第4話 メイドとお風呂
大理石で造られた部屋には湯気が立ち込めている。
湯船にはお湯がなみなみと張られている。
右足を入れ、左足を入れ、身体をお湯の中に沈めていく。
ザバー
湯船からお湯がこぼれる。
いい湯だ。やっぱり、風呂は最高だな。
俺リックは湯船で手足を伸ばして寛ぐ。
熱いお湯じゃなければ入った気がしない!という人もいるが、俺は体温より少し高いくらいの熱さが好みだ。
濡らしたタオルを頭に乗せる。前世の銭湯で“タオルを湯船に入れるな”と鉄の掟が染みついているのもあるが、濡れタオルを頭に乗せる事で、のぼせを防ぐ効果がある。
俺は風呂が好きだ。
父さんや兄さんも頻繁に入浴しているが、俺は外泊でこの屋敷にいない限り、毎晩風呂に入っている。
前世で日本人だった頃の記憶が残っている影響なのか、入浴しないと一日の疲れが取れた気がしないのだ。
中世ヨーロッパに近い文明レベルや景観のこの世界には電気、水道、ガスといった便利なライフラインは一切無い。
お風呂に入るのだって簡単ではない。
水を引くために、川から固い土を掘って水路を作っているし、専属の使用人達が釜に石炭を投入して日々お湯を沸かしている。
入浴は多大な手間と費用が掛かる。近場で温泉が湧いていない限り、庶民はもちろん、貴族だって特別な時以外お風呂に入らない。普段は濡らしたタオルで体を拭くのが精々だろう。
だから、毎日入浴する、しかも大きな湯船にお湯を張るというのは凄い贅沢なのだ。それもウォーカー男爵家の財力が為せる業だろう。
「失礼します」
俺がお風呂を堪能していると、少女が浴室に入ってくる。
栗色の髪をショートヘアにしている。
この屋敷で働いているメイドの一人だ。メイド服ではなく白いシャツとスパッツを着ていているのは、ここが浴室だからだろう。メイド服は濡れたら重たそうだからな。
この前入ったばかりの人だよな。名前は何だったか、メイド長から紹介して貰ったのだが。
長身で切れ長の瞳をしていて大人びているが、歳は俺と同じだった事が強く印象に残っている。
そこまでは覚えているのだが、名前が思い出せない。
この屋敷にはメイドが大勢いるので、名前と顔を一致させるだけでも大変なのだ。
「メイドのエセルでございます」
俺が名前を忘れた事を察してメイドは自己紹介する。
「そうだ!エセルだ!!」
教えてもらって思い出した。
「はい。宜しくお願い致します。」
笑顔でお辞儀をしてくれる。エセル。今度こそ覚えるぞ。
「ところで、何か用事でもあったのか」
「はい。ご奉仕に伺いました」
俺が尋ねると、エセルは笑みを浮かべる。
「そうか。頼むよ」
俺は即答すると湯船から上がり椅子に座る。するとエセルは俺の背中を軽く撫でる。ちょっとくすぐったい。
「それではご奉仕させて頂きます」
耳元から聞こえるエセルの囁くような声。
「ああ。優しく頼む」
俺はメイドのエセルに身体を預けた。
くちゅくちゅくちゅ
擬声語で表現するとエセルのご奉仕はこんな感じだろうか。
「リック様。いかがですか」
「気持ち良い。最高だ」
「ありがとうございます」
本当にエセルは上手だな。
こんなのは大して差が無いと思っていたが、上手い人にやって貰うとこんなに気持ちが良くなるとは。
あぁ!そこ気持ち良い。
感じてしまう。
まさに昇天しそうな気分だ。
「他に痒い所は御座いませんか」
ああ。エセルの洗髪は最高だな。
他のメイドと違って指使いが全然違う。これからは彼女に毎日洗髪を頼むとするか。
「それでは、次にお背中を洗いますね」
頭の泡を洗い流して貰うと、今度は背中を洗って貰う。
こしこしこしこしこし
うーん。これは普通だな。
「失礼します」
背中を洗い終えると、エセルは俺の前に回る。
そして、跪き、足を洗い始める。
他のメイドは背中を洗い流して終わりなのだが、彼女はサービスが良いんだな。
