第7話 子爵家令嬢
「ひっひっひっ。マイエット子爵は面白い奴だな。あんな演出をしてくるとは」
父さんは腹を抱えて笑っている。
「よく笑っていられるな」
そんな父さんを見て俺は半ば呆れながら感心する。
マイエット子爵から兄ポールの結婚相手となる令嬢のオリーヴさんを紹介されたが、日が暮れて遅くなったので、俺達は明朝改めて迎えに行くことになった。
今、俺達がいるのは、王都にあるウォーカー男爵家の別宅だ。
領地にある屋敷に比べれば狭いが、それでも他の家に比べれば広い。
数年前に父さんが購入した。
国の中心である王都には人・物・金、そして情報が集まる。
しかし、ウォーカー男爵領は僻地で、王都から早馬でも数日掛かるくらい遠い。
今後、ウォーカー男爵家が王国の貴族社会で生き残っていく為には、王都に拠点を持って世の中の動きに対して機敏に動く必要があるというのが、購入した理由なのだそうだ。
日本で例えるなら地方に本社がある会社が東京に支店をつくる感じなのだろう。
家臣が数名駐在し、王都での動向を探っている。
「それにしても、男爵様にあのような態度を取るとは。マイエット子爵は失礼な輩でございますね」
別宅を管理している家臣の一人が憤慨している様子で話す。
「そう言うな。長時間待たされるのはおいらも予測できていた。ただ、甲冑姿の令嬢は驚いたがな。さすがはマイエット子爵、こちらの想像の遥か上を行く演出をするとは面白い。楽しい親戚付き合いができそうだ」
そう言って父さんは「ひぃひっひっひっひっ」と大笑いする。
笑い方には品は無いが、いつも前向きだな。父さんのこういう姿勢は素直に称賛できる。
「だけど、オリーヴさんってどんな人なんだろうな」
俺は疑問を口にする。
今日会ったオリーヴさんは甲冑姿で顔すら見ていない。
頭の中には、前世の日本で爆発的な大ヒットとなった某RPGゲームに出て来た鎧姿の彷徨っているモンスターが浮かび上がる。
仮にオプションで回復魔法が使えるクラゲ型モンスターが付いて来たとしても、あれと結婚する兄さんの姿を想像すると気の毒としか言えない。
「そうか、リックには教えてなかったな。おい、この前教えてくれた可愛い義娘の情報をもう一回説明してくれ」
「畏まりました」
そう言って家臣の一人は一枚の羊皮紙を取り出して読み上げる。
「オリーヴ様はマイエット子爵と第三夫人カミラ様との間に産まれました」
第三夫人って子爵はどれだけ女好きなんだ!?
俺は驚く。だが、冷静に考えれば驚く必要はない。
この国では、王族や貴族、裕福な商人は跡継ぎをつくる事を理由に、正妻以外の妻、側室を複数娶る事が当たり前だし、見目麗しいメイドに手を出す話もよくあることだ。
むしろ、父さんみたいに正妻である母さんだけを娶って、本人が亡くなった後も操を立てて後妻すら迎えない貴族の方が特殊だ。
ちなみに、俺が知る限り父さんはメイド達にも手を出していない。ウォーカー男爵家のメイド達は美人揃いなので手を出しそうなものなのだが。
そう考えると悪人面の見た目に反して父さんは女性に誠実だな。
「なに、ニヤニヤ見ているんだ。気味が悪い」
「別に」
訝しげな表情を浮かべる父さんに対して、俺はとぼける。
「続けます」
頃合いを見て、家臣が説明を再開する。
「オリーヴ様は、先日誕生日を迎えられまして15歳になられました」
ちなみに15歳はロイレア王国では成人になる年齢だ。この年齢より男女ともに結婚が許される。
「誕生日を迎えられるまでは、ブラックリリィ女学校で過ごされておりました。花嫁修業に定評がある全寮制の学校で、貴族の子女の多くが通われています」
