10 お忍び服に着替えよう
ハンナさんに案内された部屋は、服と言う服がハンガーにかけられ、所狭しと並んでいた。
広さは平民の四人家族が慎ましく暮らしていけそうなマンションの一室といったところだろうか。
作業員の着るオーバーオールや農民の着るチュニックなど、種類は様々で、知らない人間が見れば古着屋などと勘違いするんじゃないだろうかね。
とはいえボクは古着屋を見たことがない。書類の一行にでも税収が書かれて終わりだ。
だから今まで想像するしかなかったのだが、実際に見てみると圧倒的な布と染料の香りに息を呑む。
因みに隣のシャルは、今にも飛び上がりそうなテンションを胸に秘め、キョロキョロと周りを落ち着きなく見回していた。
女の子はこういう時、真っ先に色々な服を試すものじゃないのかと考えていたから意外だ。
「シャル、なんか着てみたい服とかあった?」
「う-む。色々と目移りはするのじゃがいざ目にすると『これだっ』て呼べるものがなくての。かなり考え込んでしまうのじゃ」
何だっていいんじゃないと思っていたけど、着るべき服が予め頭に入っていないならそんなものなのかも知れない。
思いつつ、ボクは目に留まったシャツを手に取る。
何時もの貴族用礼服などの仕事着ならハンナさんに着付けの全て任せてしまうが、これは別だ。
前々から着てみたい種類の服だった。
と、いうのも窓から望遠鏡で覗いては、自分が着ても良いんじゃないかと考えていたんだ。
錬気術による織物の大量生産によって、庶民の中で貴族も驚くような様々なお洒落が生まれているのである。
付け加えるならボクの机の引き出しには、それらを基にした『ぼくの考えたさいきょうの服の組み合わせ』の落書きがファイル形式で大量に詰まっていたりする。
恥ずかしいので誰にも言っていないけど。
「あら、坊ちゃまはブラウスですのね」
「まあね。よく窓から見えるからこれで良いんじゃないかなって。これにロングスカーフとベストとか付けてみたり」
「ウフフ、確かに最近流行ってますものね、素晴らしい判断ですわ」
チラリと横目に見えた試着用の鏡に映ったボクの表情は、あくまで何となくを装ったとても涼しいものだった。
因みにスカーフのデザインは細かく指定して、幾つか手に取っていく。
最中、気になる事がひとつ。
鏡越しには焦げ茶色のカボチャパンツを両手に持って、うんうん悩むシャルの後ろ姿が見えていたのだ。
ところでカボチャパンツといっても下着のドロワーズの事じゃない。
昔の絵画や叙事詩などに見られる、いわゆる王子様パンツの「オードショース」と呼ばれるものの方だ。キュロットの原型である。
「なにかお困りかな?」
「そうじゃのう……、なあ。こんなの妾が履くのは変じゃないかのう」
眉に皺を寄せながら、意味もなくカボチャパンツをひっくり返しては元に戻す不思議な挙動をし、不安いっぱいの声を当ててくる。
それに対して正直な感想を言った。
「別に良いんじゃない?」
「ほ、ホントかや!?スカート以外に履いた事が無いから不安なんじゃが」
「うん大丈夫。シャルみたいな体格の子が似たようなの履いているの何度か見るけど、特に変と思ったことはないね」
つい、窓から湖の方を覗いている最中に好みのタイプの女の子が通り過ぎると、ジィと細かく見てしまうので、記憶違いが無い事には自信があった。
その度に似合いそうな服を落書きしていたものだが、此処で試すのも丁度いいのかも知れないね。
「寧ろ活発なシャルにはよく似合うと思うかな。
それに、どうせはじめての事なら思い切り大胆になるのもやってみれば良い」
「大胆に……のう」
「そうさ。なんなら組み合わせ手伝おうか」
「おうっ、宜しく頼むのじゃ!」
よしよし、これでモデルゲット。
試してみたい服が他にも幾つかあるんだけど、男がやるとキツいものも幾つかあるしね。
そんな黒い事を考えていたのもつかの間、ボクは驚きの事態に遭遇する事となる。
「それじゃ待っておれ。今脱ぐから」
「……え?」
眼の前に異性のボクが居るというのに、あっという間にシャルが今のドレスを脱ぎだして、下着姿になってしまったのだ。
総シルク製で臍の見えるキャミソールブラ、ホットパンツに近い丈をした丸めのドロワーズ。
一昔前の下着なので正直今基準だと庶民の運動着くらいの布面積だったりもするのだが、シャルとしては良いのかコレ。
そりゃ確かに大胆にとは言ったけどさあ。
突然の事に判断が鈍ったボクに対し、キョトンとしたシャルの顔が向けられた。
「どうしたのかやお兄様。固まってしまって。早う選んでくれい」
「あ、ああごめん。ただシャルの実家って、人前で着替えるのが普通だったりするの?そこが気になって」
「特にそういう訳ではない。
しかしメイド達が着替えさせておったから、特に人前で着替える事に抵抗はないぞ」
フンスと腰に手を当てて下着姿で仁王立ちする彼女には勇ましさがあった。
でも違う。そうじゃない。
「そりゃ大体の貴族はそうだよ。ボクだってハンナさんに着替えさせて貰ってるし。
でもボクって着替え用のメイドでもなくて、普通に異性だったりするけど、そこんとこは良いの?」
「お兄様は義理とはいえ家族じゃから良いのじゃ!」
ボクへ元気よく指を突きつける。
こりゃ相当の箱入りだぞ。まあ、ボクとしては損するものでもないし、ハンナさんも何故か止めるでも無しニコニコ笑っているし、さっさと着替えさせようか。
思い、カボチャパンツを手に取った時だ。小さな呟きを耳が拾う。
「それに……あいつらに着替えさせられるなら……優しくしてくれるお兄様にやって貰う方がずっと良いし……」
それは先ほどまでのシャルとは違ってとても冷たいものだったが、小声だったので聞かない事にした。