指先、甲、踵、足首、脛、脹脛、膝と下から上に柔らかい手で大切な物を慈しむように優しく洗ってくれる。
くすぐったいながらも気持ち良い。
それにしてもエセル、浴室で動きやすいようにと薄手のシャツを着用しているのは分かるのだが、サイズが小さくないか。
発育途上だが形の良い胸とお尻。ボディラインがくっきり見えている。
それに浴室の湿気と本人の汗によるものなのだろう。白い色をした生地は本来持つ色を失い、肌が透けて見える。
年齢以上に色気が強調されている。
「リック様は男でございますね」
不意にエセルがニヤニヤしながら俺のあれを指でつつく。
思わず俺は赤面する。
前世では家庭を持っていたし子供もいた。
だから、その手の知識は持っているのだが、これまでは子供の体であるためか、女性に興味があっても性欲は湧かなかった。
しかしながら、とうとう体が反応するようになってしまったようだ。
俺も大人の体になりつつあるんだなと妙な実感をしてしまう。
「リック様は大物ですね。じゅるり」
なんだ。その最後の涎を啜る音は。
エセルは美少女だ。発育途上だが、スタイルも悪くない。
彼女の妖艶な笑みと同時に唇が開く。
舌の先が円を描いている。
据え膳食わぬは男の恥。
二度目の人生でも、ついに大人の階段を上る時が来たようだ。
さあこい!
俺は覚悟を決める。
・・・・・・・・・ひゅう・・・・・・・・・
外から風が吹く音が聞こえる。
あれからどれくらい時間が経過したのだろうか。浴室内は沈黙が支配している。
どう考えても、この場は、エセルが主導権を握っているはずだった。
だが、彼女は、俺のあれを見つめたまま一向に動かない。
まるでフリーズしたパソコンのように固まっている。
まさか、時が停まったのか?
「ひっく、ひっく」
突然、エセルは涙を流し始める。
えっ?なんで泣いているんだ。
あの状況からどうすればこんな状況になるんだ?俺は何もしていないぞ。
「リック様!いかがされましたか!?」
浴室の扉の向こうから別のメイドの声が聞こえる。
まずい。この場を見られたら、どうなるか。
自慢じゃないが俺は父さんに似て悪人面だ。
涙を流す美少女と悪人面の俺。
明らかに俺の方に分が悪い。
贔屓目に見ても、権力を縦にメイドを手篭にしようとする悪徳御曹司の図にしかならないだろう。
「大丈夫だ!なんでもない!!」
俺は叫ぶ。
「し、しかし」
「大丈夫だから、入って来るな!そこから出て廊下で待機していろ!命令だっ!!!」
「か、かしこまりました」
扉の向こうにいたメイドが慌てた声をあげて立ち去る。
ふう。ひとまず安心だ。
「おい。これで涙を拭け」
俺は近くにあったタオルを渡す。
「ありがとうございます」
涙は止まっているが、目は赤くなっている。
嘘泣きではない。本気で泣いていたらしい。
「なあ、エセル。こう言ってはなんだが、その手の経験ないだろう」
俺の指摘にエセルはこくんと頷く。
大人びた雰囲気と中盤までの卓越したリードによって失念していたが、彼女は俺と同じ歳の少女だ。その年齢で経験豊富なら色々と問題がある。
知識は有ったのかもしれないが、いざ実行となったら怖くなったのだろう。
「どうして、突然あんな事をしようとしたんだ」
顔合わせは合ったが、俺とエセルは、実質初対面の状態だ。
好意を寄せられる理由が思い浮かばない。
しかし、俺の問いかけに対しエセルは顔を伏せて、もじもじする。
うーん。
このまま待っていても良いのだが、俺が長い時間風呂場に籠っていると、他の使用人達が心配する。
それにエセルの衣類は首から下が汗やお湯で濡れていて、色々透けて見える。
年齢以上に色気のある娘だと思う。
このままだと、理性が崩壊する。
「俺の愛人でも狙っていたのか」
