第3話 ウォーカー男爵家
チュンチュン
雀の鳴き声を聞いて俺、リックは目が覚める。
異世界にも雀っているんだな。
前世の記憶で雀が鳴いているのは縄張り争いをしているからと聞いた事があるが、この世界でもそうなのだろうか。
まぁ、どっちでも良いか。
ベッドから降りて窓際のカーテンを開けると部屋に朝日が差し込む。この世界でも太陽と月は前世地球と同じ。間違っても月が二つあるなんて事はない。
眼下には家々や畑が並び、その先には山脈が見える。産まれてから見慣れた盆地の風景だ。
異世界に転生してから13年。
前世地球で例えれば、中世ヨーロッパに近い文明レベルや景観である、この世界の生活に俺はすっかり馴染んでいた。
「おはよう」
俺は食堂へ行くが、給仕がいるだけで他には誰もいない。どうやら一番乗りの様だ。
とりあえず椅子に座ると給仕がやって来て、白濁の液体が入ったグラスを置いていく。
俺は礼を言うとグラスを口に運ぶ。
とろりとした食感と濃厚な甘さが口に広がる。
シェフ特製のフレッシュジュースだ。この味は桃を使っているな。
この辺は内陸の高地に位置しているので、桃や葡萄や林檎といった果物が取れる。
毎朝出てくる特製ジュースはいつも美味しい。これを飲まないと一日が始まった気がしない。
籠の中から焼きたてのパンを一つ取り、それにバターを塗って食べていると、再び給仕がやって来て、料理を運んでくる。
目の前に置かれた平皿の上にはベーコンエッグが載っている。
これは美味しそうだ。
俺はナイフで厚切りのベーコンを切る。
ベーコンの断面から油があふれ出る。
俺はベーコンを口に運ぶ。
目玉焼きと一緒に食べるべきだと言う人もいるが、最初の一口はベーコンだけを食べるのが俺流だ。
噛む時の柔らかい弾力は厚切りならでは、香ばしい風味は手作り燻製がなせる業だ。
続いて目玉焼きにナイフを入れると、黄色い断面から黄身がトローっと流れる。
ベーコンが黄色い衣装を纏う。
それを俺は食べる。
うん。美味しい。ベーコンと卵の組み合わせは最強だ。
俺は黙々と目の前のベーコンエッグを食べていく。
この家の料理はいつも美味しい。
腕の良いシェフのおかげだ。王族の屋敷の厨房で長年修行をしてきたという経歴は飾りではない。
特製ジュースもパンもベーコンエッグもシェフの腕によって素晴らしい味に仕上がっている。
だけど、こんなに美味しい料理をいつも食べられるのは、ウォーカー男爵家くらいだ。
庶民は元より他の貴族だって、朝食は作り置きして硬くなったパンを水に浸して食べる程度だろう。
この世界では、ベーコンも卵も高級品だ。
庶民の手が届かないほど高価でもないが、ファーストフード店でトッピング注文できるほど気軽な物ではない。
日本の食生活がいかに恵まれていたのかがよく分かる。
そして、これら高級品を気軽に食べる事が出来るこの家に生まれてきて良かった。食事をする度に俺はいつも感謝している。
「リック、おはよう」
お皿の上のベーコンエッグが半分消えた頃、食堂に若い男性と中年の男性が入ってくる。
若い男性は、俺の兄であり、ウォーカー男爵家の嫡男であるポールだ。
容姿端麗という言葉は彼の為にあると言っても良いだろう。女性であれば確実に見惚れてしまうほどの美男子。加えて文武に秀でている優れ者。周囲から将来を嘱望されている。
そして中年の男性。彼は俺の父であり、ウォーカー男爵家の現当主ピーターだ。
兄さんとは違って小柄でさえない風貌をしている。身なりが良いから辛うじて貴族に見えるが、薄汚れた服を着ていたら絶対に盗賊に間違えられる。
同じ親子でこうも姿が違うのか。きっと兄さんは母さん似なのだろう。俺が幼い時に死んでしまったが、綺麗な人だった。ちなみに、俺は父さん似だ。もう少し母さんの遺伝子をもらいたかったな。
しかし、このピーター・ウォーカーと言う男は見た目に反して傑物だ
俺は転生する前に神様から『裕福な貴族の生まれ』という力を貰っているが、生家であるウォーカー男爵家がその力の通り裕福になれたのは、この父ピーターの才覚による所が大きい。
ウォーカー男爵家は代々ロイレア王国に属する貴族の家柄で、王国の僻地で領主をしている。
山間部の狭い盆地の中で、小麦や果物を栽培していて、かつては細々とした暮らしの貧乏貴族であった。
俺が転生するよりも前、ある年の事だ。ウォーカー男爵領では百年に一度と言われる規模の大豊作になり、小麦がたくさん余った。
ところが、王国の他の土地では逆に百年に一度と言われる規模の大凶作となり、小麦が不足した。
そこで父さんは余った小麦を売って大金を得たのだが、金持ちになる人は他の人達と違う事をするものだ。
なんと、金を全て費やして煙草の原料を買い占めたのだ。
