132 それは君にしか出来ない事
ボクの一番信用している人から告げられた真実は、思っていた通り一番残酷なものだった。
下腹の辺りを様々な怒りの感情が渦巻く。
本当は「調べてくれてありがとう」と感謝の言葉を告げるべきなのだろうが、それが何故だか出来なくて。
頬を伝う熱い雫が、一滴だけ手の甲に落ちた。
それを見るエミリー先生は不思議と苦笑い。
読心術で読むからに、こうなる事が分かっている者特有の感情であるが、同時に貶めようというものはスッポリと抜けている。
そこから形作られる物は、息子の勘違いを正す母親のそれだった。
彼女は手を、ボクの眼前に突き出す。中指と親指を曲げて、爪側を此方へ向けている。
ついでに口も尖らせる。
「な~に早とちりしてるんだい」
───ぺちん。
中指に溜め込んだ力で爪を弾いて、ボクの額にデコピンが飛んできた。何時もはそんな事ないのだが、思わぬ出来事だったのでちょっと痛い。
考える時間はあったのに、それだけ自分の事しか考えていなかったのかも知れない。
真っすぐボクを見るその目は、七年前に初めて会ったその時と変わっていなかった。行商人の娘で、教えたがりのエミリーお姉ちゃんだ。
「まだ私の話は終わっていないよ。人の話は最後まで聞くものさ」
「え、そうなの?」
「うん。ところで敬語が抜けて言葉遣いが昔みたくなってるけど、それで良いのかな?
私は一向に構わないけど」
「あっ!ああ~っ!いやいやいや、よろしくないです!」
何処を掴む訳でもなく両手をじたばたさせるボクを見て、彼女はカラカラと笑った。
そして両掌でボクの頬を挟み、落ち着けと言わんばかりに顔を固定した。続きを語り出す。
「さて。先ずはさ、君にどんな知識があっても私は君を伝説の勇者アダムではなく、アダマス・フォン・ラッキーダストとしてしか見れないと言おう。
確かに彼の記憶を得る事で多少は有利に生きれるのかも知れない。
でも、あの人が生きていた時代の考え方なんかが今の常識に活かせるかと言えば、それはNOさ。寧ろ逆効果になってしまう場合が多い。
大人が知識だけ持って子供になったところで、『大人の頃の経験で無双』が出来るかといえばまた別問題なんだね」
彼女は少し目を瞑って、また開けた。
何かを噛みしめるかのように。そこには嬉しさもあれば、哀しさもある。
「子供の身体っていうのは大人にないホルモンバランスで動いているんだ。脳内物質の割合とかね。
つまり、大人の心を子供の身体に詰め込むと、大人の行動を感情コントロールが未熟な子供の身体で行うから様々な問題が出て来る」
そう言って例を挙げた。
例えば『20分休憩』が与えられて、その間にドッジボールをしに外に遊びに行けるやんちゃ坊主と、一服して終わらせる大人じゃ明らかに感じている時間が違う。
例えば『英雄』の記憶だけ持った子供が、その技術で殺人を行ったら大人の頃は無かった非常に敏感な感受性が罪の意識に引っ張られ続け、何れ本人を追い詰めるトラウマになってしまう。
例えば楽しいと思って一生涯捧げた事が、楽しく感じなくなってしまう。例えば『子供に戻ってやり直したかった事』をやり尽くしても空虚感を覚えてしまう。
症状は多種多様に渡るらしく、手を擦り合わせて、ばらけさせていた。
「かみ合わない」のジェスチャーなのだろう。
「周りだって常識も倫理観も違う。宗教も、時代によっては言語すら違う。
そんな『オカシイ世界』に突然独り放り出された子供だというのに、自分が子供だとも大人だとも認める手段は得られず、自然と頼れるのは自分だけになってしまう。
でも、でもだ……それは同時に、自分が語る事でしか証明できない、形のない『前世』に縋るという事でもある」
つまり『自分はかつて別の人間だった』と、思い込んでしまう。という現象らしい。
子供に偉人の伝記を幾つも丸暗記させれば偉人本人になれるのかと言えば、絶対になれない。
それに感性とは生き方ではなく身体に影響するものであるし、性格だって半分はどう教育されたのではなく、遺伝によるものだ。
聞き入っていると、それに合わせて役者の様に彼女も声のトーンを落とした。
「過去の知識から出した結果を他者に分け与えるのは自己が希薄になっていき、エゴの為に使うのなら比例して膨れ上がる過去の影に呑まれ、闇しか見えなくなるその孤独に耐えられなくなってしまう。
だからこの病状に陥った子の大体はね、世界から繋がりを失って狂ってしまうんだ。
自分が自分だと証明できず、自分が何者かも解らなくなってね。
故にマトモな『サンプル』を見つけるのも大変さ……」
サンプルという言葉を付けた時、彼女から強い感情が漏れた。
そういえば彼女の店で雇っている子供達、別に『スラムの子供達』じゃなくて『訳ありの子供達』なんだっけな。
もしかするとエミリー先生の店は、孤児院や学校なんかじゃなくて、障害者施設の方が表現は近いのかも知れないね。
「でも、そんな子達が沢山居る中で、君は『子供として生きる自分』を作って、自分として此処まで生きてきた……」
一拍。
彼女は唾を飲み込んだ。
確信があったのは、ボクも同じ気持ちで唾を飲んでいたから。
「君はあくまで【アダマス】として得られた環境、子供としての感受性、そして12年間。
……この時代で熱心に努力して得た知識や技能を精一杯使って、この時間でしか出会えない私達と繋がり、幸せに導いてきたじゃないか!
それは君にしか出来ない事なんだ」
先程までボクをからかっていた筈の彼女の頬には涙が垂れていた。どう、口を形作ったら良いのか分からないようで、顔をクシャクシャにしていた。
肩を震わせ、眉をハの字に歪ませ、ただ哀しんでいた。
「だから、さ。自分が単なる容れ物だなんて、そんな哀しい事思わないでくれよ。七年前のあの時から、待って待って考えて考えて、やっと一緒になれたのに、さ……。
大丈夫だから!自信を持って良いんだ!君は……アダマス君はちゃんと此処に居るんだから……さ」
感情的でかなり身勝手な理屈だ。でも、ボクとしても同感だった。
だからボクは、再びエミリー先生の顔に近寄ると、その頬の涙の跡を舐め取る。先ずはしょっぱいなあと、そう思った。
そして彼女の華奢に見える身体に抱き着き、肩に頭を乗せ、彼女が行ったように耳元に囁く。
噴水で大抵の音は隠れるのにである。
「……ごめん」
「うん。今回は特別なんだからね」
言って彼女は、離すまいと力強く抱き返した。
水飛沫の中で人肌に包まれて、内側からぽかぽかと。とても心地よいものに感じられた。
ボクは確かに初代様ほど優れちゃいない。
でも、この人達を愛し幸せに導く事は、今を生きるボクにしか出来ない仕事だ。
只、心に杭を打つような感覚でそう感じた。この想いはきっと、一生変わらないだろう。
読んで頂きありがとう御座います。
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