138 エミリー先生のチョコレート講座
我が館の台所は広い。
どれくらい広いかと言えば、ルパの町の代官屋敷の台所は親戚で集まって食べる習慣があるので広い訳だが、実はそれよりも一回り程広い。扉から広さを想像していた方々はさぞ驚かれるだろう。
現にシャルもツンと上体を突き出し、口をOの字にして魅入っている。
これはパーティーで何人もの客人を持て成す為という意味もあるが、特殊な料理を作るという意味もあった。
基本的に豚の丸焼きや子牛の丸焼き、もしくはそれらにひと手間加えたものなど。巨大ケーキな時もある。
ボク達のような大貴族は、招く人によってはそういった宮廷料理で持て成す事が多々あるのだ。
余談ではあるがアセナ達ルパ族も牛や羊一頭焼く時もある。しかもボク達王国の人間と比べてもっと高頻度にだ。ただ、習慣が大分違う。
きっと彼女が見たら「丸焼きくらい外でやれば良いし、もっと騒ぎながら食った方が良いじゃねえか。なんでわざわざ室内で焼くんだよ」ってツッコミを入れるんだろうけどね。
まあ、そこは決まり事なので仕方なく。しかし今は、そんな決まり事が助けになっていた。
広々とした台所には、余分とも思える程、沢山の材料の蓄えがあるからだ。
これで兵糧はまた別にあるんだから、領地運営って大きなお金が動いていて、それらを上手く動かさないとあっという間に破産してしまうんだなぁと実感する。
と、思考がズレていたね。今はそんな難しい話はどうだって良いのだから。
ボクの心は再びシャルとエミリー先生に美味しい物を食べさせたい気持ちで一杯になったのだった。
「ええと、確か……あったあった。これだっ!シャル、おいで」
「おっ。何なのじゃ、お兄様」
ボクは台所の奥に行くと、幾つかの大きな麻袋を見つけ出し、部屋という単位で見れば狭いが、台所という単位で見れば広い空間を視線だけで冒険していたシャルを手招きした。
今度はなにが待ち受けているのだろう。そんな声が聞こえそうなほど彼女はワクワクした様子で、開かれた麻袋の中身を見る。
まるで冒険で見つかった宝箱の中を覗くかのようだった。
ふわりと舞う甘い香りが鼻腔を擽り、中を覗けばサラサラとした黒い粉が入っている。
それを見た途端、彼女の大きなアーモンド形の眼はサファイアの様に煌めいた。
「おおっ!お兄様。これは、カカオの粉じゃな!」
「カカオの粉、かぁ……まあ、そうだね。シャル、チョコレートは好きかい?」
「大好きなのじゃっ!」
言って彼女は大きく万歳して、好きさを表現した。
はじめの頃はあんなに苦手だったのに、好きになってくれて嬉しいよ。
ボクは身を翻し、後ろのエミリー先生に視線を合わせた。
「エミリー先生。こう、チョコレートが美味しい物として成功したのも先生のお陰です。
誠に有難うございます」
「良いって事さ。なんなら私にご褒美でもくれるのかな?」
「そうですなあ。では、ボク達へチョコレートについて教えさせてあげましょう」
ボクは人差し指をピンと立たせると、先生は腹を抱えて笑った。
「あははっ。私が教える立場なんだ。それじゃまるでご褒美になってないじゃないか」
「そうですかねえ、教えたがりのエミリー先生だったらご褒美だと思ったのですが……駄目でしたか?」
「くふふっ。いや、良いよ良いよ。
楽しそうな事は大好きさ。それではご教授させて下さいませ、アダマス次期当主殿っ」
「うむうむ、良いだとう。エミリー女準男爵殿……やっぱこの口調、エミリー先生相手だと違和感ありますね」
「ほんとだねっ。アハハハッ」
会話の流れなら「褒美に教える権利をやるだなんて何処のアホ貴族だ」とも取られるが、ボクはエミリー先生がそれくらいで怒らないと信頼している。
それに、彼女が実際に教えたがりな側面を持つ昔からの先生気質なキャラだという事も知っているからこそ出来る『遊び』だ。
彼女は小走りで此方に駆け寄ると、流れるようにボクを抱きかかえ、大きな胸にボクの顔を押し付けてくる。う~む、やっぱりパンケーキ。
そして少しボクをクンカクンカすると満足したのか床に戻し、近くにあった別の袋に手を入れた。中から取り出されるのは、ラグビーボールのような形をした木の実。
加工してないカカオの実である。
それをボクらによく見えるようにすると、テンポよく口を開く。
「さて、エミリー先生のチョコレート講座。はっじまーるよー。拍手拍手―」
「うぇ~い」「パチパチなのじゃ!」
兄妹並んで拍手する。
結構強引な流れだったけど、こういった時も純粋に楽しむシャルは大物臭が凄い。
「さて、シャルちゃんが大好きなチョコレートは、このカカオから出来ている訳なのは有名な話。
でも、カカオを乾かして粉末にした物を固めただけじゃ、シャルちゃんの好きな美味しいチョコにはならない。ここに来る前に散々食べさせられた、ゲロマズな物質Xになる訳だね」
物質X……ああ、カカオの栄養だけを目的としてシャルの実父のバルザック卿が作っていたという、アレか。
単に粉にしただけならまだしも、変なアレンジがある分、シャルの話を聞くだけでも食べたくないんだよなぁ。
考えているうちに、彼女はカカオの中から白い果肉に包まれた種子を一粒取り出した。
「そういった訳で、カカオを様々な性質の粉に分ける訳だ。
その一つが『カカオマス』。この種子を、発酵やら焙煎やらしたものを粉にしたものだね。
では、それがアダマス君の見せてくれたその黒い粉なのかな?……違うんだなぁ」
種子を摘まんだ状態で指を振る。
そしてペロリと舌を出すと、その上に種子を乗せて食べてしまった。モゴモゴと咀嚼して、そのまま飲み込んでしまった。
そういえば、カカオは加工しなくても普通に食べられる果実というのを、ハンナさんと練習している時に教わった。中の果肉は梨のように甘酸っぱかったのを覚えている。
「と、まあ、こんな風に奥歯で噛むように出来上がったカカオマスをプレスするんだね。
そうして油を搾って出来たものが『ココアバター』。
その残りが、『ココアパウダー』さ。今、正にアダマス君が見せたものの正体だ」
「ほへ~、勉強になるのう」
上半身を前に乗り出させて感心するシャルに対し、ぴしりとカカオで、ココアパウダーの詰まった麻袋を指し示す。
「こうして出来たカカオマスとココアパウダー。更に砂糖を混ぜて出来たのが、美味しいチョコレートって訳さ……さてっ!」
エミリー先生は再び教鞭の様にカカオの果皮を叩く。
そしてニッと歯を見せて笑ってみせた。
「じゃあ、実際に作ってみようか!」
こうしてボクらはチョコパンケーキ作りにとりかかるのであった。




