第8話 道中の出来事
ウォーカー男爵領はロイレア王国の王都セラントから遠い。
早馬で昼夜問わず駆けても2日~3日、今回のように馬車で隊列を組んで進むと6日~7日は掛かる。
この世界には、日本の様に自動車や鉄道のような便利な乗り物は存在していないし、よく使われる馬車の動力は名前の通り馬なので、休ませながら進んでいく必要がある。
道中は、天候にも左右され、雨が降ったら立ち往生して何日も足止めを食らうのはざらにある。
雪が降ったらすぐに除雪してくれる高速道路、精密なダイヤグラムで定時運行する鉄道、日本の交通インフラがどれだけ優れていたかを感じさせられる。
さて、ポール兄さんの妻になるオリーヴ義姉さん達を加えた俺達ウォーカー男爵家一行の旅は一日目、二日目共に好天に恵まれ順調な道のりだった。
今日、三日目もここまでは順調に進んでいる。
太陽は高く昇っている、日本で例えれば正午前後だろうか。
男爵家一行は、昼食と馬の休息を兼ねて、街道沿いで休憩を取っている。
冷蔵庫なんて便利な物はないので、こういった旅での食事は、鉄の様に堅いパンとしょっぱい干し肉で済ませるのが定番だが「美味しい食事は活力を生み出す」というピーター父さんの方針によって、同行している料理人は全力を尽くしている。
保存が利くジャガイモと玉葱、付近に住む猟師から購入した野兎の肉でシチューを作るようだ。辺りには良い匂いが漂っている。
「オリーヴ様の体力は凄いですね」
料理風景を眺めているとエセルがやって来る。感心と呆れが混じっている。
「変化なしか」
「はい。甲冑姿のままです」
全身金属で覆われている甲冑の重さは推定で数十kgはするはずだ。
関節の動きにも制約が掛かるので、いくら馬車に乗るとはいえ、体に相当な負担が掛かる。
当初、俺もエセルも、オリーヴ義姉さんはすぐにすぐに音をあげて甲冑を脱ぐと思っていたのだが、これまでずっと甲冑姿のままだ。中身を一度も見た事はない。
さすがに夜寝る時は甲冑を外していると思うが、宿に入ってしまうとオリーヴ義姉さんは部屋に閉じこもったきりになって人前には出てこない。その間の世話は全てオリーヴ義姉さん付メイドのアニーがやっている。
「アニーさんも大変ですよね。ここまでの道中、ほとんど一人でオリーヴ様の世話をされているのですから。あっ、噂をすればアニーさんです」
エセルの指摘の通り、馬車の扉が開き、中からアニーが出てくる。
扉の隙間から見える馬車の中には座ったままの甲冑がいる。
「アニー、お疲れ様」
「リック様、エセルさん、お疲れ様です」
俺が声を掛けるとアニーは立ち止まり、俺に笑顔で挨拶をする。
大きな水瓶を両手で抱えている。
近くに泉があるから、水を汲んでくるつもりのようだ。
「手伝うよ」
俺はアニーから水瓶を取り上げると、泉へ向かって歩き出す。
「リック様!」
アニーは慌てている。
そうだろうな。貴族の人間がメイドの代わりに物を持つなんて、この国の常識では考えられない事だ。
「いいから」
だけど、俺はそんな事は気にせず、水瓶を抱えたまま泉へ歩いていき水を汲む。
多くの量が貯められる水瓶の様だ。水瓶その物の重量と合わさって重たい。缶ビール4ダース程度の重さだろうか。
持てなくない重さではあるが、女性ではきついと思う。
アニーは、俺達に助けを求める事はほとんどせず、実質一人でオリーヴ義姉さんの世話をしてくれているのだ。
これくらいの重労働は俺がやって、彼女の負担を少しでも軽くしてあげたい。
「ここで良いか」
水で満たされた水瓶を馬車の前に置く。
本当は馬車の中まで持っていきたいのだが、オリーヴ義姉さんはアニー以外の人に入って欲しくないそうなので仕方がない。
「ありがとうございます。助かりました」
水瓶を運んで汗だくになった俺にアニーは頭を下げる。
「これからオリーヴ義姉さんとは家族になるんだ。気にしないでくれ。そしてアニーも何かあったら遠慮なく俺を頼ってくれ。力になる」
俺は胸を叩く。
「はい」
アニーは笑顔で返事をする。素敵な笑顔だ。見ているだけで心が癒される。
「リック様、ご飯ですよ」
突然、背後からエセルの声が聞こえる。いつもより声が低い。何かあったか。
見ると、彼女はシチューとパンが乗ったトレーを持っている。
「こちらは、オリーヴ様とアニーさんの食事です」
そう言ってエセルはアニーにトレーを渡すと、俺の腕を掴む。
「リック様はこちらに用意してあります」
「アニー、また後で」
「はい。ありがとうございました」
アニーへの挨拶もほどほどに俺は半ば強引にエセルに引っ張られたのであった。
「リック様はアニーさんに優しいですよね」
シチューを食べているとエセルがそんな事を言ってくる。
「ふぉんふぁふぉふぉはふぁいふぉ」
ジャガイモを頬張りながら俺は否定する。
「本当ですか」
エセルはジト目で俺を見つめる。
思わず俺は目を逸らす。
エセルに指摘された通り、俺はアニーに優しくしている。
水汲みもそうだが、これまでの道中、アニーの雑用を率先して俺が引き受けている。
もしかしたらエセルよりも働いているかもしれない。
