178 力無き正義。誇り無き力
部屋は真っ赤に染まっていた。
人が一人、真っ二つに切り殺されたのだから噴き上げられる血の量から推して知るべし。
返り血塗れの『ボク』は、ガチガチと歯を鳴らす王を他所に、宰相の座っていた椅子にドカリと座る。
もう危険はないのだと大剣を壁に立て掛けて、そこら辺の樽から兵糧用の干し肉を漁ってバリバリと食べ始めたのだった。
硬い。保存用なのでしょっぱい。それでも『ボク』にとっては慣れ親しんだ戦場の味だ。
口に含んだものをを兵糧用のワインで流し込んでいると、軽く腹を叩くのであった。
「はー、美味ぇ美味ぇ。一仕事終えて疲れた時は何でも美味く感じられるから得だよな」
「……よく人を斬った後に肉とワインを食べられるな」
青い顔。震える唇。しかし何とか倒れずにいる王が聞く。
『ボク』は今、彼の存在に気付いたかのように一瞥し、両手に持ってる肉片とワイン瓶を眺めた。一瞬、食べるのに夢中で彼が何を言っているのか理解できずに肩眉を上げたが、ちょっと考えてから納得した。
「まあ、これが現場ってもんだよ。はじめは吐く奴も居るけど、そんなんじゃ敵よりも先に己の飢えに殺されちまう。
耳障りの良い騎士物語だとか、書類上の数字だとかに隠れがちだけど結局は、今の王国って鉄と血の上に成り立っているんだよなあ。
いや、それで平和の維持は出来てるんだから悪い事じゃないんだけどね?」
「そうか……でも、貴様がそれを壊した」
その呟きは食事音に消える。
しかし王は諦めず、上半身を前に出す。はじめは真っ赤な血化粧に怯えていたが、もう気にしなくなったらしい。
「貴様が平和を壊したのだぞ!
宰相は確かにどうしようもない悪党だったが、それでも独裁を維持する政治手腕は確かなものだった。
王命だ!貴様が王になって国を治めよ!責任を取るべきだ、私はもう知らん!」
喚く。そんな必死の抗議に対しても『ボク』は図々しく、ワインをラッパ飲みするのみだった。
そして暫くの時間の後、きゅぽんと呑み口を離す。瓶を水滴で叩く空瓶特有の軽い音がした。
『ボク』は適当にテーブルへ行儀悪く足を乗せる。
「そりゃそうだ。でも、敢えて言おうか。『だが断る』ってな」
「なっ!」
とうとう王は恐怖よりも驚きの感情が上回った。
断られる事に免疫がないせいか、まさか此処まで『必死に』頼み込んで断られるとは思わなかったのだろう。
目を見開いたまま、どうすれば良いか分からず黙ってしまった。
しかし『ボク』は鼻を鳴らし啖呵を切る。
「こちとら今までお前さん達が築き上げてきた秩序という名の道徳をぶっ壊して来たんだぜ?教科書通りの弁明なんて通じる筈ねえだろ」
「そんな……。しかし私には何も無いのだぞ。貴様のような力も、宰相の様な頭脳も、議会を纏める人望も」
それを聞いた『ボク』は分かっているじゃないかと楽しそうに口元を歪ませる。
握っていたワイン瓶を振ると、ギリギリで余っていた一滴を掌に落とした。
「だが、お前にゃ王族という血と、脈々と受け繋がれてきた伝統がある。
こういうのは維持する面じゃ重要だぞ~、宰相がお前さんを殺して王にならなかった理由が分からんでもないだろう?」
「でも、それだけじゃ……」
「ああ、全くそうだな。お前はクソザコナメクジだ。
だから、『コイツ』を貸そう。言っておくが貸すだけだぞ。時期が来たら勝手に離れていくから頼りっぱなしはダメだからな」
手の平のワインを舐める。
そして、その手でまた『ボク』は虫型偵察機を差し出した。とはいえ、偵察機そのものを貸すという意味ではない。
「コイツを介して俺のブレインから議会をマトモにするよう指示が来るから、ちょっとやってみなよ。たまになら『武力』も貸すからさ。
散々言ってきたが、権力を一気に握っていた宰相を俺がぶっ殺したお陰で王城は混乱に見舞われるだろう。
