第5話 俺とメイド
「リック様、本日より補佐役メイドとしてお仕えする事になりましたエセルです」
厳格を絵に描いたような中年女性のメイド長が、エセルを紹介する。
「エセルと申します。精一杯頑張りますので、よろしくお願いします」
昨日とは違い、メイド服に身を包んだエセルが深々と頭を下げる。
その表情は若干引き攣っている。
緊張しているというよりも、昨日の今日だからな。
正直言って俺も気まずい。
「エセルの仕事ぶりは優秀です。たまに空回りする時がありますが」
よく分かるよ、メイド長。貴方は知らないかもしれないが、エセルのやる気は昨晩浴室で盛大に空回りしていた。
「私めはこれで失礼致しますが、御用がございましたらエセルに何なりと申し付け下さい」
エセルが「行かないで!」と飼い主に懇願する捨てられた子犬の様な目をするが、当のメイド長は気が付く様子もなく俺の部屋から退室する。
カタン
扉が閉まる小さな音、室内には俺とエセル。二人っきり。
さて、どうしようか。
エセルは部屋の入口で立っているが、ソワソワとしている。
本当は部屋から出て行きたいのだろう。しかし、メイドの立場上、主人の目の前にして勝手にどこかへ行く事は許されない。
俺が「下がれ」と指示すれば済む話だが、避けてばかりいても解決しない。
補佐役メイドという職責上、俺と接する機会は多くなる。蝸牛程度の速さであっても前進していく必要がある。
そうなると、この場で指示できるのはこれしかないな。
「お茶を入れてもらえないか」
俺は温かい飲み物でも飲んで気分を整えられる。
エセルも準備の為に一旦退室する事が出来る。
お互いにメリットのある指示だ。
「畏まりました。しばらくお待ちください」
エセルはホッとしたような表情を浮かべて、部屋から出て行く。
「お待たせいたしました」
お茶が入ったティーポットとカップを用意してエセルが戻ってきたのは、お茶を用意するならこの程度掛かるかなという時間が経過した頃だった。
もっと時間を潰してから戻って来るかと思っていたのだが、気まずくとも与えられた仕事は真面目にこなす性格らしい。
「失礼いたします」
エセルがカップにお茶を注ぐ。
良い香りがする。
ロイレア王国でお茶といえば、紅茶になる。
緑茶や烏龍茶に代表される青茶もあるのだが、出回っていえる量は紅茶が多い。
ウォーカー男爵家は良質な紅茶を購入しているので、茶葉その物が香り高いが、入れ手によって最終的な良し悪しは決まる。
目の前の紅茶の香りから判断すると、エセルは紅茶を入れるのが上手らしい。
「美味しい」
だから、俺は正直な感想を述べると、エセルが恭しくお辞儀をする。
「これから毎日エセルの入れたお茶が飲めると思うと嬉しいな」
「ありがとうございます」
緊張していたエセルの表情から笑みが見られる。
昨晩、誘惑しようとして無理してつくっていた妖艶な笑みと比べて、格段に魅力ある笑みだ。
変な努力をしなくても良かったのに。
まあ、ちょっとだけだが、これで俺とエセルとの距離が少しは縮まった気がする。
これから時間を掛けながらお互いの信頼関係を築いていくか。
そう思いながら俺は紅茶の香りを楽しみながら飲んだ。
「お客様がお見えになりました」
エセルとは別のメイドが来客を告げに来たのは、俺が紅茶を飲み終えてから、間もなくの頃だった。
「分かった。今行く」
会う約束はしていたが、予定よりも早く来たな。
エセルはさっき飲んだお茶の道具一式を片づける為、部屋から出ている。
俺は相手が待っている応接室へ一人で向かう。
