第6話 マイエット子爵家
「リック、起きろ」
せっかく気持ちよく寝ていたのに。
父ピーターに起こされた俺は涎がついた口元を手で拭う。
「ひひひひ。馬車の中で良く寝られるな」
そんな俺を見て、ピーター父さんは大笑いしていた。
……贔屓目に見ても小悪党が笑っているようにしか見えない。
俺達は馬車に乗っており、今はロイレア王国の王都セラントの市街地を走っている。
兄ポールの結婚相手となる貴族マイエット子爵の令嬢を迎えに行くためだ。
結婚式のしきたりは地域さまざまではあるが、ロイレア王国では貴族同士が結婚する時は、結婚式を挙げる前に新郎側の家の者が、新婦を家まで迎えに行くのが習わしになっている。
迎えに行く人間は、結婚する本人ではなく、それ以外の親族が役を務める。
大抵は新郎の両親が迎えに行くのだが、俺達の母さんは既に他界しているし、親戚の中には有力者はいない。
結果、消去法で父さんと弟である俺が迎えに行くことになったのだ。
ちなみに新郎である兄さんは式の準備の為、ウォーカー男爵領に残っている。
貴族の馬車とあって、車内には豪華な装飾が施され、革張りのソファーが向かい合うように置かれている。
この世界でよく見られる、簡素な荷台に幌を載せただけの幌馬車に比べれば、段違いに快適だろう。
だが、馬車はとても揺れる。
この世界の道は、アスファルト舗装なんてされていない。王都においても城周辺は石や砂利が敷かれている場所も有るが、それ以外のほとんどの路面は、土が剥き出しになり、馬車の轍や泥濘で凸凹している。
サスペンションなどという気の利いた物も開発されていない。
だから、馬車は上下左右激しく揺れるし、地面の振動が直接伝わってくる。尻は痛くなるし、揺れた衝撃で舌を噛む事は誰もが経験している。乗り物酔いして体調を崩す人だって少なくない。
見た目の優雅さとは違って、かなり疲れる乗り物なのだ。
実際、一緒に乗っている父さんの顔には疲れの色が出ている。
そんな馬車の中で熟睡出来る俺はとても珍しい。
きっと、前世で長年通勤電車に揉まれたお陰なのだと思う。
激しく揺れる馬車に比べれば、高崎線電車の乗り心地は月と鼈と例えて良いくらい素晴らしい。
だが、日本の通勤ラッシュを舐めてはいけない。上野駅へ近づくにつれて混雑が増していく車内。宮原駅を過ぎると鮨詰め状態になって身動ぎすら自由にできない。時には酸欠を覚悟する程の息苦しさ。
それに比べれば、揺れが酷くても足を延ばしてゆったりと座れ、新鮮な空気も存分に吸える馬車は快適に感じられる。
意外な場所で前世の経験が役に立つものだ。
「もうすぐ子爵の屋敷に着くぞ。相手は貴族だからな身だしなみはしっかりと整えておけ・・・ん、なんだその指は?」
俺の指は父さんの頭を指していた。
頭に寝癖がついている。
「これはまずいな。直しておかないと」
そう言うと父さんは両手にペッと唾をつけ、寝癖の部分に当てる。
「せめて櫛を使わないか」
俺の指摘に父さんは「寝癖が直ればそれで良いんだよ」と言い返してくる。
確かに、父さんの寝癖は直っている。パッと見は問題なさそうだが、この人は本当に貴族なのだろうか。
俺がそんな疑問を抱いていると馬車は止まる。
どうやらマイエット子爵の屋敷に着いたようだ。
「さて、これからが踏ん張り所だぞ」
父さんはそう言いながら両手で頬を叩いて気合を入れる。
その眼は闘志がみなぎっている。
「?」
俺達は兄さんのお嫁さんを迎えに来ただけだよな。
まるで戦いの場へ赴く戦士の様な面持ちである父さんの意図を俺は理解する事が出来なかった。
…
……
………
…………
……………
………………
来ない。
いつまで経っても来ない。
子爵の屋敷に着いた俺達は応接間へ通された。
「間もなく、主が参りますのでお待ちください」
