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第39話 川を渡る

「ごめん。会えたのが嬉しくて。つい」

 赤ちゃんのティム君を抱いているオリーヴ義姉さんを抱きしめてしばらく経過してからの事、俺は自分がしている事に気が付く。

 そんな俺に彼女は優しい声で語りかける。

「構わないわ。暗くて、私もとても心細かったの」

 俺は抱きしめる。

 抱きしめて互いの存在を確かめ合う。 

「オリーヴ義姉さん、それにティム君も無事で良かった」

「私もリック君に会えて良かった」

 暗闇の孤独は想像を絶するほど人の心を(むしば)むらしい。

 抱きしめて伝わる繋がりが急速に心を(いや)していく。

 暗闇で姿を見る事は出来ない。

 しかし、視覚(しかく)が使えなくても、他の感覚で彼女を感じる事は出来る。

 聴覚(ちょうかく)。彼女の優しい声が聞こえる。

 触覚(しょっかく)。彼女の(ぬく)もりが伝わる。

 嗅覚(きゅうかく)。彼女の香りが鼻の中に広がる。

 俺は視覚以外の五感で彼女の事を、オリーヴを感じたかった。

 視覚、聴覚、触覚、嗅覚、五感の内、残る一つは何だろうか。

 そう味覚(みかく)だ。

 彼女の味覚を感じる為にはどうすれば良いだろう。

 それはキスに他ならない。

 普段の俺なら思いついても自重(じちょう)するだろう。馬車の中で美少女二人に誘われても我慢(がまん)できる程の強靭(きょうじん)理性(りせい)の持ち主だ。

 しかし、長い時間、暗闇の中で一人きりでいた恐怖で、俺は理性を持つ余裕を失っていた。

 俺は頭を動かす。

 見えなくても彼女の唇のだいたいの位置は分かる。

「リック君?」

 俺の異変に彼女は気が付く。

 ルビコン川を渡る。

 俺は前世で聞いた言葉を思い出す。

 古代ローマのカエサルが法を犯して川を渡った故事に基づき、後戻りがきかない重大な行動をする事を意味する。

 俺はまさにルビコン川を渡ろうとしている。

 兄嫁と弟。

 その関係は、双方の理性によって、これまで適切な距離を保ってきた。

 川を渡れば、その関係は崩れる。今ならまだ戻れる。

 しかし、今の俺は理性より本能が勝っていた。

 オリーヴはどうだろうか。

 彼女からは拒否する反応はない。

 俺を受け入れてくれるのか。

 戸惑(とまど)っているだけなのか。

 単に何も分かっていないのか。  

 オリーヴの吐息が至近距離で感じる。

 ターゲットロックオン!

 あとは唇をつけ………。


 オギャー オギャー

 