「お待たせしました」
応接室では、白髪の男性が待っていた。
教会の神父だ。
教会は王国内に多数の信者を抱えていて、強い影響力を持っている。
表向きは王国の政に口を出す事はないが、その裏では、教会の暗躍によって失脚した王や貴族が数多いるという噂が後を絶たない。
軽く扱ってはいけない存在である。
本来であれば、父さんか兄さんが応対すべきなのだろうが、二人とも忙しくて不在の為、俺が会う羽目になってしまった。
「こちらこそ、早く来てしまい申し訳ない」
神父は穏やかな笑みを浮かべながら挨拶をする。この物腰の柔らかさは、さすが聖職者といったところか。
ただ、訪問の理由は聖職とはかけ離れた生臭い内容だ。
「王都の小聖堂の御厨子所の建立100周年を祝う事になりまして」
神父の言葉を聞いて、やはりそうかと思ってしまう。
寄付を募りに来たのだ。お祝いをするからお金を寄付して欲しいのだ。
なんだよ、御厨子所建立100周年って。
御厨子所って聞けば、仰々しく聞こえるが、台所の事だ。
100周年を祝う台所って、そんなに凄い台所なのだろうか。
この前は手水場・・・便所・・・建立100周年の寄付を募りに来たって兄さんが苦笑いしていたな。
ウォーカー男爵家は金持ちで知られているので、しょっちゅう寄付金を募りに来る。
教会は余程金に困っているのだろうか。
その割には、この神父、肌艶は良いし、高価な身なりをしているが。
「了解しました」
父さんからは「寄付はしておけ」と指示を受けている。
それにここで寄付を断ると後々禍根を残すことになりかねない。
「ありがとうございます。ウォーカー男爵家の皆様に神のご加護があります事を」
神父は祈りを捧げる。
金が無ければ神の加護も無いのだろうか。
「後ほど使いの者に教会へ届けさせますが良いですか」
俺の言葉に神父は「はい。お願いします」と了承する。
コンコン
小さなノックの後、エセルが応接室へ入ってくる。
お茶を持ってきたのだ。
話が終わったので、早く帰ってもらいたい気持ちはあるが、お茶を出さないと失礼になる。
教会は礼を欠く行為をされると、そこに付け込んでより寄付金を募ってくる。
何かと面倒な相手なのだ。
エセルは神父と俺の前にティーカップを置いた後、小さな陶器の壺をテーブルに置く。
砂糖壺だ。
砂糖は高級品だ。上質な紅茶と一緒に砂糖を出すのは、お客様への最上級へのもてなしとされている。
「失礼します」
エセルがティーカップに紅茶を注ぐ。
白いカップの中に琥珀色の湖が広がる。
「ほう」
神父が感心している。
上質な紅茶は色も綺麗だ。そもそもティーカップが白いのは紅茶の色を引き立てる為なのだ。
「良い香りですね」
神父は紅茶の香りを楽しんでいる。
俺は口の中がカラカラだ。早々に口の中に水分を入れたい。
時間は短かったが、聖職者の偉い人と一対一で話をして緊張した。
せっかくだから砂糖も入れるか。糖分は疲れた頭に良いらしいからな。
砂糖壺から一匙すくう。
そして飲む。
うっ!?
何だ?この味?
しょっぱいぞ
これ、砂糖ではなくて塩だ。
間違って塩が入った壺を持ってきたのか。
「私、甘い物に目がなくて」
神父が紅茶に塩を入れている。
それも五匙。どれだけ甘党なんだと突っ込みたいが、このまま飲まれるとまずい。
ティーカップの取っ手に手が行っている。
「神父様、左の肩に糸くずがついています」
「えっ」
糸くずなんてついていない。
だが、俺が咄嗟についた嘘で、神父はティーカップを置いて、自身の左肩を見る。
チャンス!
