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144 百万ドルのスターダスト

 台所に戻ると、ホカホカと小麦粉の焼ける優しい香りが漂っていた。

 その中にチョコレートの芳醇な香りが差し込んで合わさり、香りに包まれて宙を浮くような一瞬の浮遊感に見舞われる。


 暫く時間が経つにつれて浮遊感が無くなっても、香りそのものは鼻腔に残っていた。

 この強い臭いは、ふわりとした湯の柔らかさを味わいたいお風呂上がりという状況には合わないのかも知れない。

 けれど出来上がりを待っていたボク達としては、想像のついていた香りだったので、達成感に感激を覚える。

 ちょっと違うかも知れないが、覚悟を決めていればある程度の痛みは我慢できるとでもいえばいいのか。


ところで目が行くのは、新居のような清潔さだ。

シャルがあれだけ泡立て機ではしゃいだというのに足下は勿論、作業台に飛び散った汚れ一つ見当たらない。

 何時もながら、ハンナさんが掃除してくれたからだろうというのがよく解った。頭が上がらないね。

 思わず近場の作業台にツツーっと指を滑らせるけど、まるで埃は付いていない。なんか嫌な姑さんにでもなった気分だ。


 そして当のハンナさんはと言えば、ボク達が作業していたコンロの前に居た。

 踵を揃えて背筋をピンと立て、組んだ手を臍より少し下に添える。メイドとして客を迎える、綺麗な接遇の姿勢だった。


 ボクは取り敢えず思ったことを口にする。


「……大丈夫?全部一人でやって疲れない?」

「うふふ。坊ちゃまに気を遣って頂けるなんて至極光栄。しかし大丈夫ですわ」


 礼をして、そのままウインクする。

 なんとも古臭い気障なアピールだが、彼女がやると妙に似合っていた。何時も微笑んでいるからだろうか。なんとも華を感じる。

 因みに、別の意味で父上がやっても似合うだろうなあとも感じた。父上の場合は「今日もアホな事やってるなあ」といった別ベクトルの意味だ。


 普段のイメージって大切だね。

 そんな感想に漏れず、彼女はなんて事のないような返事をする。


「鍛えていますから!」

「はあ……そうですか」


 鍛えているの一言でどうにかなる範囲ではない。

 それは解っているのだが、読心術を全快にしても読み取った言葉にも動作にも嘘偽りはない。

 だから本当に大丈夫なのだろう。

 理屈で疑問に蓋をしようとするとしていたら、彼女は上体を上げて口を開く。


「とはいえ私の身体も一つではありませんから、限界が来たら坊ちゃまに頼りますがね。

その時はよろしくお願い致しまする」


 そう言ってボク達をコンロ側に招き入れた。


 蓋をしようとしていた疑問が溶けた感覚を得て、足取りが軽くなり、楽に星空を再現したフライパンの元まで辿り着いた。

 蒸しあがっているのか、火は既に止められている。


 そして、シャルと一緒に上から見た。すると幾つかの星型パンケーキが無くなっている事に気付く。

 ボクは船乗りだから、星が無くなる事に気付くのは早い。

 その一方で、シャルはスイーツ女子だから、同様の速度で無くなっているのに気付いたようだ。


「むむっ。幾つか無くなっているのじゃ。別の処理でもしたのかや?」

「処理という程ではありませんが、少々盛り付けをさせて頂きました」


 ハンナさんが取り出したのは、大きな四角いピクニック・バスケットだった。

 少し白みがかった色をした(つる)で編まれたそれは、二本のレンガ色の革ベルトで出来た留め具と、ドアハンドルのような取っ手がなんともお洒落。


「こちらになります」


 ハンナさんは蓋を開くと、綺麗に並べられた星々が顔を出した。

 お菓子だ。一目見て感動した。

 しかし美味しそうという事でなく、美しいものを見たという意味で素晴らしいと思ったのだ。


 チョコレートの色とパンケーキの雰囲気が映えるように選ばれた白みがかったバスケットと、熟達した盛り付けのテクニック。

 それら合わさって心に来る雰囲気はまるでアタッシュケースに入れられた宝石だ。

 高々金貨一枚にもならない焼いた小麦が、大貴族の領主の息子にとって宝石以上に替えの利かない価値になっていたのである。


 だが、それは完璧ではない。これから完璧になるのだから。

 それを読んでいたハンナさんに礼を言う。


「ありがとう、ハンナさん」

「うふふ、どういたしまして」


 フライパンに目を移す。

 そこにはまだ、型に入れられたままのパンケーキがあった。


 隣でソワソワしているシャルの肩をポンと叩く。


「さて、シャルよ。残りも入れちゃおうか」

「えっ!その……良いのかや?こんなに綺麗に整頓されておるのに」

「ふ~む、そうだなぁ」


 ひとつ。ボクは型を取り出した。

 大きさはスコーン程度。手の平から指を除いたくらいの大きさとでも言えばいいか。

 それをバスケットの上へ無造作に持っていく。すっかり冷めた型の底をポンポンと軽く叩くと、中身がポロリと簡単に落ちた。

 綺麗な星々の中に無意味な星がひとつ作られる。


 シャルの方へ振り向き、言った。


「楽しいよ」


 シャルは「えっ」と、魚の様にポカンと口を開けてハンナさんを見る。答えを与えず、ただ微笑むばかりだ。

 後ろのエミリー先生も同様である。


 彼女はひとつ息を呑み、もう熱くはなっていないフライパンに震える指を近づける。

 そうして彼女は型をひとつ、摘まむように取り出して、ボクと同様に型の底をポンポンと叩いた。

 道理に漏れず落ちた星は、ボクの作った星と隣り合うようにバスケットへ着地する。


 彼女は輝かんばかりの笑顔をボクへ向けた。


「……楽しいのじゃ!」

「でしょ?」


 そんなノリで最終的に支離滅裂な星々がポンポンと量産されてはバスケットを埋め尽くし、だからこそ完璧なバスケットは完成したのだった。

 さて、みんなに配りにいかなきゃね。

読んで頂きありがとう御座います。


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