166 僕が泣いているのはとても悔しいからです
「そんなっ……!」
「まあ、聞いて下さい」
何かを言おうと口を開いた彼を、手の平で制す。
優しく撫でるように差しのべるのではなく、拒絶するために。
形は同じなのに用途が真逆だというのは皮肉なものだ。言葉だけなら優しげなのも我ながら嫌な人間だなあと感じた。
「聞いてからでも話は遅くないでしょう」
「……聞くだけ聞きましょう」
もうこの時点でボクは九割ほどの『勝ち』を確信している。出鱈目だと否定する訳ではなく、怒ったフリをして部屋を出る訳でもなく、論理の穴を探るかのように聞きの体勢に入ってしまったのだから。
「そんな事実は無かった」と言えてしまえばどんなに楽だったのだろうね。
ボクは短期間だけど、この人と実際に接してみて、どうも悪人にも小悪党にも見えなかった。寧ろ、視点が違うだけで『善』に分類される人間だ。
そんな人間は、自分に嘘をつけない。
大義を成す為の行動には幾らでも嘘をつけるが、大義の所以を責められると聞きに入ってしまうのである。
ボクは懐から一枚の羊皮紙を取り出した。そこには様々な魔力の波長データやら数字やらが並んでいて、ボクにはぱっと見てなんだか分からない。
「ありがとうございます。先ず、シオンさんは昔、『重症』を負って前フランケンシュタイン子爵の『治療』を受ける事になった。それは合っていますかね」
「そうですね」
驚きの表情はない。
後程説明するが実は複製人間ではない方の、幼馴染のシオンさんはある事故によって『治療』を受ける事になったとある。
この事件はハンナさんが持ってきた王都の古新聞の隅に小さく載っていた事で、照らし合わせればボクでも簡単に特定できた。
「貴方も知っての通り、シャルロットの実家であるフランケンシュタイン家には、当家にも繋がりはあります。
そこから貴方の護衛をしているシオンさんと、幼馴染のシオンさんの魔力の波長が別人の物だという当時のデータが見つかりました」
ところでフランケンシュタイン領と、此処ラッキーダストは物理的な距離がとても離れている。
具体的にはフランケンシュタイン領から馬車で一日ほどかけて学園都市に辿り着き、蒸気機関車に乗り換えてラッキーダスト駅に来るという手順が必要な筈である。
チラチラと微笑を崩さないハンナさんの顔がドアップで浮かんだが、今は深く考えていけない。自制自制……。
そんな事を真面目な顔して考えていると、ウィリアム氏が真剣な顔で話し掛けてきた。
「これは、他貴族へのスパイ法。もしくは医師による個人情報漏洩に当たるのでは?」
おっといけない。話に集中しなきゃ。
ボクは用意しておいた答えで返す。
「いえ。彼の家は軍事的観点から使用人の殆どが他貴族のものでしてね。
なので研究成果の盗難も起こる訳ですが、それに対する防犯や逮捕に、我が家の暗部が使われる事があります。
その際に『偶然』、とても暗記力の高い者が目を通してしまうのは仕方ない事なのです。奪い返した書類が偽物と差し替えられてもいけませんしね」
「そうですか……」
ウィリアム氏は溜息を付くとレモンティーを吞み込んだ。
うん。ボクも実際これを何日も丸暗記は無理だと思う。でも、理屈さえ通っていれば何とでも脚色できるのが貴族社会ってものだ。まあ、ハンナさんなら本当にやりかねないけど。
取り敢えず、これで泥を被るのは主に使用人を送っているミュール辺境伯という事になるけど、彼はシャルへの負い目があるので父上には強く出れない。
まあ、せいぜい貧乏くじを味わって貰おうと思う。
あ、そうだ。
折角専門家も居るし、確認も取ってみよう。
「エミリー先生、これに記される二つの魔力波長は別人の物で間違いないかな?」
「ん~、どれどれ」
顔と胸を寄せて色っぽく羊皮紙を片手に取った。
もう片手の指先でグラフをなぞり、数字をブツブツと呟いて暗算する。そして納得したように彼女は羊皮紙を元の位置に戻して、冷淡な錬金術士として言い放つ。
「私の目線では、これは別人だと思えるな。
ウィリアム殿の視点では身内だからっていう意見もあるかも知れないけど、学園都市に持っていって鑑定して貰っても同じ結論じゃないかな。
私はちょっとした理由から『コレ』について詳しく研究していたから、直ぐ結論付けられる分、仮に持って行ったら結論が出るまで時間とお金をかなり浪費すると感じるだろうけどね」
エミリー先生の言っていた『ちょっとした理由』とは転生症の事だ。様々なデータから同一人物であると判断する研究なのだから、練度が違うのは当然だろう。
だからこそ、未だ学園都市でも認められていない病症ではある。
だが、そんな論文に興味を持ってしまった人間が居た。ウィリアム氏だ。
恐らく彼こそ、真っ先に前フランケンシュタイン子爵の術式失敗に気付き、それでも訴える事が出来ず泣き寝入りした人物だろう。
理由はエミリー先生の言った通り鑑定には多額の費用とコネを必要とする為、自身の力では幼馴染と護衛のシオンの二人は別の人間である証明が出来なかった事がある。
気付いた当時の彼は子供だったのだ。
また、子爵とはいえ下っ端宮廷貴族の、しかも当主ですらない只の子供。
それに対して錬金術の秘伝と様々なコネを持つ子爵家当主という身分的な差から実験結果に文句を付ける事が出来なかったのもあるだろう。
同じ子爵家でも、その中に格差はあるのである。
一言で言えば門前払いだった。
性格が違うだけで「コイツはシオンじゃない」と、幾ら声を張り上げたところでケチを付けたと思われるだけだし、寧ろ『治療』を頼み込んだウィリアム氏の親が頭を下げる事になったのだという。
それでも、丁度ケルマの商会が勢い付いた辺りから学園都市に多額の『寄付』をして、学生時代のエミリー先生の論文を読み漁った王都の議員が居ると、学園都市の論文閲覧履歴により明らかになっているのだ。
「ウィリアム殿。貴方が、エミリー女準男爵の『転生症』に興味を持っていたのは調べが付いています。ボクの母は学園都市を治める貴族の血統ですしね。
丁度、幼馴染のシオンさんが『事故で意識不明の重症を負うも奇跡的に一命を取り留めた』というニュースの時期と合致しますね」
尚、王都の古新聞にはこう書かれていた。
男勝りの女の子と裕福な貴族の男の子の、とても仲の良い二人組が居たらしい。
それがある日、貴族を狙った通り魔に襲われて男の子を庇った女の子が刺されて意識不明の重体に陥った。
凶器は鋭く研がり、錆び付いたヤスリ。
ヤスリの穂の長さにより内臓の様々な所まで深々と刺さっており、しかも錆鉄とヤスリ本来の荒さによって、女の子を長く苦しめるには十分だったらしい。
『意識を失う』最後まで、女の子は「痛いよぅ、痛いよぅ」と泣き続けていたそうだ。
犯人の証言によると「王国の急な産業化で俺は職を失ったんだ。俺らの命が金より軽いというのなら、何も苦労しないで王国の庇護下でヌクヌクしているガキの一人殺して何が悪いんだ」との事。
その後、女の子は『一命を取り留めた』ものの、事故のショックか機械の様に感情を無くしたと『記録』されている。
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