179 夢を見た
ワイン臭い小部屋の中、まるで酔っているかの様に『ボク』は口を回す。
もう『最後』だからいっそ全てぶっちゃけてやろうという気持ちにもなっていた。
「戦い続けた結果、とうとう俺は望めば王様にだってなれる場所まで来ちまった。
治安だってそう悪くないものになるだろうよ。実際に運営してるのは俺じゃないしな。
だけどなぁ。それをするにはもう、剣を振り過ぎて疲れちゃってな」
「疲れる、とな?」
「そう。剣を振ってる間はまあまあ楽しいんだけど、心がね。段々疲れてきちゃうんだ。擦り減るって言うのかな」
敢えて立て掛けてある血塗れの大剣を握らず、拳で剣を振るジェスチャーをした。
「心を殺し、剣を振り続け、技術を磨き、そしてその先に何があったと思う?
何もねーんだよ。これが騎士物語とかだったら、必殺技の閃きやらサトリの境地やら、敵との剣を交えた友情パワーやらが湧き上がっているんだろうけど、そんなものはまるでねぇ。
……虚しいだけだ。
俺が特別なのかも知れんけどさ。だとしても、俺の限界はそこまでだと思い知ったよ」
意味深にワキワキと指を動かしながら、血に塗れた自分の指を見る。
指が一本目に入る度に、誰かの顔や今までの自分の罪がボンヤリと浮かんでくる。罪の数は思い出せるだけでも両指に収まらない。
根っからの『チンピラ』なのだから。
「組織のボスってのは皆の手本にならなきゃなんねえ。
王様よ。お前は利用されるだけのお坊ちゃんで、人としてはどうしようもねえ底辺だ。
だが、俺みたく気にくわないからって人に刃物を突き付ける底辺以下でもねえ。
人は、剣を振り回す以外にも口が在れば文化もある。人である以上戦いからは逃げられないけれど、もっと綺麗に戦える筈だ。
此処まで生きていく内に暴力を振りかざす事でしか自分を表現出来なくなっちまった俺は、それを信じたいんだ」
かつて子供の頃、『ボク』は自分を守る為に暴力と罪を重ねざるを得なかった。
しかし今は領という帰るべき居場所を持っている。そして居場所を守りたいだけなら、実のところUFOで制圧しても良かったのだ。
それをしなかったのはハンナさんに自分の罪を背負わせたくなかったとか、時代の幕を引くのは強力なチートではなく人間の手であるべきだとか、様々な理由があった。
だが、実のところ『自分の為の居場所がある』という環境に馴染めなかったのもあるかも知れない。
「知れない」というのは、『ボク』自身が自分をそこまで分析出来る程頭が良くないのがあった。
「俺は結局、城に乗り込むって手段を選んじまった。でも本当は別の選択肢もあったんじゃないかって今も思うよ。
俺という人間はこれしか出来なかったというだけで」
今度こそ王と真っすぐ視線を交わした。握手はしない。
「だから、王になれない俺はお前に託す。
ただし俺との話を忘れて、宰相みたく俺の大切なモノに手出しでもしたら今から行う俺の死に方を思い出しな。
あの神殿が死ぬほど痛い目を見せてやるよ。今度は『助けて』やらないからな」
「それ、さっきまで反戦論を謳っていた者の台詞かね」
「酒に酔ったチンピラの戯言だから良いんだよ。
それに脳筋国家は嫌だが、剣の握り方も忘れた豚ばかりの世界も嫌だ。
言葉と暴力。俺みたいなのが出て来る事は無い程度には、人が生きるに丁度いいバランスの国が俺の望みさ」
こうして密かに結ばれる、ラッキーダスト領と王国の不可侵条約。一通り満足した『ボク』は一瞬だけ、優しい笑顔を『虫』に向けた。
しかし直ぐに凶暴な黒い表情に戻る。そして王が持っていた、見るからに質の良いワインを見ると鼻で笑った。
「なんだそりゃ。自決用の毒ワインか」
「う、うむ。宰相が言うには、苦しくないように一瞬で即死出来る毒との事だ。
せめて自決するなら、これでしてみてはどうかと……」
「クックク、いらんなあ。それじゃあ、死ぬほど痛くないだろう」
そしてワキワキと動かしていた手を力ませる。
力み、浮かび上がった青筋はまるで罪を犯す度に刻まれる呪印の一種にも見えた。それを『ボク』は、自身の心臓へ勢いよく突っ込ませる。
「心に刻んでおけ。周りを敵にして、心が擦り減り過ぎた人間は何れ自滅する。
これが……暴力に生きた人間の末路だっ‼」
自身の腕は身体に吸い込まれ、皮膚の上から肋骨をへし折って心臓を掴む。
