番外編8 安堵
二つのティーカップには紅茶が並々と注がれ、その脇には紅茶が入ったティーポットが置かれている。
普段は、こんな事をせず、執事が適宜紅茶を注ぐのだが、マイエット子爵の飲みっぷりを見るに、それでは供給が間に合わないと判断したらしい。
「御用が御座いましたらお呼び下さいませ」
執事は退室し、部屋は再びおいらピーターとマイエット子爵の二人きりとなる。
「ひっひっひ。酒ではないが、ティムの誕生を祝して乾杯しないか」
「うむ。賛成だ」
おいら達は紅茶で乾杯をする。
「安堵した」
またもや紅茶を一気に飲み干した子爵は、抑揚のない声で呟く。
「出産というのは何かと心配だからな」
おいらは空になった子爵のティーカップに紅茶を注ぐ。
紅茶はこんな飲み物だっただろうか。
「それもあるな」
「それもって、他に心配があったのか」
おいらの言葉に子爵はしばしの間黙る。何か考えているようだ。
「オリーヴが結婚してしばらく経ってからの事だ。彼女から私宛に手紙が届いた」
「ひっひっひ。娘が父親に手紙を送るなんて普通の事だろう」
おいらはちゃかすが、その手紙の内容に問題があったのだろう。
「その手紙には、貴様の息子リックの事ばかりが書かれていたのだ」
「ほう」
「昼に何を食べたとか、どんな本を読んだとか、庭で木の根に躓いて池に落ちたとか、内容は他愛のないものばかりではあったが、楽しそうに書いてあった」
そんな事があったのか。
池に落ちた話はおいらも知らなかった。機会が有ったらリックを揶揄うネタにしてやろう。
「ひっひっひ。初恋の少女の日記のようだな。おいらは読んだ事はないけどな」
「そんな感じなのだろう。私も読んだ事はないが」
そう言いながら子爵は頷く。
「オリーヴは馬鹿な女ではない。それに貴族としての弁えを理解できる人間に育てたつもりだ。だから信じてはいる」
とは言っているが、目の届かない遠く離れた場所だから気が気でなかったんだろうな。
無表情は変わらないが、声に感情が混じり始めている。
「リックがオリーヴに好意を持っていたのは、おいらも知っていた。ただ、リックも馬鹿な奴ではない。オリーヴも子爵が言う通り、自分の立場を理解して接していたからな。心配はしていなかった」
それとリックの補佐役につけたメイドのエセルの存在も大きい。
エセルがリックに好意を寄せているのもあるが、彼女は常にリックにとって有益になる事を考えている。
だから何か間違いが起ころうとしても、エセルが止めただろうし、リックもエセルが傍にいる事で無意識に心の中で歯止めを掛けていたのだろう。
「馬車が暴走した時に何かあったのだろうか」
なるほど、子爵はそこに注目しているのか。
暴走した馬車に取り残されたオリーヴ、あの時はアニーと名乗っていたな、彼女をリックが助けに行った時の事か。
確かにおいら達が助けに行くまで、長い時間二人っきりだったからな。
何があってもおかしくない、何が起きても周りは分からない、子爵の考え方も有り得るけどな。
「確かに、あの時に少しは仲良くなったとは思うが友達レベルだと思うがな。親密になったという感じはなかったぞ。カミラ夫人はどう感じているんだ」
この屋敷に着くまでオリーヴと一緒に行動していたからな。何かあれば気付くはずだ。
「残念だが、貴様と同意見だ」
何が残念なんだか分からないが。自分の推測が外れた事が残念なんだろうか。
「おいらが思うにリックとオリーヴ、あの二人は馬が合うんだよ」
具体的にどうなんだと言われると、おいらも上手くは説明できない。
年齢の割に大人びているを通り越しておっさんのような雰囲気を出しているリック。
穏やかな性格だがお淑やかさを求められる貴族の令嬢にしては活動的なオリーヴ。
どちらも変わり者なのかもしれない。だからこそお互い通ずるところがある。
一年間近くで二人を見た人として、おいらはそう考えている。
「貴様の言う通りかもな。正直、この私もあのリックという男には興味を持っている」
「本当か」
驚いた。リックの奴は使用人達からは人気があるが、貴族からの反応は悪いと思っていたからだ。
「知識も豊富だし、度胸もある。優秀な男だ」
「ひっひっひ。そう評価してもらえると嬉しいな」
「残念なのは貧相な容姿か。あれで相当損している。それは貴様も同じだ」
マイエット子爵、話していると結構辛辣な事を言う男だな。
しかしながら、的確な分析だ。
酷い言い方だが、この前の大火災の時、ドズーター神父を身を挺して助けた元盗賊のゲブ、上背がある分、身だしなみを整えればゲブの方が見た目は優るかもしれない。
背も低いし顔も悪いリック。あれで見た目がもう少し良ければ、周りの評価はもっと高いのだろう。
それから、おいらは容姿が悪い事を割り切っているが、リックは自分の容姿に強い劣等感を持っている。
度胸はあるが、妙なところで自信を持てていない。
それで損していることも多い。
こればかりは自分自身で解決するしかないが。
「何にせよ、子供も生まれた。それに、今日、オリーヴ達と会って、大丈夫だろうと感じた。安堵した」
「ひっひっひ。そう感じてくれて良かったよ」
子爵はクイッと少し冷めた紅茶を飲み干す。
「ただ、思う時はある」
「何がだ」
「もしかしたら、オリーヴはリックに嫁がせた方が良かったのかもしれないと」
ぶっ!