そう言って子爵家の使用人が退室してから長い時間が経過した。
しかし、それ以降、この応接間には誰も入ってこないし、お茶の一つも出てこない。
えらく失礼な対応だ。
「ふあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっ」
突然、父さんは体を伸ばしながら大きな欠伸をする。
俺はびっくりする。
「思った通りの展開だ」
「思った通り?」
疑問符をつけている俺を見ながら父さんは人相の悪い顔でにやりと笑う。
「そうだ。リックは、来客を長い時間待たせて、茶の一つも出さない。こんな応対をするマイエット子爵の事をどう思うか」
「失礼な奴だと思う」
「その通りだ。そして、一般的な貴族は、こんな仕打ちを受けたらどんな反応をすると思うか」
「怒って帰る」
貴族じゃなくても怒ると思うけどな。遠路はるばるやって来て、この応対はあんまりだ。歓迎されていないとしか言いようがない。
あっ!歓迎されていない。それは……
「ひひひ。どうやら気が付いたようだな。マイエット子爵は今回の結婚を破談にしたいんだよ。だから俺達が怒って帰っているのを待っている」
「どうして」
俺はショックを受けるが、残念なことに子爵が破談にしたい理由に思い当たる節がある。
「何か気が付いたみたいだな。言ってみろや」
父さんに促されて、俺は思いついた事を言う。
ウォーカー男爵家は大金持ちだが、父さんが一代で財を築いた成金だ。成金そのものは悪くないと思うが『出る杭は打たれる』という諺があるように、他人が急成長する姿を見て妬みを抱く人は多いだろう。
一方のマイエット子爵家は、代々王家に仕える法衣貴族。領地は無いが、代々国王の側で仕えてきた歴史がある。会った事はないが、歴史に相応するプライドはあるだろう。
そして爵位は男爵よりも格上の子爵。
有力貴族の紹介があったとはいえ、マイエット子爵は、格下の成金貴族へ自分の娘を嫁がせることが嫌なのだろう。
父さんは俺の話を聞いて、ウンウンと頷いている。
「概ね、そんなところだろうよ。付け加えるとするなら、マイエット子爵は格式高い王都の貴族、ウォーカー男爵家は田舎の貴族。王都育ちのかわいい娘を不便な田舎へ行かせたくないんだろう」
都会者が田舎者を見下す風潮はどの世界でもあるらしい。そう言えば前世で読んだ本の中に東京が埼玉をディスる漫画があったな。俺は埼玉が田舎だとは思っていないのだが。
「こっちとしてもこれだけ馬鹿にされると帰りたくなるが、紹介してくれた貴族の手前もあるし、お互い実利を伴う縁談なんだよな」
「実利?」
俺の疑問に父さんは教えてくれる。
マイエット子爵家は代々王宮に出仕していた経歴から、王族や公爵家等の大物貴族とのコネクションが確立されていて、社交界に顔が利く。しかし、領地は無く、王国からの俸給以外に主だった収入源が無いため、領地持ちの貴族と比べると財力が弱い。
一方、ウォーカー男爵家は大金持ちで財力は強いが、田舎暮らしが長くて他の貴族との親交がない。
今回の結婚が成立すれば、財力とコネクションという両家の短所が補え、王国内での権勢を増すことに繋がるのだそうだ。
「貴族の結婚って思惑が色々あるんだな」
俺が感心すると、父さんは「まあな」と返事をしてから「当事者達の感情を無視するのは可哀想だけどな」と言葉を付け加える。
「さて、これからどうするか」
そう言うと父さんは鼻の穴に指を入れて鼻毛を引っこ抜く。
太い鼻毛だったのか、しばしの間、黙ったまま鼻毛を眺めている。
きっと、考え事をしているんだよな。
やがて、鼻毛にフッと息を吹きかける。
飛ばされた鼻毛はヒラヒラと舞い降り、子爵家の絨毯の毛の隙間に入り込んで見えなくなる。
「ここで待ち続けよう」
