130 先生と庭でお茶会を
ぐー、ぱー。ぐー、ぱー。
生垣に囲まれて。開閉する手の平を眺めながら道を歩く。
だからボクは下を向く。
生垣の向こうからは戦争の為というより、自衛の為のサーベルの訓練の声が聞こえていた。
佩いていた剣を少し抜く事で受け止め、そのまま受け流す事で力のベクトルを逸らし、抜きかけの刃を大きく引き抜いて刺客の首に持っていく。
もしくは受け止めたまま拳銃を突き付ける。
竜殺し等の魔物狩りで成り上がってきた貴族などからは「それでは対人特化過ぎて魔物を倒せない」と言われる時もあるが、その通りだ。
銃撃で割とどうにかなる今時、危険を犯してまで剣で魔物と戦う者は居ないのだから。そうした方々には我流の剣術を長期休暇にでも取り込んで頂きたい。
何となく溜息が漏れた。
この場合、剣は要らないと言った初代様の言葉は果たされたと言えなくもないのだから。まあ、平和なのは良い事だ。
ボク自身の問題が解決する訳ではないが、そんな事をふと考え、何となく心が軽くなる。
今なら空にも手が届くのではないか。そんな馬鹿みたいな事を考え、視線を上げようと下腹部に置いていた手を持ち上げようとする。
そして手の平が、ふにっと柔らかいものを掴んだ。
位置は丁度、頭の辺り。
「ん?んんっ?」
なんだろう。
手の平を開閉させるのと同様の動きでニギニギしていても、やはり柔らかい感触が返ってくるだけだ。しかしこれは、最近どこかで揉んだ事のある柔らかさ。
揉みながら首を捻って、大層な笑顔でおやつを食べるシャルの顔が浮かぶ。その口には、パンケーキ……。
そうかっ!この柔らかさは何時ぞや食べたパンケーキだ!
すっきりしたので勢いよく前を向く。難問の解を求めたボクの目の前には明るい未来が待っている。そう思いたい。
「クフフ。やっと目を合わせてくれたね。アダマス君」
目の前には、蠱惑的な笑みを浮かべるエミリー先生が立っていた。ボクを見下ろす彼女は艶やかな黒髪を掻き上げる。
え、パンじゃ無かった。じゃあボクは何を掴んでいたというのだ。手元に視線を移すと、そこには立派な女性特有の胸のふくらみが掴まれていた。
彼女は柔らかい言葉を綴る。
「それで、随分熱心に私のオッパイを揉んでいたけど、気持ちいいかい?もう良いのかな?」
ボクは顔を真っ赤にし、焦って手を放す。
「あ……はい……。気持ちよかったです……大丈夫です」
「くふふ。それは良かった」
しかし彼女は気にする様子もなく、寧ろ胸を寄せて持ち上げた。更に誘惑するようにユサユサと揺らしてくる。
向こうから抱き着かれた時によく触れているし、婚約もしているから特に許されない事では無い筈なのだけど、不思議な事に何故か物凄くいけない事をしている気分になってしまう。
エミリー先生は胸を揺らすのを辞めると、ボクをジイと見て笑みを尚深くした。
「でだ、そんな深刻な顔をしてどうしたのかな?」
「分かります?」
「まあね。何時もアダマス君の事を考えているのもあるけど、最近の君はもっと分かりやすくなった」
とことことボクの隣に歩み寄り、彼女は恋人繋ぎで手を繋ぐ。
そのまま人差し指を伸ばしてボクの頬を、嬉しそうにツンツンと突き出した。
えへへと、童女のような笑いが浴びせられる。
「それって良い事なんですかね」
「そりゃ、ずっと不愛想な顔よりは良い事さ。政治にはポーカーフェイスが便利なんだろうけど、私にはこっちの方が好きだな」
「そうですか……ちょっと、良いですか?」
「勿論さ」
そう言ってボクは手を繋いだまま歩き出すと、エミリー先生は細かい事情を何も聞かず、ニコニコと笑ったまま付いて来てくれた。
目的地に着くまで話題がないのもどうかと思うので、せめてボクから話題を振る。
「そういえばボクは仕事の休憩の散歩なんですけど、エミリー先生はどうして此処に居たんですか?」
「私かい?
今日の私は先生を頼まれていたんだ。それで見ての通り講義が終わったから、この庭に生えてる錬金術の素材を眺めている最中だったのさ。
何か欲しいものがあれば摘んで良いって言われているしね」
「あ~、なるほど」
昔から教えるのが好きなエミリー先生はボクの家庭教師であるが、修業生達に錬金術の科目を教えたりもしている。
尚、講義はボクの家庭教師が優先なので、修行生達に何時教えるかは彼女の自由意思の特別講師扱いである。
しかし美人な上に内容も濃くて分かり易い彼女の授業は評判が良い。
ボクも今日の様に仕事が入っていなければ聞きに行っている講義のひとつである。
なので、個人的には少し残念だった。
さて、と。
暫く歩いたボクの目の前には何の変哲もない噴水が現れた。
強いて言うなら、庭園中心のものよりは飾り気が無いという事くらいだろうか。
それでも中央には水を噴き上げる美術品の像が置かれている。
そして噴水を眺める為、丸太を横に倒して作ったように見えるベンチが在る。周りは、濃くて高い生垣に囲まれて見えないようになっていた。
エミリー先生は感心したように見回す。
「おお~。こういう空間って中々見ないけど、やっぱ君ん家にもあるんだね。
そこは一見のどかに見えるが、何か秘密の話をしたい時に使う我が家の『密室』だった。
音は噴水の音でシャットダウンして、視界は生垣で防ぐ。そして、此処に来るには迷路のような通路を決められた道順で通らなければいけない。
我が家の広い庭園にはこういった空間が幾つもあり、大貴族になる過程で随分と茶会の名目などで『愛用』されてきたそうである。
彼女は一通り見た後、ヒールを支点にくるりと体を回してボクに言った。
何時も思うけど、頑丈なヒールだよなあ。スカートが長くて構造までよく見えないけど。
「それで……やっぱ『あの夢』の事かな」
「え、分かるので?」
「まあねぇ。君が昔、悩みながら私にその話を持ってくる時もそんな感じの表情だったよ」
彼女はそう言って、左手で髪を搔き上げる。
薬指にはボクが昔プレゼントした玩具の指輪が太陽に反射し、透き通って見えた。