舌を噛んだかも知れない。
彼は振り向かず、手をフラフラと振っていた。
反応に困ったボクは取り敢えずパーラの方を見ると、苦笑いを浮かべる彼女が居た。
「ああ、気にしなくて良いっすよ。あの人は何時もあんな感じっすから。
ぶきっちょだからあんな遠回しな態度になっちゃうだけっすけど、つまりは『班長の言う事を聞くんだぞ』って言いたいだけっす。
結構この辺はそういった個性的な人が居る印象っすね。さて、仕事しごと……」
「あ、ハイ」
取り敢えず悪い人ではないらしい。パーラの逞しい反応に気付けばシャルと似たような反応になっていた。
同じ領都でも色々知らないところがあるんだなあ。
なんか異世界にでも転移した気分になっていた。