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第56話 うわさ

前回のあらすじ

 約束の時間に父ピーターの部屋を訪問したリック。

 そこには血を吐いて倒れている父がいた。

「父上は大丈夫だろうか」

 ポール兄さんはそう言って爪を噛む。落ち着かない様子だ。

 それはそうだろう。

 俺だって同じだ。

 朝食の時は元気で、いつも通り俺を揶揄(からか)っていた。

 それがあんな事になるなんて。

 今、父さんはウォーカー男爵家お抱えの医師が診察している。

 俺達は別室で待機している。

 前世の記憶によれば、吐血の原因は、胃や食道や十二指腸の疾患(しっかん)によるものが多いらしい。

 胃癌(いがん)とか十二指腸(じゅうにしちょう)潰瘍(かいよう)とか診断される病気だ。

 いずれにせよ、吐血する程だから病状は重い。

「医学の勉強をしていれば良かった」

 俺は後悔する。俺が前世から持ってきた記憶の中に、医療の知識は悲しくなるほど少ない。病名の特定すら出来ない。医者にはなれなくても、医学書くらいは読んでおくべきだった。本を読む時間なんてたくさんあったのに。

「勉強?」

 兄さんは不思議そうな表情をする。

 こういう発想をするのは前世の知識を持って転生している者くらいしか出来ないかもしれない。

「二人とも今はお医者様を信じましょう」

 ティム君を抱っこしているオリーヴ義姉さんが優しく言う。

 こういう時の彼女は聖母のように柔らかく包み込むような温かさを持っている。槍を持っている時と雰囲気が全然違う。

「そうだね」

 兄さんは幾分落ち着いた様子だ。

 この世界の医療水準(いりょうすいじゅん)は日本と比べると差はあるが、低くはない。

 それに今、父さんを診ている医師は王都で名医と評判だった人物だ。

 父さんの病気を特定して治療できる可能性もある。

「お待たせしました」

 白衣を着た中年の男性、父さんを診ていた医師が部屋に入って来る。

「男爵様の意識は戻られました」

 その言葉に部屋の空気は明るくなる。

「しかしながら、だいぶ衰弱しておられます。しばらくの間は安静にされる必要があります」

「元気になる可能性はあるのか」

 兄さんは何て事を言うのだという顔をするが、敢えて俺は聞く。

 医師は少し間を置いてから話し出す。

「勿論(もちろん)そのつもりで治療をしております。ですが、このようになられた原因が特定できていないのも事実です」

 明るくなりかけた空気が再び暗くなる。

 ゴーン ゴーン ゴーン

 静まった部屋に夕暮れの鐘が鳴り響く。

「大丈夫だよ。あの父上だ。少しの間休めば、いつものように『ひっひっひ』と笑うよ」

 兄さんが明るく振舞う。

「そうだよな」

 俺も同調する。

 信じるしかない。

 医師によると今日は父さんと面会する事は出来ないと言うので、俺達は解散し、それぞれの部屋へ戻った。   


 

