第1話 死と転生
ここはどこだ?
俺は辺りを見渡す。
前後左右上下すべてが真っ白な空間。
地面も無いから浮いているかと問われれば、そうとも答えられない不思議な感覚。
少し前の出来事を思い出す。
日曜日の昼前、俺は娘と一緒に地元の雄、山羊橋百貨店へ買い物に出かけた。
天気が良かったから散歩気分で歩いていった。
買い物が終わったら、7階のレストラン街の小助越後海鮮丼でも食べようか。
そんな事を考えながら百貨店の目の前の横断歩道を渡っている時だった。
猛スピードで走ってきた車が信号無視をして突っ込んできて………
脳裏に娘の姿が浮かぶ。
出産を間近に控えた娘。大きなお腹を優しく触っていた娘。
「娘さんとお腹のお子さん。貴方にとってお孫さんですね。二人共無事ですよ」
突然聞こえる声。
いつの間にか俺の目の前には、一人の青年が立っていた。
「事故のショックで、予定よりも早く産まれましたけど、母子ともに健康ですよ」
青年の言葉に俺は安堵する。
それと同時に「産まれた」という言葉を聞いて娘と孫に早く会いたい欲求に駆られる。
そんな俺を見て、青年は申し訳なさそうな表情をする。
「貴方はもう娘さんとお孫さんには会えません」
なんでだ!
しかしながら、その理由は何となく想像はつく。認めたくないが。
「貴方は死んでしまいました」
やはりそうか。おそらく暴走した車に|撥ねられたのだろう。
そうすると、ここは死後の世界で、差し詰め、目の前の青年は神様といったところか。
「そうです。貴方の世界の概念で言えば、神という存在になります」
そう告げると、神と名乗った青年は、徐に正座し、両手をついて頭を下げる。
俗にいう土下座だ。
「神様?」
俺は困惑する。
なぜ、神様は土下座をしたのだろうか。
「ごめんなさい。こちらの手違いで貴方を死なせてしまいました。本来の運命では、貴方は100歳まで生きる予定でした」
なんだと!
先月60歳になったばかりだったから、あと40年は生きる事が出来たのか。
そして、待望していたせっかくの初孫。神様の手違いで顔を見る事すら叶わないのか。
ふざけるな!
俺の怒りの温度計はどんどん上昇し、沸点にまで達しようとする。
「本来の運命では貴方ではなくて、娘さんとお腹のお子さんが、飲酒運転をしていた男の車に撥ねられて死ぬ事になっていました」
えっ!?
俺の怒りの温度計は瞬く間に下がっていく。
「神でも予測できない出来事とは、正にあの事です。あそこで烏が飛んでこなければ、全ては運命の通りに進んだというのに」
烏に感謝しないといけないのだろうか。
悔しそうな様子の神様を見ながら、そう感じる。
俺が間違いで死んでしまった事は残念だが、俺の死と引き換えに娘と孫が助かったのなら、仕方がない。
「神様、顔をあげてくれ。誰にでも間違いはある。仕方がない」
だから俺は謝り続けている神様を許す。
「おぉ、許してくれるのですか。貴方はなんて広い心の持ち主なのでしょう」
顔をあげた神様は驚きの表情を浮かべている。
「ああ。俺の心は狭山湖より広いんだ。今回の間違いは水に流して許してやる。その代わり、俺の命が短くなった分、娘と孫を長生きさせてくれ」
「そんな事ぐらい簡単です。神の名に誓って二人とも100歳まで元気で生きていられるようにしておきましょう」
それは良かった。現世に未練が無いと言えば嘘になるが、神様が娘と孫の長寿を約束してくれたのだ。俺も安心して成仏できるってもんだ。
さて、神様から、あの世へ連れて行ってもらうか。
んっ!?
何故だろうか。神様の様子が変だ。
土下座していた時よりも表情が青ざめている。
顔を見ると、何故か視線を逸らされる。
「ごめんなさい。貴方を成仏させることができません」
神様はもはや這い蹲っていると形容していいくらいの土下座をしている。
おいおい。なんで成仏できないんだ。
「予定よりも40年も早く死んでしまったので、あの世では貴方の魂を受け入れる準備が出来ていないのです」
それじゃあ俺はどうなるんだ。このまま幽霊にでもなって彷徨うのか。
「幽霊になられるのは困ります。どうしましょうか。う〜ん。あっ、そうだ!」
神様は両手を叩く。
その表情は名案を思いついたと伝わるくらい明るい。
「異世界へ転生して貰います」
異世界転生!