理由は勿論ある。
これから義姉になる人の付き人だ。それも現時点で唯一接点があるのがアニーだ。
今後、オリーヴ義姉さんとの仲を円滑にしていく為にも、アニーとコミュニケーションは取った方が良い。
だが、それは建前。
俺はアニーが気になっている。
黒い髪はボサボサ、前髪で顔も隠れてしまっていて、野暮ったい印象を受ける。
しかし、肌は色白で絹のように綺麗だし、前髪の奥から時折のぞかせる澄んだ瞳と蕾ような可憐な唇は魅力的に映る。
また、デザインセンスのないダボダボのメイド服をきているので分かりづらいが、均整の取れた美しい体つきをしている。
そして、誰にでも優しくて常にニコニコ、笑顔を絶やさないという性格の良さ。
今はダイヤの原石と同様、地味で目立たないが、磨けば磨くほど、魅力あふれる素敵な女性になる!そう俺は確信している。
「リック様はアニーさんみたいに清楚な女性がタイプなんですね。それならエセルも見習います」
エセルは握り拳をつくって気合いを入れている。
頑張るのは良い事だが、この子は気合が入ると空回りしてしまうタイプだ。
ここは釘を刺しておいた方が良さそうだ。
「ありのままのエセルが一番魅力あるし、俺はそれが好きだ。無理して自分を変える必要はない」
「それは暗にエセルが清楚ではないと言っているのですね」
文句を言っているが、風呂場であんな事をやっておきながら清楚は無いと思うぞ。
ただ、言葉に反してエセルの表情はにやけている。
シチューを食べながら「うふふ」と一人で笑っている。
何か変な事を言っただろうか。
思い返していると、近くで怒鳴り声が聞こえる。
「邪魔だ!」
俺は食器を置き、声が聞こえた方へ向かってみる。
そこには、見慣れぬ中年の男性がいる。
髪を七三に分け、仕立ての良い服を着ている。一見するとビジネスマンに似ている。
ウォーカー男爵家の使用人数名と言い争っている。
「何事だ」
俺は使用人達と七三分け男の間に割って入る。
すると七三分け男は「小僧は引っ込んでいろ」と怒鳴り出す。
使用人達の顔は青ざめている。
どうやらこの男、見た目はビジネスマンでも中身はゴロツキらしい。
「俺は、ピーター・ウォーカー男爵の二男リック・ウォーカーだ」
俺の正体を知って七三分け男は驚きの表情を見せるが、すぐに薄ら笑いを浮かべる。
これは、相手にしたくないタイプの人間だな。関わらなければ良かった。
「これは、これは。見た目が貧相な余り、男爵様のご家族とは分からず無礼致しました」
喧嘩売っているのか!
うん。間違いない。この男は挑発をしている。
「何の用だ」
俺は努めて冷静に話す。
「我が主人の馬車が通れないで困っているのです。速やかにどいて頂きたい」
七三分け男が示す先には、一台の箱馬車が停まっており、綺麗な装飾が施されている。
きっと中にはどこかの貴族が乗っているのだろう。
通行の邪魔だから動け
七三分け男の主張は筋が取っているように見えるが、実際は違う。
確かに俺達ウォーカー男爵家一行は街道沿いで休憩をしているが、街道を占拠している訳ではない。道から外れた場所に留まっている。
俺達が動かなくても馬車は普通に通る事ができる。
どうやら言い掛かりをつけられているみたいだ。
「動く必要は……『ひーひっひっひっひっ』」
無いと断ろうとしたが、それは聞きなれた下品な笑い声によってかき消される。
いつの間にか俺の隣には父さんが立っていた。
「不愉快な声が聞こえたと思えば、下賤な成金貴族ではないか」
父さんの笑い声が聞こえたらしく、馬車から一人の男性が降りてくる。
でっぷりお腹に五重顎の男性だ。首は見えなくなっている。よく肥えた御方だ。
「ひっひっひ。これはメタボマン伯爵ではございませんか。お会いできて光栄でございます」
名は体を表すようだ。この世界にはメタボという言葉は存在していないが。
「余は急いでおるのだ。早く道を空けろ」
「ひっひっひ。分かりました。おい、皆移動するぞ」
メタボマン伯爵の言葉に父さんはすぐに反応する。
いくら身分が上の貴族とはいえ、卑屈すぎないか。
そうこうしていると、使用人達は街道から離れた場所へ移動した。
「ふん。最初からこうすれば良かったのだ」
七三分け男は、鼻を鳴らしてから出発していった。嫌な奴だ。
遠ざかる馬車を見ながら思わず俺は唾を吐く。
「ひっひっひ。だいぶ頭にきたようだな」
そんな俺に父さんが近づいてくる。
メタボマン伯爵への対応に、別のやり方があったのではないか。毅然とした態度で断れば良かったのではないか。
そんな思いを言葉にしようとするが、その前に手で制される。
「名を捨てて実を取れ」
父さんは俺にしか聞こえない声で呟く。
「いいか、リック。自分のつまらない面子にこだわっても銅貨一枚の得にもならない。むしろ損だ。無用な喧嘩をして敵をつくるなら相手を立てろ。それが貴族の処世術だ」
そして父さんは別の所へ行く。
なんか父さんは、貴族と言うよりも商人だな。それがウォーカー男爵家を大金持ちに導いたかもしれないが。
「名を捨てて実を取れ」
俺は父さんの言葉を反芻したのであった。