182 意外な才能
かつてエミリー先生とその親父さんが行商をしていたスペースにて。
シャルは好奇心のままに動いていた。
目の前の光景に、班長のパーラはポカンと口を開けて、視線の先のシャルを見るばかりだ。
別に足を引っ張っている等が理由ではない。寧ろ、逆の理由と言えるだろう。
その様はまるで、活きの良い商品を売る魚屋の如く。
「らっしゃいらっしゃい」と、額に握り鉢巻を装備しても違和感が無いかも知れない。この領都でも川沿いなんかでよく見る光景だ。
彼女は子供特有の無限にあるかのような体力で元気いっぱいに使って新聞束を振り回す。
建物の影に隠れてやや薄暗い場所の筈なのに、彼女のお陰でとても明るく見えた。
「さあさ、お立合い。只今評判うなぎ昇りな謎の女怪盗緋サソリが、とうとう我が領に挑戦状を叩き付けたのじゃ!怪盗なので全身タイツなのじゃ。
対するは我が街の誇る憲兵隊。果たして戦いの結果は如何に!」
場所も元から屋台を出す程度には人通りが良かった。それに、身だしなみもお忍び用の物とはいえ小綺麗さが目立つ。それに加えて生来の魅力もある。
そんな彼女の一挙一動が通行人の目に入るものだったのは必然だったと言えた。つまりは才能があるのだ。
恐らくこうしてアルバイトの真似事なんかをしなければ一生見つかる事は無かった才能だろう。
「面白そうだね。幾ら?」
故に一人、少し油臭い作業着を着た若者が興味本位で近寄って来る。恰好からして買い出し中か休み時間中の技士徒弟といったところだろう。
普通の貴族令嬢なら眉を顰める格好であるが、シャルは気にしない。寧ろ無邪気な笑顔で応えるのだった。
「おおっ、ありがとう御座いますなのじゃ!
何時は雫型銅貨一枚なところじゃが、今日は特別半額の粒銅貨一枚なのじゃ!」
シャルは小さな体で大きな声を上げる。
しかし耳障りが悪い物ではない。寧ろ心地よいソプラノボイスだ。
これはエミリー先生に負けないよう、常々歌の訓練をしている成果と言えた。
相変わらずエミリー先生の歌に勝てる気配はないが、こうして身を結ぶ時もあるのだから、無駄な努力というものはないのだろう。
そうした様々な要素が積み重なり、三人の中で一番の売り手となってしまっていた。
パーラが指示するまでもなく売れているのは確かである。だから、口をポカンと開けていたりするのだ。さすシャルである。
それにしても楽しそうに売るなあ。
ボク自身も小さい頃にエミリー先生のお店に混ざって店員ごっこをしたものだが、それに近いものかも知れないね。今のボクには真似できないものだ。
望郷に浸っていると、何となく今の世界から一歩引いた気持ちになり、当時のエミリー先生が座っていた位置に立ってみたい気持ちに駆られたのでやってみる。
こうして実際に立ってみるとシャル達が屋台の位置になる訳なのだが、通りの向こうから何時もやって来るボクが見える位置取りを頑張って取っていたのが分かる。
それで当時は照れ隠しのつもりなのか、本を読む仕草をしていたのだからホンワカするものだ。
どんな本を読んでいたっけ?
記憶を手繰り寄せ瞼の裏側にやってきたのは、ある日のやり取りだった。
◆
ボクがまだ4歳だった頃。
その頃の楽しみは、お忍びの最中に仲良くなった、エミリーという13歳の文学少女と本について話す事だった。
彼女の屋台は本修復を主な生業としていたから、内気なボクでも結構話が弾むのが嬉しかったのだ。
下心が無いのも好感が持てた。
領主館で話しかけてくる修業中の別貴族は読心術でそういうのが漏れていて怖い物があったし、ボクに前世の記憶がある事を話しても別貴族のように「読心する上に気味が悪い」と避ける事はなく、寧ろ本から前例を知っていたが故に真摯に受け止めてくれたのもある。
そんな少女、エミリーとの挨拶は決まっている。言葉はいらない。
店主である父親さんの隣にて、何処か退屈そうに本を読んでいる彼女の前に立つ。
すると本から顔を上げて、自然と目を合わせてくれるのである。なんだかんだと周囲に目を配っているのだ。
しかしその日は、何時もと違う面があった。
「……」
ボクが目の前に立っていても、エミリーが本から目を離さないのである。
何をしていいのか分からずボクは周りを見回して、先ずはお付きのハンナさんを見るがニコニコと微笑むだけだ。
因みに、彼女なりにお忍びの格好をしているが今と見た目は変わっていない。
次に父親さんに視線を向けるが、こちらも頬杖を付いてニヤニヤと笑うのみだった。
味方がいない事に少し泣きたい気分になった。いっそ逃げるのも良いかも知れない。
それでもボクは、口を動かして小さな声を出していた。
「あ、ええと……やあ。エミリー」
「うおっ!あ、アダマス君じゃないか。何時から此処に」
「結構前から」
「そうなんだ……、なんかごめん」
「いえいえ」
当時の大人しめな彼女は、本の内容が知れないように手で隠しながら会話する。だけどそんな事をされると余計に気になる。
彼女の手にある本の表紙は、擦り減っていてタイトルがよく読めなかった。
ただ、その山羊革に面影を残す色鮮やかな色彩と子供向けのイラストが、内容の娯楽性を雄弁に伝えてくれる。
エミリーが夢中になった事情もあり、小さなボクにはとても好奇心を唆られるものだった。
「それ、何の本?」
「気になるかい」
「うん」
罪悪感からか本で口元を隠しつつ、照れながらも見せる事には前向きらしい。
その健気さが、大分年上なのにかわいいと思った。
「コレに夢中になっていた事に笑わないかい?」
「うん。エミリーだってボクを避けなかったし」
「……そうだね、ありがと。
これはね、子供向けの絵本なんだ。本と言えば宗教や学術関係の時代のものだから、こういった装丁デザインは珍しくてね。
そして擦り減り具合からして、大分子供達に愛されていたんだと思う」
「ふうん、レアな本なんだ。
……ところで、内容はどんなものなんだい?」
「うっ。やっぱそこに行きつくかい」
彼女の口元がひくりと強張った。
しかし、意を決したように息を呑んで内容が語られる。
「おとぎ話さ。
貧乏な女の子がかぼちゃの馬車に乗って、お城の舞踏会に行く……ね」
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