133 学芸会の木の役
少し時間が経って、永遠とも思える抱きしめの力が緩まる。
エミリー先生の顔付きも穏やかなものに変わっていて、もういいのかな?と思いきや、目を合わせると何処か名残惜しそうだった。
どうしたのだろう?
一旦合った視線はボクではなく、噴水の更に向こうに向かう。
何かあるのかなと思って、彼女が何を見ているかを確認した。
「あっ……」
そこには太い木があった。
木の横からは枝……の、ように見える金色の髪束がぴょこんとそれぞれ二本生えている。末端に行くにつれてカールしているのが可愛らしい。
髪束の下には子供の手が、やはりそれぞれ二本伸びていて、末端には木の枝を掴んでいた。
ちょっと体勢を維持するのがきついのか、チラチラと顔が見えていた。
先程とは一変。エミリー先生はボクを試すように、ニヤニヤとする。
う~ん。何と言ったものか。
「ええと、シャル?」
「ち、違うのじゃ!妾は木の陰に隠れているシャルちゃんじゃなくて、木の精なのじゃ!」
「ああ、うん。凄い唐突なキャラ設定だね。
じゃあ、それで良いとして、どうして此処が分かったの?」
「あ、それはお昼寝から起きたらお兄様が居なかったから探しての。
途中でハンナに会って聞いてみたら此処にエミリー先生と入っていくのが見えたとの事なのじゃ」
「あ、成程」
喋る度にツインテールがピコピコ揺れる。無理な姿勢による慣性によるものだとは分かっているのだが、まるで意思を表すかのようにかわいらしい。
さて、近付いて引きずり出せば外に出すのは簡単なんだけど、それじゃボクらしくないなと思い、腕を組む。
隣を見れば己の腕を杖にして後ろへ体重をかけるエミリー先生が居た。胸を張るその姿は、惜しげもなく奇跡のボリュームを主張している。
そういえば『コレ』って故意ではないけど。そう、故意ではないのだけど、さっき思いっきり揉みしだいたっけな。
まるで焼きたてパンケーキの弾力だったのを、手の平がよく覚えている。
手の平を開閉して、エミリー先生に向き直る。
「そういえばエミリー先生、ノブレス・オブリージュって知っています?」
「いやあ、分からないなあ」
言って彼女は、両手を広げて顔の横で手首を支点にピロピロと手を動かして見せた。しかも棒読みだ。
完全に分かっていてわざとやっている動作である。
シャルも意味は分かっているのか、言葉が出てきた途端にピクリと手が一瞬だけ動く。
でも敢えて、説明を入れた。
「財力、権力、社会的地位の保持には責任が伴うという意味ですね。
偉い人は、それに応じた社会的義務が生じるという事なのです」
「おお、そうだったのか~。それで、偉い人として生きるアダマス君は私に対してもノブレス・オブリージュを果たしてくれるという事なのかな?
しかし、私だけ抜け駆けしちゃっても良いのかな?」
彼女は相変わらず棒読みで、そして相変わらずのニヤニヤ顔でシャルの方向を見る。
その度に震えるシャルの両手とツインテールが印象的だ。
「まあ、良いんじゃかなと思います。あそこに居るのはシャルじゃなくて木の精だって言うし……そうだよね?」
振り返り、大きな声で聞く。
「……そ、そうなのじゃ!決して、後を黙って付けていたのが気まずくて出てこれない訳じゃないのじゃ!」
「あ~、うん、そうだね」
なんとも愉快な理由が胸に響いた。シャルは素直な良い妹だなあ。
思っていると何食わぬ顔のエミリー先生がボクへ問いかけてきた。見ればさっきまで持っていなかった黒い扇子で口元を隠している。
液体金属製のドレスを変質させて作ったいつものやつだろうけど、雰囲気的に似合っていた。
「さて、アダマス君は下々の者たる私にどんな義務を果たしてくれるのかな?」
「はいっ!パンケーキを作ろうと思っています!」
「ほほ~、偉い人自らお菓子を作ってくれるなんて。嬉しいねえ」
そればかりは棒読みではなく本音からの言葉で、実際に楽しみにしている表情が微笑ましい。
その一方でシャルの両手とツインテールはかなり揺らめいて反応していた。
まるで、どう動こうか悩む感情の天秤を比喩しているかのようである。ならばと、エミリー先生は扇子を仰いでもう一押しの質問を作る。
「それで、普通のパンケーキなのかな?」
「いいえ、今回はチョコパンケーキにしようと思っています。
ハンナさんの指導もあってやっと『アレ』が美味しく作れるようになったんですよ」
話は少し遡る。
シャルが我が家にやってきた、ほんの後の事だ。
ミュール辺境伯から入ってきたカカオをエミリー先生が研究し、開発したチョコレートが市場に高級なお菓子として出回るのにそう時間はかからなかった。
しかし、はじめに開発したからといって研究を怠る訳にもいかない。そこでエミリー先生の錬金術店の台所には大量のチョコレートがあったのだが、これと組み合わせて何を開発したものか悩んでいた時期があったのだ。
そんなある日、少し目を離した隙にシャルが「妹分が出来た」と言って、見知らぬ女の子を連れて来た時がある。確か8歳くらいだったっけな。
エミリー先生の店に遊びに行った時にこういう事はよくあるもので、なんでも兄とはぐれてしまったそうな。
仕方ないので其処ら辺に居た暗部の人に彼女の身内を探させ、その間にボク達はお菓子作りをして時間を潰す事にしたのだがなんと彼女、チョコレートを使う知識があったらしく、チョコパンケーキの開発に成功。後の新商品となったのだった。
そして彼女が言っていた兄との合流後、もうちょっと居ないかとスカウトしてみたのだが、彼女たちは帰らねばいけない家があるとの事で帰らせたのである。
今思えば、発表間もないチョコレートの知識を持っていた彼女も転生症に関係していたのかも知れないなあ。
単に、カカオを使うのが上手い文化圏の人だっただけかも知れないけど。
因みにエミリー先生の店なので、当然彼女とそのスタッフの子供達も一緒に試食した訳だ。みんなで食べたのでとても美味しかったのを覚えている。
「そういう訳で、エミリー先生。お店の皆も一緒にどうでしょう」
「おっ。なんだか悪いねえ。でも今日は講義って事で、アセナの新聞社のお手伝いに回しちゃったから、そっちで食べよう。折角だしアセナ達とも一緒に」
「おおっ!それは良いですね。皆でワイワイと楽しそうだ」
「あはははは~」
「うふふふふ~」
わざとらしく笑い合い、互いに木へ視線を合わせた次の瞬間だった。
幹が揺れ、近場の生垣に人影が顔から突っ込み、剪定された小さな硬い葉が吹き飛んだ。何を隠そう、横に倒れたシャルである。
身体を横に倒したまま、叫ぶ。
「ちょ~っと待ったのじゃ!」
「あれ、シャルだ。居たのかい。そこに居たのは木の精霊さんだったからすっかり気付かなかったなぁ」
「うむ、実は妾も居たのじゃ!
ところでお兄様、妾におやつを与えるという朝の約束を忘れたとは言わせんぞ!」
彼女は髪に生垣の葉っぱを沢山つけたまま、手に持っていた木の枝を此方へ突き付ける。
ああ、そういえばシャルの今日の夢の件でそんな約束したっけ。
取り敢えず彼女の全身に付いた葉っぱを取る事からはじめよう。話はそれからだ。