お嬢様学校か。お淑やかな女性たちが「ごきげんよう」と挨拶しているイメージ、もしくは悪徳令嬢がのさばるイメージしか思い浮かばない。
「女学校時代の生活態度は良好、悪い噂も無かったようです」
これは吉報だな。少なくても悪徳令嬢ではなさそうだ。
「成績は可もなく不可もなくだったそうですが、槍術に限っては、女学校創立以来最高の成績を収めたそうですぞ」
花嫁修業に槍って必要なのか。というか、槍が得意とは、ますますあの鎧と似てきたな。
「何でも女学校に侵入してきた熊を一人で撃退したらしいな」
「男爵様は情報網が広いですね。初めて知りました」
家臣に褒められて父さんはどや顔になっている。
おいおい。二人とも、お嬢様学校に熊が侵入した事に突っ込みは無いのか。どれだけ山奥にあるんだ、ブラックリリィ女学校は。
それにしても槍が得意な甲冑姿のお嬢様。一体何者なんだろう。
「以上がオリーヴの情報だ。領地に戻るまでの道中、オリーヴの面倒をしっかりと見るんだぞ」
「えっ、俺が世話するのか」
父さんの言葉に俺は驚く。
相手は兄さんのお嫁さんで俺の義姉さんになる人かもしれないが、甲冑だぞ。甲冑!
子爵が言う通り恥ずかしがり屋なのだとしたら度を超えている。いずれにしても、あの場であの姿、変わり者である事には間違いない。
君子危うきに近寄らず。俺は厄介事に遠ざかる。
遠くから兄さんと甲冑嫁さんのやり取りを眺めるのは良いが、当事者になるのはごめんだ。
そんな俺の様子を見て、父さんはため息をつく。
「お前が嫌がるのも分かるがな。だが、これは貴族の慣習で、新郎の家族が世話役をしなきゃなんないんだ。たいていは新郎の母が務めるが、お前の母さんは死んじまったからな」
そう言って父さんは寂しそうな目で遠くを見る。母さんの事を思い出しているのだろう。
沈黙が訪れる。しかし、それはごく短い時間だった。すぐに父さんは言葉を続ける。
「まあ、お前にお茶出しやら身の回りの世話やらをやって貰うつもりは無い。子爵家側も世話役のメイドを用意するだろうし、お前の可愛い補佐役メイドに面倒を見させれば大丈夫だろう。何かあった時だけ対応すればそれで良い。もし困ったらおいらに相談しろ」
それならば何とかなりそうだ。エセルも俺の補佐役メイドの立場から、今回、一緒に同行して貰っている。
たまに大失敗したり空回りしたりするので残念系美少女のイメージが強いが、メイドとしての仕事ぶりは実に優秀だ。彼女に任せれば九割方大丈夫な気がする。
「まあ、がんばれよ。うぃーひっひっひっひっ」
父さんの下品な笑い声が辺りに響き渡った。
翌朝。
俺達はマイエット子爵の邸宅の前庭にいた。
馬車を停める為の駐車場になっていて、樹木などはなく開けた土地になっている。
そこには今、四台の馬車が停まっている。
父さんや俺が乗る箱馬車が一台。
ウォーカー男爵家の使用人や物資を積んだ馬車が二台。
そして、オリーヴさんが乗る子爵家の馬車が一台だ。
なお、マイエット子爵達は俺達が出発した数日後に出発する。これも古くから続く貴族の慣習なのだそうだ。
「ひっひっひ。天気が良くてなによりだな」
「その通りだ」
相変わらずの悪人スマイル炸裂の父さんと無表情なままのマイエット子爵が並んで会話している。
昨日あんな事があったので、お互い口も利かないのかと思っていたのでこの光景は意外だ。
心の内でも嫌っていても表面上は仲良く振る舞うのが貴族というものなのだろうか。
「オリーヴ様、まだ来られないですね」
俺の脇に控えていたエセルが小声で話しかけてくる。
子爵家の馬車では御者が準備をしているが、馬車の乗客は姿を見せていない。
オリーヴさんと付き人のメイド一人、合わせて二人が乗り込むそうだが。