鎌をかけると、彼女はビクッと肩を震わせて俺を見る。
「はい。貴族の寵愛を受けたらと良い暮らしが出来ると思いました」
そんなもんか。
エセルは俺を色仕掛けしようとしたのだ。
貴族がメイドに手を出すのは珍しい事ではない。むしろ、よくある事だ。
貴族の主人と関係を結んだメイドは、使用人の中でも高位に取り立てられる等、待遇が良くなる。
滅多にないが、産まれた子供が貴族家の当主になる事もある。そうなると使用人から一躍貴族になれる。
一種のシンデレラストーリーだろう。
ただ、リスクもある。
男女の関係を結べても、飽きられてポイ捨てされる事もあるし、誘惑が奥方やメイド長に発見されて厳しく処罰される事も多い。
解雇されて追い出されるくらいなら甘い方。鞭打ち刑、緊縛刑といった拷問を受け、挙句の果てに奴隷として売り飛ばされる。この世界では日本と違い、拷問や奴隷といった刑罰は日常的である。
貴族への誘惑はハイリスクハイリターンな行動なのだ。
「なあ」
俺は膝をつき、努めて優しく声を掛ける。
こういう時は相手と目線の高さを合わせるのが大切だ。
「俺は、エセルが可愛くて魅力ある女性だと思う。だけど、こういうのは過程が重要だ」
「過程ですか?」
「そう。時間を掛けてお互いを知り、お互いが好き合い、愛し合い、その愛を形として確かめ合う。これらの過程が重要なんだ。そして、俺を含めてウォーカー家には過程を疎かにして喜ぶ男は一人もいない」
これ以上馬鹿な事はしないと思うが、万が一にも父さんや兄さんに手を出されて困るので、釘は刺しておく。
「たった一度の人生なんだ。自分を大切にしろ」
俺は二度目だが、それは特殊なので黙っておく。
「はい」
エセルは神妙な面持ちで頷く。
「あとは俺が一人でやるからエセルは下がれ」
「すみませんでした」
俺が指示するとエセルは浴室から出て行った。
「ふう」
一人になった俺は風呂に入り直す。
温かいお湯が気持ち良い。
少し暴走気味だったけど、可愛い娘だったな。脚も綺麗だったし。
ウォーカー男爵家の屋敷は広い。それに合わせてメイド、執事、料理人、庭師、警備兵、御者等々、働いている人の数も多い。
俺が意識しなければ、今後、エセルと顔を合わせる機会は滅多にないだろう。
そう思うと残念だな。
俺は後悔したのであった。
翌朝
いつもより遅く目が覚める。
昨夜のお風呂での一件で疲れたのだろうか。
食堂へ行くとピーター父さんとポール兄さんは朝食を取っている。
今日はパンケーキか。
熱で溶けたバターとメープルシロップとつけて食べると美味しいんだよな。
「おい、リック」
シェフ特製のフレッシュジュースを飲もうとすると父さんが声を掛けてくる。
今日は何の用だ。
「お前も大きくなった」
この世界の成人は15歳だが、13歳も貴重な働き手として見られている。日本で例えるなら高校生くらいの位置づけなのかもしれない。
「それに、ポールの結婚の準備で何かと忙しくなる」
話を聞きながら俺はジュースを口に運ぶ。
「そこで、お前に補佐役のメイドを付ける事にした」
今日は葡萄を使っているのか。
「人選については、昨夜、メイド長から推薦してもらった」
うんうん。ワインに似た飲み口が面白いな。
あっ、念のために言っておくが、俺がワインを飲んだのは前世でだ。この転生してからアルコール類は飲んでいない。未成年の飲酒はNGだからな。
「メイドの名前はエセルだ」
ブーーーーーーーーーーー
俺は葡萄ジュースを盛大に吹き出した。
兄さんは華麗に避けるが、父さんはもろに受ける。
「わっ。汚いな。葡萄の染みは落ちないんだぞ」
父さんは何か文句を言っているが、俺には聞こえなかった。
メイド長よ。あなた目は節穴か。
と言うかエセルよ、昨晩あんな事をしなくても俺に近づけたのではないのか。
俺は軽い頭痛を覚えたのであった。