 突然だった。

 それまで大人しくしていたティム君が泣き出す。

 それは、(あたか)も「ここまでだよ」と警告しているようだった。 

 俺は慌ててオリーヴ義姉さんから離れる。

「あらあら、どうしたの」

 オリーヴ義姉さんはティム君をあやす。

 彼女の声を聞く限り、俺の行動に動揺した様子はない。

 単に何も分かっていないだけだったのか、

 どのような結果になったか分からないが、川は渡らなくて良かったのかもしれない。

 それにしても…………。

 兄さんと結婚して妻となり、さらには兄さんとの子供も産んだ事で、俺自身諦めがついていたと思っていた。

 だけど、やはり俺は彼女の事が好きらしい。

 感情を押し殺していただけのようだ。

 普段なら大丈夫だが、こんな時は気をつけないと。

 まぁ、こんな極限状態の環境に出くわすなんてもう無いだろう。

 しばらくするとティム君は泣き止む。

 ただ、彼から「次は許さないぞ」と(にら)まれている気分になる。

「ねえ、リック君」

 暗闇の中でオリーヴ義姉さんが話しかけて来る。

「これからどうする」

 そうなのだ。

 二人と合流は出来たが、根本的な事は全く解決していなかった。

 オリーヴ義姉さんも明かりは持っていなかった。

 暗闇の中、乳飲(ちの)み子を抱いて移動するのは危険すぎる。

 俺だってここへ来るまでに段差で何度も転んだ。

 得体の知れない物体もどこにいるのかも分からない。

「助けを待つか」

 残された選択肢はこれしかない。

 他の人達がどうなったか分からないが、無事であれば、救助なり合流なりしようと努力するだろう。

 最悪、全員が行動不明になっても、洞窟から少し離れた場所で馬車の御者たちが待機している。

 救助は期待できる。

 そうなると、ここから先は持久戦になる。

「オリーヴ義姉さんは何を持っている」

 まずは今ある物を把握しよう。

「ティムの服とかオムツとかは持っているけど」

 彼女はティム君に関わる物は持っているが、他にめぼしい物は水くらいしかなかった。

 俺も同じだ。

 身の回りの物はほとんどエセル達使用人に持たせていた。

 少しくらい持っていれば良かった。

「食べ物も無いわね」

 そう。オリーヴ義姉さんの言う通り、食べ物も無い。

 普段ならおやつ用に干し葡萄(レーズン)を持っているが、今朝は寝坊したので持ってくるのを忘れていた。こんな場所に来るとも思わなかったし。

 現地調達するにしても、思い当たるのは腐った蒟蒻みたいな得体の知れない物体のみ。

 あれは食べる事が出来るのだろうか………きっと腹を壊すに違いない。

 んっ?現地調達。

「食べ物あった!」

 灯台(とうだい)(もと)(くら)し。

 俺には特別な力があった。

 小人のアーちゃんとシーちゃんから貰った石を食べる力だ。

 俺は手探りで壁を探すと、そこに手を当てる。

 左手で石に触って『やわらかく』

 右手で石に触って『食べる』

 念じると壁の一部が柔らかくなる。

 俺は壁をむしり取って口へ運ぶ。

 味も無い、匂いも無い。

 パサついてモサモサした食感。

 相変わらず美味しくない。

 しかし、こんな状況だ。贅沢は言っていられない。

 食料の心配をしなくて良くなった分、上出来と言えるだろう。

「オリーヴ義姉さんも食べるか」

 俺はむしり取った壁の(かたまり)を渡す。

「面白い味ね」

「気を使わなくて良いぞ。俺も美味しいとは思っていない」  

 そう言いながらも俺もオリーヴ義姉さんも魔法を掛けた壁をムシャムシャ食べた。

 山登りしたりして朝から体を使ったから、腹が減っていたらしい。

「あ~、お腹いっぱいね」

 オリーヴ義姉さんの満足そうな声が聞こえる。

 人間、満腹になるとどんな状況でも気持ちに余裕が出るようだ。

「うふふ。思い出すわね」

 暗闇の中、待っている最中、オリーヴ義姉さんが笑う。

「何がだ」

「山の中で二人で夜を明かした時のことよ」

 オリーヴ義姉さんがメイドのアニーに(ふん)していた時の事か。

「あの時は結婚前で、これから大丈夫かな。ウォーカー男爵家の一員としてやっていけるかなって不安だったの」

 マリッジブルーというものだろうか。

 明るく振舞っていたが、内心では色々不安があったのだな。

「ポールさんもお義父様も優しい方で良かった。何よりリック君がいて心強かった」

「俺が?」

 暗くて見えないけど、オリーヴ義姉さんが微笑みながら頷いてくれた気がした。

「いつも見守ってくれていたでしょ」

 無意識の内に視線が彼女を追っていたからな。

 好意的に解釈すれば見守るになるが、一歩間違えればストーカーになる。

「それに私の事を理解してくれていた」

「理解?」

「そうよ。私、貴族の中では変わり者なの」

「確かに。槍が得意な貴族令嬢は初めて見た」

「それもそうだけど………。何と言えば良いのかしら、少し型破(かたやぶ)りな性格みたいなの」

「そうかな?」

 少なくても彼女は貴族としての礼儀作法も教養も(そな)えている人物に思える。

 型破りとはメタボマン伯爵家のマーガレット夫人を示すだろう。

「以前、町で火災が起きたでしょ。その時、町の人達の力になれればと思って、スープを振舞ったの」

「それは俺も知っている。町の人も喜んでいて良かったな」

「リック君はそう言ってくれるわ」

 オリーヴ義姉さんの声の力がちょっとだけ弱くなる。

「だけど、ポールさんからは注意されたわ。貴族がするべき事ではないって」

 あの時、兄さんは優雅な振る舞いではないとか言っていたな。

「リック君は私の行動に共感してくれる。理解してくれる。それが私の心の(ささ)えになったの」

「そんな(ふう)に思ってくれていたのか。素直に嬉しいよ」

 俺は彼女から信頼されているのだな。

「ありがとう」

 俺はティム君の頭を()でる。

 偶然か意図的か分からないが、彼が泣かなかったら、俺が無理やりキスをしていたら、彼女の心を傷つけたかもしれない。これまで築かれていた信頼を失ったかもしれない。

「るーるーるー」

 ティム君が声を発する。

「あらっ、初めて聞く言葉ね。何を言っているのかしら」

 オリーヴ義姉さんは不思議がっている。

 俺には「踏みとどまって良かったな」と言われ、ニヤリと笑っている気がしたのであった。

 

読んで頂いてありがとうございます。

暑い日が続きますが、お身体に気を付けて下さい。

これからもよろしくお願いします。

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