16 いっぱい大好き
住宅街のどこかにて、再び鼻唄が流される。今度はボクの声でなくシャルのものだった。
音量は騒音問題にならないに。敢えて言うなら小鳥くらいのものに抑えられている。
「~♪~~♪こうかの?」
「良い感じだけど、その辺は寧ろ~~~♪……ってちょっと伸ばした方が正解だね。前パートが短いからやりたい気持ちはボクも分かるけど」
「むう。意地悪な歌じゃのう。まるでお兄様のようじゃ」
「フフフ。そうだね、だからこそ披露した時に映えるものさ」
プウと頬を膨らませたのを、含み笑い交じりに撫でてやる。
シャルから見て優しい顔になってるといいな。
ところで読心術はボクに対して彼女から流れる『焦り』の感情を先程から伝え続けていた。
少し練習が上手くいってないのもソレによるものなんだろうなあ。歌は少し早口で、そして途切れが悪い。
「まあ、ゆっくり覚えていけば良いんじゃないって思うよ?筋は悪くないんだからさ」
「むむむ、でもこんな事じゃエミリー先生をやっつけられないのじゃ」
「やっつける……ああ、うん。やっつけるのかあ」
「そう!妾の歌でギャフンと言わせるのじゃ」
シャルは腰に片手を当てて、天に対して勢いよく指差した。
別に顔を知っている訳でも争っている訳でもあるまいに。どうも初心なライバル心に火が付いてしまったらしい。
まあ、やる気があるのはいい事だよ。微笑ましいその姿を否定も肯定もしないで見守っておこう。
「ところで、やっつける相手なのに『先生』付けなんだね」
「ま、まあ、お兄様の妹である妾もその内エミリー先生の講義に参加するかも知れんから、やっぱ必要かなあと」
「ふーん」
そうして下手ではない歌が一区切りする。
好みの声色が独特の味になってこれはこれで良いのではと思う。そんな歌だった。
そしてハッと思い出したかのように周りを見て、世界の危機か何かのようにボクへ顔を向ける。
「そういえばお兄様、この辺にエミリー先生って住んでないのかや。直属の家庭教師なら家臣だらけの此処に住んでそうな印象があるのじゃ」
「確か先生の家は錬金術地区だった気がするね。住む資格はあるんだけれど、なんか下町で錬気術のお店をやっていたいんだってさ」
此処に住む資格というのは貴族であるという事だ。
尤もエミリー先生の貴族位は生まれついてという物でなく、その錬金術と錬気術の功績を認められて得た勲章に近い。
此処に住まないのは周りに合わせられないとか、そういった理由もあるのかも知れないね。
「でも、それがどうしたの」
「い、いやの……エミリー先生の姿くらいはやっぱ知っておきたいしの……」
殴りこみでもしそうな台詞の後、シャルは目線を逸らして唇を尖らせた。
ボクは小さく目尻に力を入れて薄く笑う。顎に手をやる。もうちょっと器用な性格ならニヤニヤとした表情になっているんだろうなあ。
こういう時、少し父上が羨ましくなる。素直な感情を顔に出せるから。
「ふむふむ。つまりシャルはエミリー先生に夢中なのか。取られちゃったみたいでお兄ちゃん妬けちゃうなぁ。うえーんうえーん」
「えええ!?いやいやいや、違うのじゃ!妾はお兄様が好きなのじゃ!」
「大好き?」
「大好きなのじゃ!」
「いっぱい大好き?」
「いっぱい大好きなのじゃ!」
「その感情は恋人としての好き?」
「恋人としての好きなの……っていやいや!やっぱ今の無しなのじゃ。お兄様はあくまで兄妹としての好きなのじゃ!」
ブンブンと両手を振って否定した。
なお読心術は満更でもないと読んでいる模様。
しかし会ったばかりで一日も経っていない男にここまで惚れ込むかね普通。
擦りこみの一種なんだろうけどさ、お兄ちゃんはこの子の将来が心配になってきちゃったよ。
面白いから変わらないで欲しいとも思うけど。
「さてはて。そんなシャルが夢中になっているエミリー先生はどんな格好をしていると思う?」
「ぐぬぬ。違うと言っておるじゃろう」
「そんな事言われても。お兄ちゃんイジワルだからなあ。まあ、そんな事より実際の所どうだい」
「エミリー先生の事かや。そうじゃのう……ん~む」
言うと歩きながら彼女は腕を組み、眉に皺を寄せる。
そうして表情をコロコロ変えながら面白く考え始めるのだった。
なんかウンウンと真剣に考えすぎていて時間かかりそうだな。
じっとシャルを見て時間を潰すのも楽しいそうだけど、それはシャルの精神的にちょっとなあ。
そんな事を考えているボク達の前方から、いつの間にやら老紳士が歩いて来ていた。
ハンナさんに似ている自然な足運び。
それもそうか、あの人は確かハンナさんの親戚だった筈だ。警備隊の重役だけど老人特有の華奢な見た目と仕事具合から文官のイメージが強い。
読心術によれば鼻唄が迷惑になっていたとかの物騒な理由ではないらしい。
単に主要な道路故の邂逅なのだろう。
彼はボクへ挨拶してきた。
「おや若様。こんにちは」
「うん、こんにちは」
「こんな外まで来るとは珍しい。護衛は宜しいので?」
「今日はお忍びだから護衛はいらないのさ。ほら、この格好を見てみなよ。完璧な変装だろう?」
「ハッハッハ、そうですな。まるで一市民の子供のようですな。では私は旦那様への連絡があるのでこれにて失礼」
「ああ、お勤めご苦労」
そうして彼は去っていく。やはりこの変装は完璧だ。きっと誰にもバレないだろう。
心の中でガッツポーズして、シャルへ向き直った。
「ああシャル、そろそろ大真珠湖に着くよ」
「えっ、もう!?」
「あっという間だったねえ。パンフだと結構距離ある筈なのに。ああ、エミリーの想像図はちゃんと聞かせてもらうから」
「マジかや~」
へこたれた声が耳に届いた。
読んで頂きありがとう御座います