思わず紅茶を噴き出しそうなる。
爆弾発言だぞ。
ここにおいらしかいないから良かったが、他に人がいたら大変なことになったぞ。
「おいおい。大丈夫か」
酔っぱらっているんじゃないか。
けど、子爵が飲んでいるのは紅茶か。
まさか紅茶の中にアルコールが混入しているなんて事はないよな。
「すまない。紅茶を飲むと少しばかり饒舌になってしまうのだ」
紅茶って、そんな飲み物だったか。
「マイエット子爵。オリーヴの話はこれくらいにしないか」
これ以上話すとおいらの心臓の方がもたない。
「うむ。そうだな。本題もあるからな」
「本題?」
おいらは身構える。
本題を口にしたマイエット子爵の雰囲気が変化したからだ。
これまでオリーヴの話をしていた時の雰囲気と明らかに違っている。
無表情のままだが、本気が込められた雰囲気と例えれば良いか。
王宮きっての切れ者と言われる法衣貴族が目の前に現れた。
「あの御方からのお言葉を伝えに来た」
あの御方だと!
その言葉を聞いて、おいらは緊張し、息を呑む。
「計画は中止する」
抑揚のない声で子爵はそう告げる。
表情は相変わらずの無表情。感情を一切読み取る事は出来ない。
「………どういうことだ」
やっとの事でおいらは声を無理やり絞り出す。
「それは貴様が一番理解しているだろう」
「……」
おいらは何も言えない。
「この計画には莫大な資金がいる」
その通り。この計画はウォーカー男爵家が有する財力が必要不可欠だ。
「だが、今回の大火災。貴様は大きな損害を受けた。負担するだけの力はあるのか」
「今、資金を算段している最中だ」
火災で倉庫の品物は焼失し、ウォーカー男爵家は財政面で大きな損害を受けた。
正直、計画に必要な資金を全額用意するのは難しい。
だが、損害を挽回できる方策はないわけではない。
成功する確率は高いとは言えないが、実行する価値はあると考えている
その準備も現在進めている。
「あの御方は、今は機でないとお考えだ」
おいらの言葉を子爵、いやあの御方が否定する。
「だがな。手を尽くす前にやめなくても良いんじゃないか」
ここで抵抗しても無駄な事は分かっている。
それでも言わずにはいられない。
「ウォーカー男爵」
急にマイエット子爵の声が優しくなる。
表情も穏やかになっている。
こんな子爵、初めて見た。
いや、あの御方だ。声も雰囲気もあの御方と同じだ。
まるで目の前にあの御方がいるようだ。
「貴公は最近敵から執拗に狙われている。このままでは貴公やその大切な者達の安全も脅かす事になる」
まさか、あの御方はおいら達の身の安全まで考えられて計画の中止を決断されたのか。
「中止ではあるが、諦めたわけではない。絶好の機会はまた来る。その時まで、力を養おう」
「かしこまりました」
おいらは思わず平伏す。
これ以上、おいらは何も言えない。
あの御方の気持ちは分かった。
ただ従うのみだ。
「分かってくれて何よりだ」
その声は、マイエット子爵特有の抑揚のない声に戻っている。
「いい加減、頭を上げたらどうだ」
おいらは顔を上げると、無表情の顔をした子爵がいた。
「こう言っては不謹慎だが」
おいらが椅子に座りなおすのを見て、子爵は話し出す。
「計画が中止になって安心している自分がいる。このままではオリーヴやティムに危害が及んでいたかもしれないからな」
表情は相変わらずだが、子爵の様子からは安堵が伺われる。
確かに、産まれたばかりの赤ん坊と体力を消耗した母親は格好の的になり得るな。
「そうかもしれないな。だが、子爵、貴方の立場でそんな事を言って良いのか」
これもかなりの爆弾発言だぞ。
「ここには貴様しかいない。ならこの発言が他へ伝わる事はあるまい」
そう言って、子爵は眼鏡を直す。
おいらはかなり信用されているらしい。
「ふぅ。紅茶を飲み過ぎると饒舌になって仕方がない」
子爵は椅子から立ち上がる。
「夜も更けたな。明日も早い。そろそろ休ませてもらうとしよう。美味しい紅茶を御馳走になった」
「…………」
悔しさ
虚しさ
怒り
そして安堵
子爵が去り、一人きりとなった部屋の中。
おいらの心の中では色々な感情が渦巻く。
「ふぅ」
大きく息をつく。
そして、ティーカップに残っている冷めきった紅茶を飲み干した。
読んで頂いてありがとうございます。
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