129 土下座の勇者
彼の名を聞くと、『ボク』は立てた親指を自身に突き立てた。
裏表隠す必要のない愉快な気分だ。だからニヒルに笑ってみせる。
「そうかタークル。俺はアダム……【アダム・フォン・ラッキーダスト】だ。
まあ、こないだ貰った苗字だけどよ」
「ん、うん……そうか、アダム。こうで良いのか?」
「ああ、それで良しっ!」
タークルは処刑台に立たされたような気分からの予想外の返答に、どう反応していいか分からない様子だった。
彼の瞳には元からの性格もあるのだろうが警戒の色が窺える。
そんな心情を知ってか知らずか、『ボク』は上半身を前のめりに近付けた。
「まあ、早まるなよ。別に殺す気はねえんだ」
「だとしたら考えられる事は、だ。
王国の犬として奴隷を連れ戻し、再び搾取にでも来たのかね」
「あっはっは、半分当た~……おっと」
「半分当たり」と言いかけると、側頭部に向かって矢が飛んで来た。
会話を聞いていた湖賊の一人によるものだという事は間違いない。文字通り、一矢報いたかったのだろう。
尚、この矢を射たのはクロスボウだが、参考までに現代におけるアーチェリーの速度は時速約230kmだと言われている。
しかし『ボク』は、『先読み』の二つ名を持つ勇者だ。
頭を後ろへ動かし、簡単な事のように回避した。
上体を素早く後ろに反らせる、ボクシングにおけるスウェーバックの要領である。更に、鼻先を通り過ぎようとした矢をパシリと空中で掴んでみせた。
「おお~、怖い怖い。まあ、最後まで聞けよ」
それでも『ボク』は特に怒らずに、へらへらと笑うのみだった。
掴んだ矢はくるりと回されてタークルに渡された。
そんな態度に射た側もどうしていいか分からなくなり、全員が黙って聞くしかない雰囲気が作られる。
「俺がやりたいのはタークル、お前さんと一緒さ。
俺一人……いや、二人か。まあ、少数じゃどうにもならない大きな物を作りたいから手を貸して欲しい。そこに王国の思惑は関係無い」
「奴隷として、そして逆賊として王国に虐げられてきた者達に信じろと?お前の言う事に根拠はあるのか?」
「無い……と、言ったらどうする?」
「刺し違えてでも貴様を討たせて貰う」
タークルは腰の細剣の柄に触る。重心が読み取り辛く、それだけで達人と解る。小舟をピリリとした空気が漂った。
そんな中で『ボク』は真剣な表情で狭い船床に両手と両膝を付いた。戦う姿勢ではない。
直後の事だ。
なんと『ボク』は、頭を船床に擦り付けんばかりに下へ落としたのである。
「だが、それを承知で敢えて言おう。無いっ!
頼む!この通りだ!どうか俺に協力してくれ!小さな集団を此処まで大きくしてきたお前と、此処の奴等の力が、是非欲しいんだ」
それは、一部の地方で『土下座』と呼ばれる頼み事の仕方だった。
周りは今まで自分達を暴力で制圧してきた男の突然の変わりように、再びどう反応していいか分からない様子だ。
ただ、そんな中で素早い対応が出来たのは、皆の命を背負うタークルだった。
ジト目のタークルは呆れたような表情で、首だけ動かして周囲を流して見た。
見る方向は瓦礫ではない。その上に居る仲間達である。
「……死亡者は一人も無し。私を殺す場面も幾らでもあった。
なあ、教えてくれないな。何が貴様をそこまで動かすのだ。
今まで話してきた限り、名誉を求める程国に魂を縛られてもなければ、意地でも開拓してやろうという程、土地に思い入れがある訳でもないではないか」
『ボク』は顔を上げる。
タークルの瞳には、なんとも情けない姿が映っていた。それでも、顔つきに迷いは一切ない。
自分の顔だけは恥ずかしいものでない事を確認すると、まるで父上のように『ボク』はニカリと歯を出して笑った。
「夢さ。俺の唯一の夢。
何も無かった俺に、たった一人の親友から託された唯一の中身なんだ!」
「……」
タークルは腕を組み、目を瞑り、眉の間に皺を寄せた。
ボクでは想像もつかないような高速思考か脳内で行き交っているんだろうなあ。
数秒の熟孝の末にゆっくり目を開けると、両手を『ボク』の頬に挟むと、引っこ抜くように持ち上げて自分と同じ視線に座らせる。
「いででででっ!なにすんだ、全力で頼み込んでいるというのに」
「分かったから。手伝ってやるから、もうやらなくて良いって事だ」
「「……」」
腕を組んでふんぞり返るタークルを、少し驚いたような表情で見る『ボク』。
「マジ?」
「マジ」
「作ったものに責任持たなくていいの?周りの集団とか」
「責任を持つかは、作ってから決める事にさせて貰う。
後、打算的な事を言うなら此処で刺し違え損ねたら、お前なら別のところに似たような話を持っていくだろうと確信した。
なら、目の届く所に置いておいた方が良いと思ってな」
彼は立ち上がると周りを見て、意味ありげに空を仰いだ。
溜息を付いて、言葉を繋ぐ。
「で、私達の艦隊を吹き飛ばした『アレ』って、結局なんなんだ?」
「正直俺にも解らん」
タークルは片手で額に手を当て、頭痛に悩まされるようになるのだった。
これ以来、このポーズが『ボク』の破天荒っぷりに悩まされる彼のデフォルトになる事を、彼はまだ知らない。
◆
はっ!
なんか、とてつもないアホになるとんでもない夢を見ていた気がする。
上半身だけ起こすと、腕にしがみ付いて幸せそうに眠っているシャルがいて、ちょっとホッとした。ハンナさんは流石に忙しいのか、もうボクの部屋には居ないそうだ。
仕事はどうなったのだろうか。
机を見ると、綺麗に終わらされていた。
ハンナさんとシャルがやってくれたのかも知れない。そう考えると隣で眠る妹がもっと可愛らしいものに思えて、額を撫でていた。
このまま起こすのも忍びなく、ボクは部屋を出る。
実は少し部屋を出て頭を整理したい事情もあったのだ。
ボクは『ボク』の夢を見た時のお約束の仕草として、手の平を開閉させて、そして扉を開ける。
孤独でありたくない。
されど、まるで実体験したかのような夢を幻の一言で片付けるのもモヤモヤが残るという、矛盾した想いがある。
そんな事を思いつつ、シャルを起こさないよう静かに扉を閉めて部屋を出たのだった。