127 痛いの痛いの飛んでいけ
ええと、ルパ族はアイウ山麓の森番、川、草原の警備員としての俸給に、税として牛、羊、山羊etcetc……。
家臣や従者にどれ程の俸給を与えているか。何処からどれ程の税を得ているのか。そこに計算違いは無いか等、愛用の万年筆でサラサラと羊皮紙に書き込んでいく。
朝ごはんを終えたボクの机には、領主代行としての書類が束になって積まれていた。
日常茶飯事ではあるが、今日は一段ともっさりしてるのが印象的だ。
理由は持ってきてくれた時にハンナさんが言ってくれた。
どうも今日は王都で議員をしている貴族が面会に来ているらしく、普段の仕事が出来ない。
そのしわ寄せがボクに来ているのである。
とはいえ文句を言う訳にもいかないのは、ボクに判断の付かない仕事は全て近くの机に座っているハンナさんがやってくれているからだ。
その隣ではシャルがせっせと簡単なチェック作業を行ってくれている。
だけど弱音を吐く権利くらいはあると思いたい。
「あ~、手首痛くなってきたかも」
ボクは頬と肘を机に付けて、万年筆を上に掲げる。
普段はこの辺で終わっているんだけどなあ。ああ、ボクに父上くらいの持続力があればなあ。
「えっ!大丈夫なのかや、お兄様っ!」
シャルが駆け寄り、ボクの手首を細工物にでも触れるかのように握る。
仕事も放り出して、外聞も気にせず心の底から大きな声を出して。
アーモンドのような形をした目は驚愕で見開かれており、猫の様になっていた。そんな様子を見て、つい万年筆をキャップに納めていた。
そしてボクの手首を握るその手を、更に上から片手で包んで見せる。
キャップに納めたのは、これで彼女の白い指にインクが付かないようにする為だ。
「ん~、大丈夫さ。単なる弱音だしね。少し休めば治る程度さ。ところで、シャルの方こそ頬がほんのり赤いけれど大丈夫かい」
「え、ああっ!これはお兄様の指が綺麗だなって……いやいや、そんな事よりもてっきり腱鞘炎にでもなったのかと心配したのじゃ」
「ああ、心配させて悪いね。大丈夫さ、うん」
このペースを毎日続けていればそれもありえただろう。デスクワークはこれが怖い。
思うが、ホッとした彼女の顔を見ると言うのが躊躇われ、柔らかめの指をまた撫でる。
そういえばこんな風に弱音を吐く事も今までは無かったっけなあ。
今まではボクが書類を片付け、同様に書類仕事中のハンナさんがそれを確認する形だった。
文句は我が儘にしか思えなかったし、一対一の状況では独り言のような弱音だってハンナさん個人に甘えているようで申し訳ないと溜め込む癖がついてしまったのだ。
でも、シャルが来てからは、仲間内の会話みたいで他にも聞いてくれる人は居るし良さげと思えてきた。
これくらい、流石に皆も思っているんじゃないかなってさ。
「やっと素直になってくれましたね。坊ちゃま」
「……ぅおっ!」
何時の間に近づいたのやら。当のハンナさんが目の前に居た。
本来はシャルの様に目を見開くべきなのだろうが、少し瞼が上がった程度でジト目の域を出ていない程度に収まる。と、瞼の感覚からそう思う。ボクの主観であるが故にだ。
取り敢えず、刺さりそうな睫毛が鬱陶しい。
ただ、口を微妙に開閉させながら視線をハンナさんの席に向けた。あれって確か、父上の手から離れたものの、ボクの手に負えない結構重要な仕事の筈だよね。
しかし彼女は気にしないように軽く流す。
「あら、構いませんわよ。
雑務などより、坊ちゃまが身体を崩してしまう方がよっぽどの大事ですから」
領主としての大切な仕事を雑務と言ってしまうとは……。
人によっては反逆とも取られかねない言葉であるが、ハンナさんが言うと寧ろ「ホントは直ぐに終わらせられる仕事だけど、皆のペースに合わせて貰っております」程度にしか聞こえない。
なのでボクは心の片隅で安心して後頭部をハンナさんに撫でられると、そのまま胸と手に顔を包まれて、抱かれていた。
痛みがあった筈の手首が、ぽかぽかと温かくなってきて痛みが引いていく。
「いたいのいたいの、とんでいけ。なのです」
もう領主代行だし、いつまでも子供をしている訳にもいかないんだけどな……。
普段ならそう言っている筈なのに、今はそんな気にならなくて、ハンナさんに体重を寄せて『甘えさせて』もらう事にしよう。
ああ、いけないなあ。このままじゃ頼り切りになってしまいそうになる。
───もっと弱音を吐いたって良いのですよ?
ぼんやりとする中、そんな言葉が聞こえた気がする。
そしてボクの意識は、夢の世界に落ちていた。
◆
周りは大理石より白い石の壁。見渡せども窓の姿はなく、此処が地下に当たる場所と推測できる。朝の夢で見た神殿の地下だろうか。
光源は不明だが、高品質の魔力灯よりかなり明るかった。かなり部屋が綺麗に見渡せる。
因みに魔力灯とは、光る性質を持つキノコを材料に、錬金術で合成した試薬をスポンジ状のものに染み込ませ、必要時に紐とスポンジ内の器械を連動させてガラスの入れ物内のガス及び魔力と反応を起こさせて光るといった代物である。
父上の部屋のシャンデリア他、現代の代表的な光源だ。
昔は光るキノコを籠等に入れてそのまま使っていたらしい。
と、話が反れたが、そんな魔力灯を超える綺麗な明かりに照らされる机が目の前にあった。
その上には、細くとも筋肉が付いていると分かる腕がある。これは、『ボク』視点なので、『ボク』が机に突っ伏していると分かった。
「ああ~!やだやだ~、めんど~い!」
『ボク』は弱音を全力で吐いていた。
おいこら、伝説の勇者。
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