第30話 利回り
「もう、いい!」
昼下がりの鐘が鳴る頃、メイドのエセルと一緒に屋敷の廊下を歩いていると怒鳴り声が聞こえる。
何事?
俺とエセルは顔を見合わせる。
近くの部屋の扉が乱暴に開き、ポール兄さんが現れる。
兄さんは俺達に気が付いていないのか、部屋を出ると俺達と反対側の方向へ歩いて行った。
「ポール様、すごく怒られていましたね」
エセルの言葉に俺は「そうだな」と同意する。
怒鳴り声の主は兄さんで間違いない。
扉越しでも分かる程だ。大音量で叫んだのだろう。
どうしたんだ?
普段は温厚な人なのに。
あまりの剣幕に声を掛ける事すらできなかった。
「あの部屋はピーター様の書斎ですよね」
「そうだよな」
あの部屋で何があったんだ。
扉は開いたままなので、恐る恐る部屋の中を覗いてみる。
ピーター父さんが椅子にもたれかかっている。
疲れているのか、その姿に元気はない。
「父さん」
声を掛けられて初めて俺に気が付いたらしい。
眉間に皺が寄っていて、人相の悪い顔が一層悪くなっている。
「どうしたんだ」
「色々あるのさ」
そう言って父さんは、ため息を吐く。
父さんの代名詞である「ひっひっひ」という笑い声も無い。
いつものように兄さんを揶揄って怒らせた訳ではなさそうだ。
何か深刻な事があったのは容易に想像がつく。
このまま、この場を去っても良いのだが、何となく去り難い雰囲気だ。
「リック、お前、時間があれば話を聞いていかないか」
父さんから誘われる。
俺は空いている椅子に座る。
「エセル、悪いがお茶を入れてくれ」
「畏まりました。」
父さんに言われてエセルは厨房へ向かう。
室内には父さんと俺、二人きりになる。
「これを見てみろ」
父さんが一枚の紙を差し出す。
『利回り80%確実!ダイヤモンド発掘事業』
高価な赤いインクを使って書かれた見出しの以下には、説明が書かれている。
****************
ついに王国の炭鉱でダイヤモンドが発掘されました!
王都に本店を置く名門宝石商ロイヤルマウンテン商会によると、良質なダイヤモンドが大量に埋蔵されているそうです。
しかし、炭鉱の所有者だけでは発掘の資金が足りません。
今は目の前の財産に指をくわえて見ているだけです。
もったいないと思いませんか!
そう思った貴方!この炭鉱に投資しませんか?
ダイヤモンドの発掘は確実!
利回り80%は確実!!
一口 金貨10枚から投資可能!!!
破格の好条件!!!!
なお、募集が殺到すると予想されます。
定員に達した時点で受付は終了しますので、申し込みはお早めにお願いします。
**************
ちなみに、利回りとは投資した金額に対して得られた利益を意味する。
例えば、金貨10枚を投資した場合、利回り80%だと金貨10枚×80%=金貨8枚が増える事になる。
つまり、金貨10枚を投資したら、何もしないでも金貨が18枚、倍近くになって戻ってくるのだ。
ちなみに、前世の知識から引用すると日本の国債の利回りは、高い頃でも9%強、低いと1%を下回っている。この利回り80%は破格の高さである。
ちゃんと支払われるのなら。
「お前は気が付いたようだな」
「胡散臭いよな」
ダイヤモンドが発掘された鉱山の場所が書かれていないのは、企業秘密としてあげよう。
だが、その他が怪しすぎる。
まず、名門宝石商ロイヤルマウンテン商会。
いかにも高級感あふれる名前をしているが、聞いたことがない名前だ。
変な話、宝石を扱っていなくても宝石商と名乗るのは自由だ。
そもそも、本格的な発掘がされていない炭鉱なのに、良質なダイヤモンドがたくさん埋もれているのが何故分かるのか。
そして、利回り80%が確実だと好条件を謳い、目の前にある宝の山に手を出さないのは勿体ないと煽る。
怪しすぎる。
「ついでにな、ポールの説明だと、この話を持ってきた奴は、今すぐに返事をしないと間に合わないと言ったらしいぞ」
「これは詐欺だな」
確定だ。
時間が無いと言って急がして熟考する時間を与えない。