だが、それは一種の隙でもある。そこに突然、『名君』として覚醒したお前さんがやってくりゃ意外と早く纏まるかも知れんぞ」
そう形にするとボンヤリとだが現実感が出てきた。
だけどその場合だと、もう一つの問題は解決していない事になる。同じことを考えたのだろう王が、恐る恐る聞いてきた。
「しかしそれでは、貴様と私の二人で派閥が出来て国が割れるのでは?」
「ああ、その事ね。平気へいき」
ケラケラと笑って、立て掛けた大剣に視線をやる。
「俺は、この後自害する」
「えっ」
それは、伝説の勇者とは思えないほど、もしくは人とは思えない程に卑怯で、道徳観のない発言だった。
それを、文字通り食事の後の一言で簡単に言ってのけたのである。カルチャーショックを受けた王は再び目を見開く。
「ハハッ、幾ら何でも慣れてないとは言え、驚きやす過ぎだろ」
「んっ?ああ、そういう事か。貴様、揶揄ったな。流石に只の冗談だろう。どうせ、行方をくらませるとかの比喩なのだろう?」
確かに貴族社会ではよくある事だ。
処刑させたと書いておきながら、実際は影武者で本人は別荘で暮らしていただなんて日常茶飯事の事である。
だが、『ボク』は鼻で笑った。
「いいや、これは本当。
俺がやった事を考えれば妥当ってのもあるが、俺が王国にしてやれる唯一の責任の取り方であり、これからの『皆』の為にせめてやってやれる事なんだ」
王は再び固まった。
この時代の論理感の基礎にある騎士道の概念において自殺とは忌むべき概念なのだから、蝶よ花よと育てられた王には、『死ぬ覚悟』とはよりショッキングな物に思えていただろう。
彼を見つつ『ボク』はポツポツと語る。
「思えば俺は戦った。
独りで戦って、戦って……戦い続けて此処まで来れちまった。
こんなの許されちゃいけねえよ。処刑もんだ」
「し、しかし……未知の兵器に読心術。そして誰よりも高い戦闘経験を持ち貴様は止められないのもまた事実だ。貴様は強すぎて誰も罰せない」
するとテーブルが揺れた。天板が割れそうな程に、『ボク』が殴りつけたのだ。
キッと王を睨みつける。
「じゃあ、俺がこうなるのをもっと事前に防いでみせろや!
例えば俺が子供の頃にはじめの犯罪を起こさざるを得なかった時。
例えば仲間を見捨てて衛兵に追いかけられざるを得なかった時。
例えばロクに裁判も認められず、本当なら人と人が上手に分かり合えるこの力を暴力に使わざるを得なくって自己嫌悪に陥っていた時。
てめぇらは頑丈な城に引き籠って何をしてくれたってんだ!宰相のクソジジイから言われるままにヘラヘラしてただけじゃねえか!」
今、夢の世界でボクが見ているこの時代の王国。
法制度が非常に甘く、力を持った犯罪者が出易い。いわゆる『お尋ね者』が大きな顔で外を歩いていたって、誰も咎めない場合だってある。
『ボク』は半分だけ怒ったフリを止めると、普通に喋る。もう、気持ちの整理は付いていた事だから切り替えも簡単だ。
それでも、やり切れない感は残るのも事実である。
「まあ、魔王軍が居て色々人手不足なのは分かっていたし、結局世の中は弱肉強食が正しい姿なのも分かるけどな」
しかし、権力者の気分で如何にも解釈の出来る、甘い法制度は故意的なものでもあった。
そうしなければ治安に力を注ぎ過ぎて魔王軍に対抗する為の戦力を維持出来ないからだ。また、『ボク』の様に力ある無法者を作り出し、戦力に取り込み易くするという狙いもある。
そういったところは宰相が上手くやっている事だと思える。魚は綺麗なだけの川では生きていけないのだ。
「だけど、もう魔王軍も居なくなったんだ。王国は次に進むべき時じゃねえか?」
そう言って苦笑いを浮かべる。
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