鼻毛を見ながら何を考えていたのか分からないが。父さんはそう決断を下す。
「日が暮れても居座られたら、子爵も動かざるを得ないだろう。ここは我慢比べだ。リック、頑張るぞ」
「分かった!」
父さんの言葉に俺は力強く返事する。
こうして応接間で俺達はさらに待ち続ける事になった。
当主であるマイエット子爵が応接間へ入ってきたのは陽が沈んだ後だった。
応接間はお互いの顔が分からないほど暗くなっていたので、この家の使用人達が急いで燭台に火を灯している。
初めて会うマイエット子爵は、中肉中背中年の男性。白髪混じりの髪をオールバックにしている。眼鏡の奥の眼光が鋭い。きっと切れ者なのだろう。
「初めまして。ウォーカー男爵家当主のピーターだ」
父さんが手を差し出す。子爵に握手を求めているのだ。
「遠路ご苦労だった。名高きピーター・ウォーカー男爵に会えて嬉しく思う」
マイエット子爵は戸惑うことなく、即座に父さんと握手を交わす。しかし、その言葉に感情はこもっていない。明らかに社交辞令だ。
「ひーひっひっひっひっ。褒めて頂いて光栄だ」
相変わらずの悪党スマイルを炸裂させる。
だが、子爵の表情に変化はない。このスマイルに顔を顰める人は多いのだが。
感情を読みづらい人だな。長年の王宮勤めがこのポーカーフェイスを作り出したのだろうか。
「そうそう。こいつは息子のリック。ポールの弟だ。子爵のお嬢様の義弟になる奴だ」
父さんに紹介されて、俺はお辞儀をする。
子爵は黙ったままだ。
「ところで、子爵のお嬢様はいかがされました」
父さんが悪党スマイルのまま尋ねる。そう。マイエット子爵とは会えたが、肝心の子爵令嬢、兄ポールの結婚相手には会えていない。
病に臥していると言われたら破談になると考えた方が良い。
子爵が入室する前に父さんはそう言っていた。病であれば、本人の体に障るという理由から、子爵の屋敷に居座る事も出来ないし、病が治るまで結婚の話を進める事も出来ない。要は体の良い断りだ。
今、この場にいないという事はその線が強いんだろうな。何日も掛けて王都までやって来たが、文字通り徒労に終わるのか。
「娘は今支度をしている。間もなく来るので待っていて欲しい」
あっ。ちゃんと会えるのか。
コンコンコン
応接間をノックする音が聞こえる。
「娘が来たようだ。入れ」
子爵が指示を出すと、扉の側に控えていた使用人が扉を開ける。
「紹介しよう娘のオリーヴだ」
マイエット子爵の紹介に合わせて子爵令嬢オリーヴさんが入室する。
!?
俺はその姿を見て息をのむ。
オリーヴさんは輝いていた。
雰囲気だとか形容詞とかではない。燭台の光によって物理的に輝いている。
全身が銀色。
くどいようだが、雰囲気だとか形容詞とかではない。物理的に光り輝いている銀色だ。
頭から爪先まで全てを守るように覆っている甲冑。
そう。彼女は全身甲冑姿だった。フルフェイスの兜に阻まれどんな顔なのかもわからない。
「恥ずかしがり屋の娘だが、よろしく頼む」
いや、これは恥ずかしがり屋では済まないぞ。
相変わらず抑揚のない声で喋るマイエット子爵。
「いーひっひっひっひっ。愉快な趣味をお持ちの御嬢さんだ」
大笑いをする父さん。
そして、俺は呆然としながら甲冑姿のオリーヴさんを眺めていたのであった。
読んで頂いてありがとうございます。
さて、作中リックが回想していた宮原駅ですが、さいたま市北区にあるJR高崎線の駅です。
東京方面へ向かう上り列車はこの次に大宮駅に停まりますが、ここはオフィス街や商業施設があり、また新幹線や埼京線などの乗り換え駅でもあることから大勢の乗客が降ります。
しかし、その手前の宮原駅までは降りる人よりも乗る人の方が圧倒的に多く。朝の車内は物凄く混雑します。
これからも「転生者リックの異世界人生」をよろしくお願いします。