典型的な詐欺の手口だ。
「ひっひっひ」
父さんが当然笑い出す。
いつもの調子に戻ったな。
「おいらもそう思うさ。だがな、ポールの奴は絶対に儲かると言うんだ」
結局、怪しいと言う父さんと儲かると言う兄さんの意見は平行線をたどり、喧嘩になってしまったのだそうだ。
「あいつは優秀だ」
それは俺も同意見だ。
父さんや俺の親族とは思えないほどの長身で美しい容姿、博識で弁舌さわやか、常に華麗な動作をしていて、歌や踊りといった芸術にも秀でている。
また、乗馬が得意で、白馬に乗った姿は、白馬の王子様そのもの、絵に描いたかのような貴公子。それがポール兄さんである。
「俺と全然違うよな」
一方の俺は、小柄で悪人の様な顔つきをしていて貧相な容姿。乗馬はそれなりに出来るが、歌や踊りは全く駄目で講師が匙を投げるほどのレベル。
賢兄愚弟
それが世間での評価なのではないかと俺は思っている。
「リック様は素晴らしい方だと思います」
いつの間にかエセルが部屋に入ってきて、父さんと俺に紅茶を用意してくれている。
俺に好意を寄せている彼女は特殊な部類に入ると思う。
「ひっひっひ。リック、お前は自分を低く見過ぎているな。ポールには劣っている所は多いが、ポールより優れている所も多い。そこを評価する人も少なくない」
そうかな。そんな実感は無いのだが。
「お前に一番足りないのは自分を好きになる事だな。周りからは同情される事が多いが、おいらは自分の事が好きだぞ」
父さんが胸を張る。
そうかもしれない。ピーター父さんはいつも楽しそうにしている。それは自分が好きな証拠なのかもしれない。
「話を戻すぞ。ポールは優秀だ。だがな、若い」
ポール兄さんは結婚したが、まだ19歳。
成人はしているが、老獪な人物が数多く闊歩している貴族社会では、まだひよっ子の部類だろう。
「それにポールは人の話を信じやすい節がある」
確かに兄さんはその傾向が強いな。
それが良い所でもあるとは思う。
「だがな、貴族ってのはな、色んな奴らが群がって来る。その中には、金目当ての悪い奴らも大勢いるのさ」
「金目当てか」
前世、日本でもそういう人間はたくさんいたし、異世界へ転生したこの世界でも何人も見てきた。
その手の部類はどんな世界にもいるのだろう。
お金がある限り。
「まあ、ポールだって、経験を積めばもう少しマシになると思うがな。ただ、間違わない方向へ導いてやる。それは親の務めだ」
「そうだよな」
同感だ。
前世ではあるが、俺も父親だった。心配する気持ちも分かるし、どうやって独り立ちさせるか悩んだ事もあった。父さんの心中はよく分かる。
「とはいえ、おいら一人だけでは限界もある。リック、お前も色々とポールの事を助けてやってくれよ」
「分かった」
紅茶を飲み終えた俺は、父さんの書斎を後にした。
「そういえば、エセルも最初は金目当てで俺に近づいたよな」
廊下を歩きながら、俺は一年前起きたお風呂での出来事を思い出す。
「その話はやめてください。闇に葬り去りたい過去の話です」
当のエセルは恥じ入っている。
どうやら黒歴史らしい。
傍で見ていて分かったがエセルは真面目な性格だ。
変な気負いでもあったのか、あの時は相当無理をしていたんだろうなと思う。
「今のエセルはお金目当てではありません。仮にリック様が貧乏になっても、落ちぶれても、エセルは身も心も全て捧げます!」
言い切るエセル。
その目は真剣そのもの。
上辺だけの言葉ではなく、本心そのもの言葉のようだ。
普段、メイドの仕事をしている時は冷静沈着な印象が強いけど、こういう時はとても情熱的になる。
人によっては想いが重いと感じて引いてしまうかもしれない。
だけど、俺にとって彼女の想いは、とても嬉しかった。
「ありがとう」
愛おしくなり、俺はエセルの頭を優しく撫でたのであった。
読んで頂いてありがとうございます。
次回の更新は6月29日月曜日を予定しております。
これからもお付き合いのほど、お願いいたします。