「失礼」
俺は神父の左肩の有りもしない糸くずを取る振りをして立ち上がる。
「うぉわぁっ!」
そして、テーブルに躓き、盛大に倒れる。
ガッシャーーーン
大きな音と共に俺のティーカップ、塩が入った壺、そして神父のティーカップがひっくり返る。
俺の上半身に琥珀色の染みと白い砂山が出来上がる。
神父は呆然としている。わざとやったとは気付いていない様だ。
エセルがタオルを持って俺の元へやって来る。
「エセル、神父様のお茶を大至急用意しろ」
「は、はい。畏まりました」
エセルが急いで退室していく。
「申し訳ございませんでした」
俺は神父に頭を下げて謝罪する。
「いえいえ、リック様にお怪我がなくて良かったです」
神父は穏やかな様子であるが、内心は失笑しているんだろうな。
口角がピクッと動いたのを俺は見逃さなかった。
だが、塩入の紅茶を神父に飲ませて怒りを買うよりも遥かにマシだ。
代わりのお茶はすぐに用意され、クッキーと一緒に出された。
砂糖を六匙入れたお茶を飲んだ神父は、クッキーを口いっぱいに頬張り、満足した様子で帰って行った。
少し時間が経過して夜。
風呂も入り、そろそろ寝ようかと思っている頃、寝室にエセルが来る。
メイド服を着ているエセルは俯き加減で俺を見ている。
まさか夜伽に来たとか言わないよな。
昨日の今日なのでそれは無いと思うが。
「今日は申し訳ございませんでした」
エセルは深々と頭を下げて謝罪する。
「気付いていたのか」
砂糖と塩を間違った件は、誰にも言わずに黙っていた。
あの場は無事に収まったし、無駄に騒ぎを大きくする必要もないと思ったのだ。
「はい。神父様が帰られた後、間違って塩が入った壺を持っていった事に気が付きました」
「そうか、今後気をつけろよ」
俺がそう言うと、エセルが驚いた表情を浮かべる。
「なんか変な事言ったか」
「いえ。怒られると思いましたので」
そういう事か。俺の反応があっさりしていたのが意外だったらしい。
「神父様は満足して帰ったんだから問題ないだろう」
砂糖と塩を間違えた事を除けばエセルの対応は充分だった。
お茶も美味しかったし、俺がこぼした後、代わりのお茶の用意も早かった。
そしてクッキー、神父が「甘い物に目がない」という発言を聞いて用意したのだろう。機転が利く。
神父が満足したのは、クッキーの存在も大きかった。
「とはいえ、あんな手段は二度とできない。次からは間違わないで出してくれ」
「はい。以後気をつけます」
そう言うとエセルはお辞儀をして部屋を出て行く。
「あの」
出て行くかと思ったら、出入り口で立ち止まり、背を向けたまま一人で話し出す。
「エセルはリック様を手足が生えたお金にしか見ていませんでした」
酷い言い方だな。まあ、メイドから見た貴族っているのは案外そういう存在なのかもな。
そう思っているとエセルは「だけど」と言葉を続ける。
「今は違います。リック様は立派な方です。世界で一番素敵な男性です。エセルはリック様にお仕えすることが出来て嬉しく思っています」
そして、彼女は退室した。
俺への評価は上がったようだ。素直に喜んでいいのだろうか。
「寝るか」
今日も色々あって疲れた。
俺はベッドに潜り込み、眠りについた。
そして、翌朝。
「ふぁ~、よく寝た」
ベッドから降りて窓際のカーテンを開ける。
いつもの日課だ。
今朝は雨が降っている。盆地は見えるが山脈は雲がかかって頂上が見えない。
トントン。ドアがノックされて扉が開かれる。
誰だろう?
扉の方を見ると、そこにはメイド服姿のエセルがいた。
「リック様、おはようございます」
エセルが笑顔で挨拶をしてくる。
「おはよう」
俺も挨拶をするが、彼女の手元に目が行く。
綺麗に折り畳まれた服。トップスにズボン、下着となるパンツとシャツだ。
「これ、俺の服だよな?」
いつもは就寝前に衣服を用意してもらって、翌朝自分で着替えるのだが。エセルは補佐役メイドになったばかりだから、用意するのを忘れたのだろうか。
だが、エセルはそんな俺の予測とは違う回答をする。
「はい。リック様のお召し物でございます。これから、お着替えのお手伝いをさせて頂きます」
笑顔で答えるエセルの表情は清々しいの一言に尽きた。
「自分で着替えるから、手伝いはいらない」
俺は即座に拒否するが、エセルは応じなかった。
「遠慮なさらないで下さい。エセルはリック様のお力に少しでもなりたいです。それにお風呂で全身を拝見させて頂いておりますから大丈夫です!」
何が大丈夫だ。俺のあそこも見る気満々じゃないか。
しばらくの間、俺とエセルの攻防は続いたが、結局、下着の着替えは俺自身で、トップスとズボンの着替えはエセルが手伝う事で決着したのであった。