番外編40 シェリーの夢 ~転機~
前回のあらすじ
シェリーは夢でこれまでの人生を回想する。
ヒューズ枢機卿の命令で美人局を何度も行い対象者を失脚させたシェリー。
その事に嫌気がさしていた。
そんな時、新たな対象者ドズーター神父の元へ赴くのだが……
「お湯をお持ちしました」
うちシェリーはお湯が入った桶を持って客室に入る。
勿論、修道女から宿屋の娘に変身済みだ。
室内には白髪で小太りの男性がいる。
今回のターゲットであるドズーター神父だ。
うちはいつも通り相手を誘惑する仕草をしながら桶を置く。
すると神父はうちに向かって手を伸ばす。
掛ったかな。
うちは合図の口笛を鳴らす準備をする。
チャリン
うちの手には、銅貨数枚が握られていた。
「はい。小遣い」
お湯を持って来た事へのチップらしい。
「お疲れ様。下がって良いよ」
神父は労いの言葉を掛ける。
困ったかな。
これでは部屋から出されて美人局が出来ない。
今までとは違う展開にうちは焦る。
何とかして室内に留まらなければ
「あ、足を洗わせて頂きます」
咄嗟に閃き放つ一言。
「有り難う。しかし、お気持ちだけ頂戴します」
しかし、神父は首を横に振りながら、やんわりと断る。
これは駄目かな。
うちが諦めかけたその時だった。
ぐぅ~
お腹が鳴る。
それも盛大に。
室内に響き渡る。
そういえば、何も食べていなかった。
「す、すみません」
うちは顔を真っ赤にして謝る。
恥ずかしい。
「ははは。お腹が空いていましたか」
神父は微笑むと部屋の隅に置いてあるバッグの中からパンを二切れ取り出す。
「はい。どうぞ」
「ありがとうございます」
その内の一切れを差し出され、うちは受け取る。
「せっかくだから、これをパンに塗りましょう」
今度は小瓶を取り出す。
「貴重品ですから、一匙だけですよ」
中身は蜂蜜だった。
黄金色の液体がパンにトロリと垂れていく。
「頂きます」
折角なので、うちもパンを食べよう。
祈りを捧げると、口に運ぶ。
甘い。
そして、美味しい。
上質な蜂蜜なのかな。
うちは夢中でパンを食べる。
「パンにはやっぱり蜂蜜ですね」
神父のパンは蜂蜜まみれになっている。
何匙分の蜂蜜を塗ったのかな?
甘すぎて口の中がおかしくならないかな。
うちの心配をよそに神父は美味しそうにパンを食べる。
しばらくすると二つのパンは綺麗に無くなっていた。
「ところで貴女は教会の関係者ですか」
神父は優しい口調で尋ねる。
「えっ!」
うちにとっては不意打ちだった。
「…………」
駄目だ。適当な言葉が思い浮かばない。
無言は肯定と同じ。
うちは素直に認める。
「どうして分かったのですか」
「パンを食べる前に祈りを捧げたでしょう。あれは高度な教育を受けた者しか出来ません。少なくても宿屋で下働きされている方には出来ない芸当でしょう」
「あっ!」
迂闊だった。
「食う、寝る、出す。人間は本能を満たそうとする時に本性を出してしまうのですよ」
神父はそう言って「ははは」と笑う。
「大方、色仕掛けで私を陥れようとしたのでしょうけど、残念ながらその手には引っ掛かりませんよ。これを使えばまだ可能性が有りましたが」
神父は蜂蜜が入った小瓶を指差す。
どうやら甘い物が好きな人らしい。
「さあ、そろそろ帰りなさい。誰かから命令されたのでしょうけど、貴女の様な美しい方がこんな真似をしてはいけませんよ」
完敗だ。
うちは一礼して客室から出ていく。
ただ、うちの心の中は悔しさより清々しい気持ちだった。
任務が失敗して、どんなに怖いお仕置きをされるのか不安だったうちだけれど、枢機卿からネチネチと説教されるだけで留まった。
想像以上に軽い処分だ。折檻は覚悟していたのに。
後日リリアン夫人から教えてもらった話によると、ヒューズ枢機卿は美人局を終わらせようか迷っていたらしい。
もっと早く決断して欲しかったかな。
だから、うちが美人局を命じられる事は無くなった。
それからしばらくの間は、信者から寄付金を集めたり面倒な雑用を命じられたりした日々を過ごしていた。
そんなある日。
ヒューズ枢機卿は王都を留守にした。
重大な会議に参加する為らしい。
そういう時、うちは付き人として同行するのだけれど、珍しく留守番になった。
羽を伸ばせるかな。
うちは喜ぶ。
ところが、そこで大きな転機を迎える。
「探しましたよシェリーさん。ここにいましたか」
総教会の廊下の静寂を破る声。
ドズーター神父だ。
あの一件以降、神父と顔を合わせる事はあっても、会話をした事は全然無かった。
突然声を掛けられて戸惑ううちを気にする様子もなく、ドズーター神父は話を続ける。
「実は私、急遽ウォーカー男爵領へ赴任する事が決まりました」
「はぁ」
真意が分からず、曖昧な返事をする。
ウォーカー男爵の名前は聞いた事がある。
僻地を収める下級貴族だけれど、豊富な資金力で台頭している新興勢力だ。
「ところが、男爵領へ連れて行く部下がいなくて困っているのです。見たところ貴女は暇そうです。なので一緒に来て下さい」
「えっ!?」
うちは驚く。
確かに枢機卿が居ないからちょっとノンビリしていたけれど、決して暇ではない。
むしろ仕事は山積みだ。
「ヒューズ枢機卿から命じられた仕事が有るので………」
「それなら枢機卿に置手紙でもしておきましょう。何せ、私の任務は教皇直々のご命令です。枢機卿も理解して頂けるでしょう」
そう言って片目をパチッと閉じる神父。
うちは理解した。
この人は、うちとヒューズ枢機卿との鎖を切ろうとするチャンスを与えようをしている。
「今すぐ出発したいのですが大丈夫ですか?」
だからうちは即答した。
「はい。よろしくお願いします!」
こうして、うちはドズーター神父と一緒にウォーカー男爵領へ赴任した。
王都から遠く離れた土地だけれど、町は王都より綺麗で人々は幸せそうに暮らしていた。
そこでも寄付金集めはしたけれど、ヒューズ枢機卿の時と比べれば桁が二つも少ないノルマだった。
空いた時間で領民に神の教えを説いたり相談に乗ったりする日々。
うちが思い描いていた聖職者としての姿があった。
パチッ
そこで目が覚めて夢が終わる。
薄暗い空間が視界に広がる。
馬車の中だ。
あ~あ、もう少し寝ていれば主さんに会えたのに。
残念かな。
もう一度眠ろうかと考えていると、幌が開いて光が差し込む。
焦げ茶色の髪の中で一房だけ赤い色の髪を持つ少年が出入口に立っている。
「やっと目が覚めたか、しばらく見ない間に図々しくなったものだな」
そう言って、少年は突き刺すような鋭い視線を向ける。
うちは身を強張らせた。
読んで頂いてありがとうございます。
シェリーの回想編は予定より長くなってしまいましたが、これで一区切りとなります。
次回からは現在の話に戻り、色々と動き出していく予定です。
これからもよろしくお願いします。