最近、ライトノベルで流行っているアレか。
「その通りです。還暦を迎えた割には、その辺の事情に詳しいですね」
まあな。ライトノベルは読みやすかったからな。
会社の帰り、近くの本屋で一冊買ってから、高崎線電車に乗り込んでいた。
上野で読み始めると、籠原で降りる頃に一冊読み終える事が出来たから、都合が良かったし、会社帰りの楽しみでもあった。
たまに鴻巣あたりで読み終えて手持無沙汰になったり、熱中して神保原まで乗り過ごしたり、間違って宇都宮線電車に乗って東鷲宮まで行ったりしてしまった事もあったのも、今となっては良い思い出だ。
「埼玉のそれも局地的な話を出されても分かりません」
なんと!神は全知全能ではないのか。
「皮肉で言ったのですけどね」
神様は呆れている。
要するに、俺にとってライトノベルは帰宅時間のお手頃な本として重宝していたと言いたいのだ。
ただ、最近は、読み過ぎたせいか勇者になって無双したり、美少女を集めてハーレムをつくったり、そんな願望を抱いては夢想していた。
「年甲斐もない事を夢見て、恥ずかしくないですか」
余計なお世話だ!
60のおっさんがチート勇者とハーレムの夢を見ちゃいけないのかっ!!!!
「……まあ良いです。異世界への転生についてある程度の知識があるのなら話は早いです。お詫びも兼ねて、特別な力を授けましょう。神の力ですから並大抵ではない力ですよ」
俗にいうチートスキルというやつか。
「似たようなものですね」
いつの間に用意したのか、神様の手元にはたくさんのカードが並んでいる。
水色、黄色、朱色等々、一枚一枚色が違っている。中には、青とクリーム色のツートンカラーのカードまである。
まるで電車のラインカラーみたいだな。
「この中から、好きなカードを三枚選んで下さい」
選んだカードに書かれている能力が貰えるんだな。
どうしようか。
まず、俺は黄緑のカードを選ぶ。丸い緑でお馴染みの山手線と同じ色だ。
一枚目『前世の記憶の継承』
これって特別な力なのか?
「貴方は、前世の記憶を持っている人を見掛けた事はありましたか。この力を持っていないと前世の記憶は疎か、ここでの出来事も忘れてしまいます。経験を新たな人生に引き継げるのは凄いことなのですよ」
神様の説明を聞いて納得する。
知識系のチートに当て嵌まるかもしれないな
60年の人生で培ってきた経験を異世界で発揮させてもらうとするか。
続いて、俺はマルーンカラーのカードを選ぶ。関西の雄、阪急電鉄と同じ色だ。
二枚目『大金持ちの貴族の生まれ』
今度は資金系のチートか。
良い暮らしが出来そうだな。
きっと、テレビに出てくる大金持ちみたい生活が送れるに違いない。一度はしてみたいと思っていたんだよな。
そして最後の三枚目だ。
知識、資金となれば、やはり戦闘力だろうか。
それとも美少女ハーレムを形成する為の容姿だろうか。
転生先が平和なのか、混沌なのか、どんな世界か分からないが。
えいっ
意を決し、俺は三枚目のカードを選ぶ。
これまでの人生でお世話になった高崎線に敬意を表して濃い緑色と蜜柑色のツートンカラーのカードだ。
三枚目『超人』
なんだ、これは。
戦闘系チートのようだが。カードに説明書きがあるぞ。
超人
・普通の人間では絶対に出来ない行動、即ち人智を超える行為が一定時間行えるようになる。
・例:新幹線より速く走る/撃たれた銃弾を箸でつまむ/タンスの角に小指をぶつけても痛くない 等
おぉっ!
これは凄い力だ。
残念なのは、常時発動では無い事と一番下に書かれている、この一文だろう。
・注意:『超人』を一回発動する毎に寿命を一日分消費する。
命を削るチート|能力か。
使う場面は慎重に考えないといけないな。
「大丈夫です。詳しい事は言えませんが、貴方の寿命は長くしてあります。少しくらい贅沢に使っても問題ないと思いますよ」
それはありがたいが、それでもタンスの角に小指をぶつける程度で気軽に使えないのが残念だ。
そう思っていると、神様はやれやれといった態度を見せる。
「これは特別サービスです。貴方には『タンスの角に小指をぶつけても痛くない』力も授けましょう」
これは嬉しい。
言ってみるものだ。
これまでの人生、タンスの角には散々苦しめられてきたからな。あのストレスから解放されるとは。
実に素晴らしい。
「喜んで頂けたのは何よりですが、そろそろ時間です。新しい人生が幸多き人生になる事を祈っていますよ」
そう言うと神様は姿を消す。
そして周囲の景色が真っ黒になるのと同時に俺の意識も失ったのであった。
異世界での新しい人生の始まりだ。
どんな人生になるのだろうな。
読んで頂いてありがとうございます。
ウイルスとか不景気とか暗い話題が多い最近ですが、この作品を読んで少しでも楽しい気持ちになって頂けたら幸いです。
これから頑張っていきますので、応援よろしくお願いします。