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第69話 未練

 数日前、俺はポール兄さんと喧嘩(けんか)をした。

 喧嘩より言い争いと表現した方がいいかもしれない。

 理由は屋敷の予算の使い方についてだった。

 ピーター父さんは、予算の枠内で収めれば口出ししてこなかったが、兄さんは色々と指摘してきた。

 それ自体は当然だと思う。兄さんは当主代行として皆を導く責任があるのだから。

 ただ、指摘してきた事について、俺が「こうした方が良いのでは」と意見を述べると、兄さんはあからさまに不機嫌になり、言葉を重ねる内に言い争いになってしまった。

 自分の考えを押し付けないで、人の意見を聞いて欲しいと思う。

 最終的に俺の方が折れて、この問題は終結したのだが、この先、兄さんと上手く付き合っていける自信を失ってしまった。

 それは、父さんの死後、俺の将来への不安にも繋がっていた。

 最近、悪夢にうなされるのは、その事が原因なのかもしれない。

「主さん、男爵様と話をした方が良くないかな」

 シェリーが言う通りだと思う。

 俺はピーター父さんと話がしたかった。

 立派な人だと思っていたが、最近はその存在の大きさをひしひしと感じる。

 ウォーカー男爵家のこれからの事、兄さんの事、そして俺の将来の事、父さんに相談したい、じっくりと話し合いたい。

「だけどもう(かな)わないんだよな」

 父親というのは元気な時は面倒な存在だが、失って初めてその偉大さに気が付く存在のようだ。

 俺はため息を吐く。

「主さん、出来るじゃない」

 シェリーは半ば呆れたように言う。

「ラストを使うのか」

 シェリーはコクンと頷く。

タイム(Time ) オブ(of) (the) ラスト(last)

 商人アーノルドが俺に売った毒薬だ。

 どんな病人でも飲めばたちまち元気になるが、5日以内の確実に死ぬ。

 彼女が言う通りラストを飲ませれば父さんと話が出来るだろう。

 しかし、その先に有るのは確実な死だ。

 これから奇跡が起きて父さんが回復する可能性だって0ではない。蜘蛛の糸のように細いかもしれないがあるかもしれない。

 その芽を摘んでしまって良いのか。

 いや、違う。

 前世日本人だった頃の記憶が残っているせいだろうか。俺は人を殺す事に恐怖を抱いている。

 飲ませたら5日以内に確実に死ぬ。それは俺にとって殺人と同義語だった。

「主さん」

 シェリーが柔らかい声で話し掛ける。

 聖母の微笑み。

 そう思える程、彼女の表情は優しい。

 こんなシェリー初めて見た。

「ウォーカー男爵領へ来る前、うちは王都の教会にいた」

 それは誰かから聞いたことがある。

「その頃、教会に毎日礼拝に来る鍛冶師のおじさんがいたんだ」

「信心深い人だな」

「そうだね。おじさんには長年連れ添った奥さんがいて、話をする(たび)に『奥さんに感謝している』とか『奥さんを愛している』と言っていたんだ」

惚気(のろけ)だな」

「あはは。うちも最初はご馳走様って思っていたよ。ところが、おじさんは照れ屋で奥さんに一度も感謝の言葉も愛の言葉も言ったことが無かったんだ」

 なんだか昔気質(むかしかたぎ)の日本人男性みたいだな。

「おじさんもその事は気にしていたみたいで『家に帰ったら、ありがとうを言う』と毎回話していたよ」

「だけど、なかなか言えなかったのか」

 エセルは「うん」と頷く。

「ある日、おじさんは『勇気を出す。今日は絶対に言う。神に(ちか)う』と言ったんだ。花束まで用意していた。その表情は戦場へ向かう兵士のように決意に満ちていたよ」

 そこまでの覚悟が必要なのかと思うかもしれないが、そのおじさんの気持ちはよく分かる。

 普段言い慣れていない言葉は意識してしまうと、口に出すのが難しくなってしまうのだ。

 一度言ってしまえば、次からは簡単に言えるのだけどな。

「それで、おじさんは奥さんに『ありがとう』が言えたのか」

 きっと奥さんは喜ぶだろう。

 言って欲しいと俺は願う。

 シェリーは下を向き、沈黙する。

「まさか」

「そう。言えなかった。教会からの帰り道、突然の発作が起きて、天へ召されてしまったんだ」

 俺は言葉を失う。

 やり切れない。もやもやした気持ちになる。

「おじさん。きっと無念だったと思うんだよ」

 シェリーの表情は悲しみに満ちている。

「そうだよな」

 俺も同感だ。

「人はいつ死ぬか分からない。分からないから今を精一杯生きないといけない。だけど、未練なしで死ぬ人なんて、ほんの一握りしかいない。うちはそう思うんだ」

 前世を思い出す。

 俺も突然死んでしまった。

 家族に別れを告げる暇も無かった。

 神様は約束してくれたが、今も元気で過ごしているのか知る術もない。

 前世への未練がたくさんあった。

「きっと男爵様は未練がたくさんあると思うんだ。それに主さんに話したい事もあると思うよ。だけど、今は何も出来ない。それは悲しい事ではないかな」

 俺はしばし黙り考える。

 いや、考える必要はもうないか。

「シェリー、ありがとう」

「どういたしまして」

「まるで聖職者みたいだな」

「あはは。うちは元々聖職者だよ」

 シェリーの表情が普段の姿に戻る。

 俺は立ち上がりバルコニーを後にした。

 

 

 俺はベッドで横たわっている父さんの枕元へ向かう。

 真夜中だから面会は断られるかと思ったのだが、意外にも老執事は簡単に通してくれた。

 気配を感じたのか、父さんは目を開ける。

 口をパクパクと開くが、息が漏れるだけ。

 言葉にならない。

 衰弱が激しい。

 俺はラストが入ったガラス瓶の蓋を開ける。

 悪臭が部屋の中に充満する。

「ごめん」

 黄色い液体が父さんの口の中に入っていく。

 吐き出すかもしれないと思ったが、予想外にすんなりと飲んでいき、あっという間に瓶の中は空になる。

 ついに、やってしまった。

 心臓がドキドキする。

「ひっひっひ」

「ひいっ!」

 その声を聞いた時、思わず俺は思いっきり驚いてしまった。

「どうしたリック。愉快な声をあげて」

「父さん!」

 ノーマが言った通り、ラストの薬は効いたようだ。

 俺の目の前には父さんが定番の笑い声をあげていたのであった。



お付き合い頂き、ありがとうございました。

次回もよろしくお願いします。

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