心臓に集中した神経が身体に警告を伝えるが、それでも止めない。寧ろ『ボク』は、指を立てて手刀の要領で皮膚を突き破ると、体内から骨片が幾つも刺さった心臓を取り出し、見せつけるように掲げてみせた。
普通は即死だ。だが、驚異的な精神力が戦場で時たま見れる、限界を超えた動きをしているのである。
大剣を握り続けた握力は、そのまま心臓を握り潰す動きを取った。
火事場の力とはよく言ったものだ。筋肉の塊である筈の心臓が、まるで水風船であるかのように潰れ、部屋中に赤い血が散らばった。
途端、肉体が役目を終えたのを悟ったかのように『ボク』は勢いよく吐血する。
「じゃ、あばよ……」
王は何か言っているようだが、脳波が麻痺してきたのか何も聞こえない。雑音が辛うじて感じられる程度だ。すると視点が落ちて掠れていく。
内側からも外側からもやって来る強烈な痛みが何重にも重なり己の身体が単なる肉のカタマリになるにつれ、地面に倒れているのが解る。
嗚呼、そろそろ『終わり』なのだろう。寒い……な。
ぼんやりと思う。
しかし、そんな時だ。突然上から暖かい光が差し込んでくる。己に差し伸べられる手があった。
『ボク』は判断のつかないまま、その手を取った。
先程まで痛みで苦しいばかりだったのに、不思議とそれはない。すっくと立ちあがると窓があって、その向こうには開拓された大真珠湖があった。
まるで戦争なんて知らないような連中が屋台で商売をしたり、好きに遊んだりしている。
───さあ、ご主人様っ!今日もお仕事を頑張りましょう
真鍮色の長い髪を靡かせたハンナが、いつの間にやら隣に立っていた。
更に自分の目の前には、はじめからあったのか仕事用のテーブルがあって、彼女の淹れたであろう紅茶がある。
その時の『ボク』は何の葛藤もなく心から笑えていた。正に夢にまで見た光景だ。
しかし残念な事に、紅茶からの香りはない。
それ故に苦笑い。これは死の直前の願望に過ぎないのだから。
そもそも『ボク』は領民と一緒に街を作っている訳だが、その先に何があるというのだ。
問題が起きる度に、今回の様に殴り込みに行って解決しろとでもいうのか。
『ボク』はきっと変われないだろう。変わるにはもう、疲れ過ぎていた。荒くれ者だらけの治安の悪い街を作りたいならそれでも良いが、生憎『ボク』の性根はそれを許せない。
やってる事はチンピラを敢えて増やそうとする宰相のやり方と変わらないし、何より『ボク』みたい人種が生まれる環境はぞっとする。
結局、『ボク』が一番嫌いだったのは自分自身だったのだ。
でも何十、何百年もかけて自分の子孫が今見た様に文化に溢れた環境を作れる領主になれるのなら、それはそれで希望が持てた。
───俺みたいな奴でも、何かになれたのかな?
そんな事を思ったか思わなかったか。
沢山の怪我人を出したものの死亡者は二名という結果を残し、今度こそ『ボク』の意識は独り、永遠の闇へ沈んでいったのだった。
◆
ボクの目が覚めたのは、そんな夢が終わった朝の朝だった。
窓の外は、朝日で本当の宝石の様に輝く大真珠湖が見られる。
己の手に握られた、アセナの作ってくれた帽子を見て、そういえば今日はアセナの手伝いで新聞売りをする事を思い出した。
そこまで考え、少しだけ目に熱い感触を覚えると、隣で寝ていたシャルの手をぎゅっと握る。生きている感触が伝わってくる。
ああ、良かった。夢なんかじゃないけど、夢だった。夢で良かったと己の身体を抱き締めると、ぬるりとした酷い寝汗を感じられた。
生きている……ボクは、まだまだ皆と共に生きていたいと思えている。
こんな嬉しい事はない。
◆
因みにその日の朝、気になったのでラッキーダスト家の歴史書から調べ直してみたのだが、魔王を討ち取り奴隷を開放したという『勇者のアダム』の名は何故か王国の歴史に残る事はなかったと同時に『反逆者のアダム』としても『革命者のアダム』としても名を残す事はなかったという。
当時の王による強い要望によるものだったそうだ。
それは果たして王の意思だったのか。それとも背後に居たハンナさんの要望だったのか。それは分からないが、何方でも構わないという気はした。
ただ、そうして気を使ってくれた事だけはとても嬉しい。
パタンと分厚い歴史書を畳むと、ボクは胸に刻む。
嘗て歴史に振り回され、人生に物凄く疲れた名もなき孤独な人間が居たという事を。
読んで頂きありがとう御座います。
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