周りの人は気が狂ったと思ったらしいが、買い占めた翌年、煙草の原料となる植物が不作になった。前世地球では、健康の敵とされる煙草だが、この世界では紳士の嗜みとされて貴族を中心に需要は多い。当然父さんは買い占めた煙草の原料を売り払って大儲けした。
以降も保存が利く穀物・嗜好品を安い時大量に買い付け、値段が高くなった時に売り払ってその差額を利益として得る。貿易商のような事を続けて財産を蓄えていき、俺が産まれた頃には、ウォーカー男爵家はロイレア王国内でも有数の大金持ちとなっていた。
父ピーターと兄ポール、この二人が食卓に着くと、俺と同様、給仕がジュースを運んでくる。
「おい、リック」
俺がちぎったパンに黄身をつけていると父さんが声を掛けてきた。
口の周りが白くなっている。ジュースを一気飲みしたんだな。
俺がそれを教えると父さんは舌を出して口の周りを舐める。
「父上、口の周りを舌で舐めるのはやめてください」
兄さんが注意すると、父さんは手で口を拭う。
「「……」」
俺と兄さんが無言で呆れ混じりの視線を向けるが、父さんは「布で拭いたら洗うのが大変だろ」と悪びれる様子もない。
使用人への負担を減らす為の配慮なのか屁理屈なのか分からないが、貴族らしくない人だ。
「まあ、細かい事は置いといて本題だ。ポールが結婚する事になった」
ふ~ん。兄さん結婚するのか。
「驚かないのか?」
父さんは俺の淡々とした反応が不満らしい。
「せめて食べている物を噴き出すくらいのリアクションをしろよ」
残念だが、俺は芸人ではない。それに実際に食べている物を噴き出しても面白くないと思う。気持ち悪いだけだ。
ちなみに結婚する事になった本人は、特別な反応は無く、ジュースを上品に飲んでいる。
そろそろだと思っていたからな。
ポール兄さんは18歳。
ロイレア王国では既に大人として扱われる年齢であり、既に結婚して子供を持っている人も珍しくない。
それに、貴族というのはどこの世界でも血筋を大事にする種族の様で、貴族本人が自由恋愛で結婚する事は滅多にない。大概は周囲が決めてしまう。場合によっては産まれた直後に許嫁が決まってしまう人だっている。
「相手が王女様とかだったら鼻から紅茶を吹き出すくらい驚いてやるけど、子爵家や男爵家の令嬢だったら予想通りだよ」
「ちぇっ。まったくつまんない奴らだ」
俺の言葉に父さんは舌打ちをする。
どうやら俺の予想が当たっているらしい。
話を聞くと、兄さんの結婚相手はマイエット子爵家の令嬢だそうだ。
マイエット子爵は王都に自宅を構え、領地を所有していない。
王宮に出仕して国王の政務を補佐する役の貴族で、法衣貴族と呼ばれている。
日本で例えるなら、中央省庁の事務次官や局長といったキャリア官僚を世襲制にした立場の貴族だろう。
「これから結婚式の準備で忙しくなる。覚悟しておけよ。ひっひっひ」
父さんは悪党が外道な行いをした時に浮かべるような笑いをする。
根は悪い人ではないのだから、もっと見た目に気を使えば良いのに。
「分かったよ」
そう言って、俺は目玉焼きの最後の一切れを口へ運んだのであった。
「何はともあれ、兄さん、結婚おめでとう」
食事を終え、二人きりになった時に俺は兄さんにお祝いの言葉を掛ける。
「良い人だったら良いな」
俺の言葉に兄さんは「そうだね」と頷く。
父さんの話によるとこの結婚は、ある有力貴族が決めたのだそうだ。
だから、俺はもちろん、父さんも兄さんも子爵令嬢と会った事が無い。
相手の顔が分からないまま結婚する事は、貴族ではよくある話だが、どんな人なのか期待と不安が入り交じる。
俺個人の偏見だが、貴族は周囲からチヤホヤと甘やかされて育てられているので、我儘な性格の人が多い気がする。
使用人に残虐な乱暴する。家が傾く程金遣いが荒い。異性に見境なく手を出し淫らな行為を重ねる。
もちろん貴族の中には優れた人物や人格者もいるだろうが、田舎にいるせいか貴族の悪い噂話はよく耳にするのだ。
ちなみにロイレア王国の貴族制度は、国王を筆頭に公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵、士爵の順で爵位が続く。
俺のウォーカー家は男爵だから、兄さんは格上の貴族からお嫁さんを貰う事になる。
このお嫁さんとなる子爵家令嬢が、格下の貴族であるウォーカー男爵家や兄さんを見下す恐れは否定できない。
それでも夫となる兄さんと相性が合えば救いがあるが、もし悪ければどうなるか。
紹介してくれた有力貴族の面子もあるので、お互い簡単に離婚はできない。
血筋が重視されるこの世界で、子作りをする必要もあるので、夫婦別居も難しい。
お互いがストレスを抱えて日々を過ごすことになる。
そう考えると、貴族の結婚は博打に似ているな。
「まあ、お互い仲良くできるように頑張るよ」
そう言って兄さんは曖昧な笑みを浮かべたのであった。