146 その時アダマスに電流走る
ウインドルーモア・ニュース社の本社ビルにて。
通常、写実的な動物を飾るのに対抗するかのように、幾何学に動物を模したドアノックが取り付けられた扉の目の前での事だ。
何とも煮え切らないやりとりが繰り広げられていた。
このように言うと他人事のように思えるが、原因はボクである。
「ええと、その……アダマス君。そろそろ離して貰うと嬉しいんスが」
「ダメ」
目の前には懐かしい顔があった。
見た目はソバカス顔のやや褐色。ちょっと襟足が跳ねたボーイッシュヘア。
彼女の名前はパーラ。以前、ボク達兄妹が錬金術士街の裏路地にあるスラム街に来た時、石のナイフを売っていた少女だ。ボクよりは年上だけど。
普段はエミリー先生の店に住んでいる、訳ありの子達の一人である。
事の発端は、彼女がある帽子を被っている事をたまたま見つけた際に起こった事にあった。
その帽子を見た時、ボクの服オタクセンサーが反応したのである。
どれくらいオタクかと言えば、父上にもハンナさんにも、更に母上にも見つかった黒歴史ノート『ぼくの考えたさいきょうの服の組み合わせ』を見つかった今も、なんだかんだ捨てられないくらい大好きだ。
シャルにはバレてないと思いたい。
そんなボクの知識の中には、何れ買おうかなと思っていた『キャスケット帽』というものがある。
つばの部分が前に倒れず、頭の部分が全体的にふくらんでいる帽子の事だ。
頭頂部は4枚~8枚ほどの布をつないで作られていることが多く、素材は麻、コットン、ニット、ウールなど。
シルクハットでは乗馬や狩猟など激しい運動には耐えられないとの考えから作られた鳥打帽帽から発展したもので、丸く平たい帽子がそれに当たる。
こう言うと高尚なものに見えるが、産業革命によるコットンを筆頭にした布の低価格化により、それを材料にした帽子も低価格化。
その実用性、そして顔を小さく見ぜるファッション性等から庶民にも親しまれるようになったのである。
新聞売りが好んで被っている事が多い事から、ニュースボーイ・キャップとの愛称もあり。
と、前置きはこれくらいにしておこうか。
そんなキャスケット帽を被っていた彼女の頭は、ボクの好奇心と腕力によってガシリと頭を固定されて動かせない状態になったのである。
「帽子なら渡して良いんで……」
「被る人によってイメージ変わるからそれもダメ」
「えええ~」
ボクは押せ押せの姿勢で彼女……正確には彼女が被っているキャスケット帽をマジマジと見る。
彼女の着ている労働者が愛用するオーバーオールと、被っている帽子。そしてボーイッシュな顔立ちがやけに似合っていた。
ジッとパーラを見ていると、彼女は困ったような、ちょっと泣いているような声色でエミリー先生に話を振った。
「エミリー様ぁ、貴女の生徒でしょう?どうにかならないんスか?」
「う~ん、私もアダマス君の父親に雇われているに過ぎないからなあ」
迷惑しているのは百も処置なのだがファッション好きの血が騒ぐ。目が離せない。
そうしているとエミリー先生は顎に手を当て考え込み、普段のボクとの違いにどうしていいのか分からなそうなシャルを見る。
「せめて別の方向に興味を移せれば良いんだけどねぇ。
でも、シャルちゃんに被せても大きなツインテだから、アダマス君が納得する程似合わないだろうしなあ……あっ、そうだ」
何かを閃いたような様子だった。
少し腰を落とすと、一旦目の前のシャルの髪を解いてリボンを結び直す。
そしてどこに持っていたのか、パーラが被っていたのと同じ規格のキャスケット帽を被せた。
「ねえ、アダマス君。こういうのも良くない?」
「え、こういうのって……むむ!」
この時ボクに電流走り、直ぐさまパーラから手を放し、シャルの方向へ好奇心の赴くままに向かっていく。
そこに立っていた彼女は、髪の毛をお下げヘアに結び直していた。
ボリューミーなドリルのツインテと違い、身体の前に髪を垂らすイメージだ。なるほど、これなら小顔に見えて膨らんだシルエットの帽子に似合う。
パーラのボーイッシュな感じも良いが、シャルの長い髪の毛が帽子から零れる形を活かすスタイルも素晴らしいものだった。
「うん、ありだな。全然あり」
「そ、そうかや……なんかそう言って貰えると照れるのじゃ……」
愛しき我が妹は、突然の展開に顔を少し火照らせて、指をモジモジと絡ませている。
ボクは彼女の顔をジッと見ようとするが、滲み出る羞恥心が彼女の顎を引かせてつばが目線を覆っていた。
普段の態度がオープンなだけにギャップ差で萌える。
パーラがなにか言いたそうに様々な感情を此方に向けているが、それよりも気になった事があったのでエミリー先生に聞いてみた。
「……ん?エミリー先生。これって何時もみたく液体金属から作った訳じゃなかったんですね」
「くふふ。気付いたかね」
「ええ、まあ。しかしこれって何処から持って来たんですか?確か新聞売りの制服替わりでしたよね」
シャルが顎を引いたことで頭頂部がよく見えるようになった。
それは同時に、帽子の全体像もよく見えるようになったという事であり、彼女の被るものの側面にはウインドルーモア・ニュース社の幾何学的な狼を象った社章が縫い付けられていたのだ。
「ああ、ここに親切な人が居てね」
「へ?親切な人って……」
エミリー先生が視線を横にずらしたので、引っ張られるように自然とボクも瞳の向きをスライドさせると、そこには余分な贅肉の付いていない、アスリートのような腰に両手を置くもう一人の人影があった。
彼女はルパ族特有の狼耳をピコピコと動かし、腰から生える尻尾をゆらりと靡かせる。
「なんか会社の目の前が喧しいと思ったら……。な~っにをやっとんだお前は」
「ええと、お菓子を届けに」
「それがどうしてそうなる。とりあえずそういうのは中でやれい」
「は~い」
社長のアセナ・ルパは、平常運転でボク達を招き入れるのだった。彼女はボクの愛人の一人でもあるので、気楽に接せてとても良い。
尚、会社の中でパーラが何か言いたそうになっている理由を聞いたら、無言で脳天に思い切りチョップを食らったので謝ったのはまた別の話。