 それから数日が経った。

 父さんの症状は回復しないままだった。

 俺も何回かお見舞いをした。

 意識はあり、俺の言葉に頷いたりする事は出来る。

 しかし、衰弱してベッドから起き上がれず、声を出すのも辛そうだ。

「いったい父さんはどうしてしまったんだ」

 俺は呟く。

 あの日の朝は元気だったのに。

「申し上げづらいのですが」

 傍で控えていたエセルが話し出す。

「どうしたんだ」

「屋敷中では男爵様に毒を盛った者がいるという噂が流れています」

「毒?そんな事が有るものか」

 料理人も配膳する使用人も信用のおける者達を集めてある。彼らが毒を盛るとは思えない。

「それが実は……」 

 エセルは逡巡(しゅんじゅん)するが、意を決する。

「……リック様が毒を盛られたという噂もあります」

「俺が!?」

 それはさすがに驚いた。

「俺が何故!何のため!どうやって!父さんに毒を盛るんだ!」

 普段なら冷静に聞き流すだろう。

 しかし今は父さんが倒れて気持ちに余裕がない。俺は声を荒げてしまう。

「申し訳ございません」

 エセルは頭を深く下げて謝る。

 その姿は青菜に塩をかけたかのようにしゅんとしている。

 俺は我に返る。

「すまない。つい興奮してしまった」

 俺は謝る。

「いいえ、お気になさらないでください。リック様がお怒りになられる気持ちは痛いほど分かります」

 俺はエセルを抱きしめる。

 それは彼女を慰(なぐさ)める為ではなく。俺自身を落ち着かせる為だ。

 それが分かっているエセルは、俺の背中を優しく撫(な)でてくれる。

「それで、如何(いかが)なされますか」

 俺が落ち着いた頃を見計らってエセルは聞いてくる。

「腹立たしいな」

 こんな噂が流れているのは父さんが倒れているのを最初に発見したのが俺だからだろう。

 第一発見者が疑われるのは世の常だ。

 しかし、倒れてから数日しか経っていないのに悪意のある噂が流れているのは、誰かが意図的に流したからだろう。

「噂を流した人物を見つける事は出来るか」

「はい。お任せください」

 エセルは二つ返事で承諾、早々に部屋を出て行く。

 難しい仕事だと思うのだが。

 こうなる事を見越して目星を付けているのだろうか  

「俺は噂の火消しをするか」

 この件は、ポール兄さんとオリーヴ義姉さん、執事長やメイド長などの使用人幹部には知らせておいた方が良いだろう。

 予(あらかじ)め知っていて噂を聞くのと、全く知らないで噂を聞くのでは心象が全く違う。

 あらぬ疑いを掛けられるのは面倒だからな。

 俺も部屋を出て、説明に回る事にした。



「見つけました」

 主要な人物に噂の件を説明し終えて自分の部屋に戻るとエセルが既に戻っていた。 

「早いな」

「シェリーさんにも手伝ってもらいました」

 エセルが顔を向いた先には、えっへんと胸を張るシェリーがいる。

 大きな胸がより強調されている。

 そして、シェリーの脇には一人のメイドがいる。

 俺よりも少し年上、20前後くらいの年齢だろうか。

 黒に近い濃い目の栗色の髪を後ろで一つに束ねている。

 地味な印象のメイドだ。

 彼女の両手には縄が縛られている。手錠の代わりらしい。

「間違いないのか」

 俺は念を押す。違っていたら一大事だ。

「大丈夫です。裏は取ってあります」

 これは、明るい栗色の髪のエセルの返答。

 自信はある様子だ。

「最初はこの人も噂を流した事を否定していたけど、うち達が集めた証拠を突き付けたら認めたんだよ」

 シェリーが説明を捕捉(ほそく)する。

 この様子なら誤認逮捕は無さそうだ。

 俺は噂を流したメイドの女を見る。

「申し訳ございません」

 女は怯(おび)えるように謝る。

「どうして、あんな噂を流した」

 一番知りたいのは動機だ。

「申し訳ございません。どうかお許しを」

 しかし、女は跪(ひざまず)いて頭を下げて謝るばかり。 

 目を合わせようともしない。

 理由を話してくれなければ許しようもないのだが。

 俺の悪人面に怯えてしまっているのだろうか。

 いや、違うな。

 女は怯えたふりをして真実を言わないようにしているのだろう。

 それなら少し脅してみるか。

「おい。拷問(ごうもん)の準備は出来ているか」

 俺の言葉にエセルは戸惑いの表情を浮かべるが、シェリーは「出来ているよ」と間髪入れずに返事する。俺の意図を理解してくれたらしい。

「鞭打ち、吊り責め、木馬責め、全部用意してあるよ」

 本当は用意していないだろ!

 ツッコミを入れたいのを我慢する。

 女の顔は拷問と聞いて青ざめる。怯えているが、これまでとは怯え具合が全然違う。

 ここはもうひと押しだな。

 俺は女の顎(あご)に手を添えると、クイッと俺の方向を向かせる。顎クイと言われる行為だ。

「よく見ると可愛いじゃないか」

 これはお世辞ではなくて本当。

 この女、整った顔をしている。

 敢えて地味に装う事で目立たなくしているのだろう。

 俺は顎クイをしたまま残虐な笑みを浮かべる。

「ひいっ!」

 女は小さな悲鳴をあげる。

 効果があるようだ。

 俺は自分の顔を女の耳元へ移動させる。

 何をされるか分からない女は震えている。

「かわいがってやるよ」

 そう囁(ささや)くと俺はフゥッと女の耳に息を吹きかける。

 好きな相手なら気持ち良いかもしれないが、嫌悪感を抱いている相手なら最悪の手段だ。日本なら間違いなく犯罪で捕まる。     

「ひぃぃぃぃぃぃぃ!!」

 女は大声で悲鳴をあげる。

「「「あっ!」」」

 俺とエセルとシェリーは同時に声を出す。

 女の足元には黄金色の液体が湯気を出して滴(したた)り落ちてくる。

「なんでも話します!どうかご慈悲を!」

 恐怖のあまり女は懇願する。

「さすがは主さんだね」

 シェリーが俺を褒めてくれる。

 脅しは成功した。

 だけど……

 ……そんなに怖がらなくても良いのに……

 それが俺の本音だった。

 俺って怖く見えるのだろうか。

 成功した事よりも、ここまで怖がられた事に、俺はショックを受けたのであった。



今回もお付き合い頂いてありがとうございます。

いよいよ12月、今年も残すところ僅かになりました。

寒くなってきましたが、皆様健康にはお気を付けください。

これからもよろしくお願いします。

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