147 狼獣人にチョコレートは毒足りえるか
「まあ、ゆっくりしてきなよ」
「はーい」
客間に案内された。向かい合う形で長椅子型のソファがあって真ん中に低いテーブルがある。
アセナはフカフカのソファへ腰を深く落として座り、大雑把に長い足を組む。これで片手にラム酒の瓶でも握っていれば、まるで海賊の女船長だ。
そんな彼女へ思ったことを聞いてみた。
「制服代わりのキャスケット帽なんて作っていたんだね」
「ああ。エミリーから子供達を預かったから、丁稚の証として新聞を入れる鞄とセットで取り敢えず、な。丁稚程度じゃ新品の制服そのものは流石に予算が下りなかったのが惜しいとこだ」
そこにシャルも会話へ入ってくる。
「まぁ、あんま金に任せて派手にやり過ぎるとひんしゅくを買うのかも知れんの。ファイトなのじゃ。
それにしても、じゃ。鞄と帽子の発注が早くないかの?開業からあっという間じゃぞ」
同じ規格。
しかも最近出来たばかりの会社の社章が縫い付けられた専用の帽子の量産なんて、そう簡単に出来るものでない筈だ。
しかし答えを待ってても、返ってくるのはしてやったりのニマニマとした顔だった。尻尾の先端がパタパタ揺れていてご機嫌なのが分かる。
それを眺めているとアセナはウキウキと聞いてくる。
「さあ、どうしてだと思うかな?」
「そりゃ、義父様の権限を使って小さな工場へ委託したか、もしくはハンナとその部下の従者達によるものか……」
「アッハッハ!はっずれ~。答えはアタシが全部縫ったでした~」
間。
「「「ええっ⁉」」」
「……んだよ」
聞いてたエミリー先生も踏まえ、三人同時に驚きの声を上げる。無言でエミリー先生がアセナへ近づいて指を確認。針で刺したような傷はない。
ボクへ視線をやったので、無言で否定。読心術で読んだが嘘は言っていない。
思わずシャルが鬼気迫る表情で、尻尾に横たえたアセナの尻尾にダイブした。
「このモフモフな手触り……間違いない!本物のアセナなのじゃ!」
「偽物でもなし、か。ボク達は人類の歴史において奇跡の瞬間に立ち会っているのかも知れない!」
「お~い、確かに問題を振ったのはアタシだけど、いい加減お姉ちゃん怒るよ~」
シャルを猫のように摘まみながら、彼女はジト目で言った。
こんな時、どんな顔をすれば良いか分からないよ。敢えて言うなら、帽子に夢中になっていたボクを見てオロオロしていたシャルもこんな気分だったのかも知れない。
なので、なにか変わる訳でもないが彼女の顔を眺めて考えるフリをする事にした。
よく見ると、アセナって化粧をしている訳じゃないのに上睫毛多いよなあ。
眺め、そんな関係のない思考を漂っていると、向こうから呆れたように声が発せられて場面が動く。
彼女は頬杖を組んだ脚に立てていた。
「幾ら何でも驚きすぎだろ」
「いや、だって全然針仕事とかやらなそうだし……」
「やるって……ん?これはパンケーキか。黒いのが面白いな。少し貰うぜ」
「あっ」
勝手にバスケットを開いて、無断でひとつ、パクリと口に入れてしまう。そういう大雑把なところが、針仕事に向いていなさそうなんだけどなぁ。
モグモグと咀嚼しながら続きを語る。
「そりゃ、アタシはルパ族の中じゃ大雑把な方だけどね。
これでも最低限、嫁に行ける程度の縫物は教わっているんだ。『アレ』に比べたらキャスケット帽なんて楽勝だよ」
彼女は視線を足元にやる。
テーブルの下に敷かれていたのはルパ族特有のエスニックな柄のカーペットな訳だが、ボクはハッとした。
思い出したのは、朝の仕事でやった税の内容だ。
ルパの町は、牛や羊といった家畜。そして、それらから産出される革や羊毛などから作る見事な織物なんかを税として収める事が許されている。
この前も代官屋敷や集落に行った時もかなり複雑な織物が見れたし、それが基準の環境で生きてきたなら確かに納得もいった。
「後は、まあ、長旅をしてると服も騙しだまし使わなきゃいかんから、結構慣れがあるってのもあるな」
「ああ~、確かに。デニムとか大変そうだしね」
それを聞いたアセナは、丈の短いホットパンツの太股の辺りの隙間に人差し指を突っ込んで、見せつける様に広げてみせた。何処がとは言わないが、足を組んでいるので見えそうだった。
多少目が行く。しかし、直ぐに視線を顔に戻す。
「おや、つれないね」
「その手のビックリ展開は朝にエミリー先生が散々やったしなあ」
「ちえ、お手付きかよ」
頬袋を作ってムスッとエミリー先生を見るが、見られる側に特に悪ぶれた様子はない。
寧ろ被害者は自分だと言わんばかりに、同様に頬袋を膨らませてボクの身体を引き寄せて、何時ものようにボクの後頭部を己の胸に挟んだ。
「だって、アセナがアダマス君と一緒に入ったの、羨ましかったんだもん」
それを聞いてアセナはハッとする。
そして自身を諫めるように、少し無言になるとバスケットからパンケーキを再びひとつ取り出して、エミリー先生の口へ持って行った。
「そうか、そりゃ悪かった」
「ん。分かれば良いんだ」
そこでシャルが小さく手を上げて、アセナの狼耳を見ながら会話に入ってくる。
故に応えるのはアセナだ。
「あの、ちょっと良いかの?」
「んあ、どうした」
「さっきからチョコパンケーキ食べてるけど、イヌ科って確かチョコレートダメだったんじゃないかの?」
間。
途端、アセナが両目を大きく開け、首を両手で抑えて苦しみ出した。
「うぐっ、ぐぐぐ……」
その凶変ぶりは流石に不味いと感じたのだろう。シャルはアセナの背中に回り込んで、平手でドンドンと思い切り叩き出して吐き出させようとした。
シャルは自身の涙を隠す気はない。
「痛いっ!痛いって!」
そんな『治療』に反抗するよう声を出すのはアセナ。
でも、シャルは背中を叩くのをやめない。
「そんな悠長な事を言ってる場合じゃないじゃろ!死んでしまうんじゃぞ!」
「冗談!冗談だからっ!獣人は別に影響ないって分かってるよ。
最近じゃチョコレートも市販されてるし、アタシがその臭いを間違える訳ないしな」
そこでハッとしたシャルは、散々背中を叩かれてソファで寝そべるアセナから離れる。
後で、泣きじゃくるシャルと一緒にエミリー先生から聞いた話だが、確かに犬に近い獣人はチョコレートを上手く分解出来ないが、それだけらしい。
アジア人が乳糖を分解出来ないからといって牛乳を飲めない訳ではないという理屈に近いとの事。
まあ、エミリー先生にぶたれる代わりとでも思ってくれ。
そんな騒ぎに、噂話に鋭い新聞社の面々が集まって来るのは必然とも言えた。
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