「甲冑姿で現れても驚くなよ」
「大丈夫です。その程度の事で動揺するようなエセルではございません。万事そつなくこなして、リック様から惚れて頂けるように頑張ります」
そう言ってエセルは、さり気無さを装って右腕を俺の左腕に密着させてくる。
俺の事を手足が生えたお金と言っていたこのメイドは、度々俺に好意を寄せてくる。
さすがに風呂場の時みたいに襲うような真似はしてこないが、やろうとすることが姑息な痴漢みたいなんだよな。
俺は密着された左腕を動かす。
密着が解けて残念そうな表情を見せるが、その左腕の手で彼女の頭を優しく撫でる。
「えへへ」
エセルは嬉しそうだ。
自分で言うのもなんだが、こんなに人相が悪い男のどこが良いのだろうか。
「あのぉ」
不意に背後から声を掛けられる。
エセルとじゃれ合っている光景を見られたと思った気恥ずかしさが表情に現れたのと、父さんゆずりの人相の悪さが相乗効果を生んだのだろう。
振り向いた俺の顔を見た少女は「ひいっ!」と怯えて後退る。
昔からよくある事だったので慣れてはいるが、ショックではある。
「ごめん、いえ、も、申し訳ございません」
少女は慌てて頭を下げて謝る。
頭を下げた勢いがあまりにも強かったので、長い黒髪が盛大に宙を舞う。
「きゃぁ」
髪は少女の顔に覆いかかってしまっている。その姿はまるで、日本で人気があったホラー映画、環を連想させる作品名に出てくるあの女性みたいだ。
「大丈夫か」
眼前の髪を両手で掻き分ける少女に俺は髪紐を渡す。
何の変哲もない赤い紐だが、長い髪を纏めるなら十分だろう。
「ありがとうございます」
受け取った紐で、手早く髪を後ろで結んだ少女は礼を述べる。
「気にするな。ところであなたは?」
初めて見る顔だ。子爵家の人間らしい。
歳は俺よりも少し上だろうか。素朴な感じの少女だ。
メイド服は着ているが、フリルが多くて華やかなウォーカー男爵家のメイド服とは違う。良く言えば質素、感じたままに言えばダサい服を着ている。
全体として野暮ったいな印象が強い。
「は、はい。私はオリーヴ様のお付きしているメイドのアニーと申します。これから宜しくお願いします」
そう言って、アニーと名乗った少女はお辞儀をする。
「俺は、ウォーカー男爵家の二男リックだ。こっちはメイドのエセル。オリーヴ義姉さんの世話役を担当するから何かあったら遠慮なく言ってくれ」
「義姉さん」
アニーが呟いたので、俺は説明する。
「ポール兄さんの大切なお嫁さんであり、俺の大切な姉さんだからな、そう呼ばせて貰おうと思うが、オリーヴ義姉さんは嫌がるかな」
俺の言葉にアニーは首を左右に大きく振る。このメイドさん、リアクションが大きいな。
「そんな事無いと思います。オリーヴ様はきっと喜ばれると思います」
「そうか」
そんなやり取りをしていると、辺りが騒々しくなる。
一体の甲冑が建物から出て来たのだ。
ガチャガチャと金属がぶつかり合う音を出しながら、甲冑は馬車の方へ向かっている。
昨日と違い、今日は黒いマントを着けている。
「いけない。オリーヴ様が出てこられましたので失礼します」
アニーは甲冑姿のオリーヴ義姉さんの元へ駆けて行った。
「甲冑姿のまま、何日間も馬車で過ごされるのでしょうか」
「そのつもりなんだろうな」
エセルの言葉に俺は頷いた。
前途が不安だ。
「気を付けて行くのだぞ。辛かったらいつでも帰ってくるのだ」
マイエット子爵から相変わらず抑揚のない声、だけど少しは温かみのある言葉を贈られて甲冑姿のオリーヴ義姉さんはアニーと一緒に馬車に乗り込んだ。
こうして、俺達はウォーカー男爵領を目指して出発したのであった。