第10話 超人
超人
・普通の人間では絶対に出来ない行動、即ち人智を超える行為が一定時間行えるようになる。
・例:新幹線より速く走る/撃たれた銃弾を箸でつまむ/タンスの角に小指をぶつけても痛くない 等
俺が転生する時に引いた「超人」のカードに書かれていた説明だ。
新幹線より速く走るとあるが、俺の記憶で残っている中で最も速い新幹線は「はやぶさ」と「こまち」で、東北新幹線宇都宮駅と盛岡駅の区間を最高時速320kmで走行する。秒速にすると約89m。100mを約1秒12で駆け抜ける。
これも前世の記憶だが、俺の転生直前時の100m競走の世界記録はジャマイカのウサイン・ボルトが記録した9秒58。
つまり超人の力を発動させて走ると、100m競走世界記録保持者の8倍以上の速さで走れるのだ。
超人の名は伊達ではない。
一方、暴走馬車。この世界の馬がどれ程の速さで走れるか分からないが、日本の競馬でサラブレッドが疾走すると時速70km、秒速20mで走れる。ただし、これは競馬場などの整地された場所で、体重50kg以下の騎手が乗馬する条件であった場合。
ろくに整備されていない上に雨でぬかるんでいる悪路、加えて重たい馬車を曳いているのであれば、その速度はさらに落ちる。
何が言いたいのか、要はこんなことを考えている間に、暴走馬車に追いついたのだ。
数kmの距離を全力疾走しているはずだが、馬に疲れている様子はない。
もともとスタミナがあるのか、それとも興奮して疲れに気が付いていないだけなのか。
俺はスピードを抑えて馬車と並走する。
馬車の中から人の気配がする。アニーだろう。
彼女の安全を確保するのが最優先だ。
開きっ放しの扉から馬車の中に飛び込む。
地震の最中
悪路の中を猛スピードで走っている馬車の中を例えるなら、この表現が当てはまる。
揺れによって立つことは出来ないし、馬車に積まれていた品々は散乱している。
そして、アニーは隅っこで蹲っている。
俺は急いで駆けよるが、彼女はまだ気が付いてない様子だ。
「大丈夫か」
肩を叩きながら声を掛けると、アニーは驚いた表情を浮かべるが、すぐに安堵の表情へと変わる。
「頑張ったな」
俺はアニーを抱きしめる。
すると彼女も腕を俺の背後へと回し、顔を俺の胸にうずめてくる。
怖かったんだろうな。
俺はアニーの頭を軽く撫でる。
すると彼女の腕の力をより強く感じるようになる。
それにしても、なぜ女性はこんな時でも良い匂いがするんだろうな。
役得を感じながらも俺は次の行動に移すことに決める。
念の為に説明するが、俺がアニーを抱きしめたのには然るべき理由がある。
「アニー、しっかり俺につかまってくれ」
胸の中で彼女が「はい」と返事する。
俺はアニーを抱きかかて、馬車の出入り口へ向かい、飛び降りる。
普通の人なら危険だが、超人の俺にはエスカレーターから降りるような感覚だ。
俺が着地した次の瞬間だった。
馬車が岩に乗り上げ宙を浮いたかと思うと横転、大破する。
中にいたら大怪我、下手をすると死んでいた。
間一髪とはこの事だろう。
「あ、あの」
アニーの声を聞いて、俺は抱きしめたままだったことに気が付く。
「わ、悪い」
慌てて俺は彼女を離すと、一歩下がる。
「助けて頂いて、ありがとうございます」
色白の顔をほんのり紅くさせながら、アニーは綺麗なお辞儀をする。
衣服に若干の乱れはあるが、大きな怪我をした様子もない。大丈夫そうだ。
「大丈夫なら。皆の所へ戻ろうか」
いつの間にか雨は止んでいたが、辺りは黒い雲が覆っていて薄暗い。
暴走馬車が走った痕跡が至る所に残っているのでこれを辿っても良いし、まだ発動している超人の力を使えば、音を拾いながらでも帰る事も出来る。
皆の元へ戻るのはそれほど難しくは無いだろう。
「あの、リック様」
アニーがもじもじしながら俺を見る。
大抵こういう時は言いづらい内容がほとんどだ。この場面で言いづらいとなると。
「トイレか」
「ちっ、違うわ!すみません、違います」
思わず素が出てしまったらしい。慌てて訂正する。
「気にしていないから良いよ。むしろ、敬語を使わないで普段通りの口調で接してくれると嬉しい」
敬語を使われると他人行儀って感じがするんだよな。普段の口調で会話をした方がお互い親密になれると思うのだ。
「いいの?」
「良いよ。OKだ!」
アニーは少し考え込んでいたが、すぐに「分かったわ」と了解する。
「それでアニー、何か用があったんじゃないのか」
するとアニーは「ええ」と頷く。
「実は馬車に大切な物を載せていて、それだけでも捜させて欲しいの」
捜し物か。
うーん、どうしようか。夜も近づいている。経験上、超人の力の発動時間はもうしばらく続くはずだが、もう少ししたら発動が終了する。そうなれば俺は単なる少年に戻る。
出来る限り早く帰りたい。
「分かった」
だが、俺はアニーの頼みを受け入れた。
急いで戻った方が良いのはアニーも分かっている筈だし、彼女はそれくらいの分別はしっかりと持っている人だ。それでも探したいというのは、とても大事な物なのだろう。
アニーと俺は馬車の残骸へと向かう。
馬車が横転した時にロープが切れたのか、馬の姿はない。興奮したままどこかへ行ってしまったらしい。
「ちょっと待って」
俺はアニーの腕を掴んで止める。
スベスベして手触りが気持ちいい肌だなという感想を頭の片隅へと追いやり、止めた理由を説明する。
「ここは危険だ」
横転した時の衝撃が大きかったのか、車輪や台車は砕けての先の尖った木片となり、窓に使用されていたガラスは散乱している。
言うなればここは地震の後の現場に似ている。
前世の記憶によれば、災害発生時、日本の自治体では、片づけなどを手伝ってくれる災害ボランティアの方々に長袖長ズボンの服装並びに安全靴と厚手の手袋の着用をお願いする事が多い。
それは歩くだけで木片やガラス片が足に刺さる危険があるからであり、片付けをすれば手や腕にも同様の危険があるからだ。
アニーの服装をチェックすると、メイド服は長袖ではあるが、下は丈が長いがスカートである。
手袋はしていないし、靴の底も厚くない。これでは彼女の綺麗な肌が傷だらけになってしまう。
俺は体に結び付けていたロープを解き、背負っていたシャベルを手に取る。
さっき、エセルから受け取った物だ。
俺はシャベルで残骸をすくい、それを脇へ移す。
細かい破片は残ってしまうが、そのまま足を踏み入れるよりは良いだろう。
「俺について来てくれ」
そう言うと俺はシャベルで残骸を掻き分けて道を作っていく。
それにしても荷物だと思っていたシャベルが役に立っているな。
まさか、エセルはこれを見越していたのだろうか。・・・いや、それはないか、考え過ぎだ。
「ところで探し物は一体何なんだ」
指輪とか小さい物だと、シャベルで残骸と一緒にすくってしまいかねない。
「それは・・・、あっ。あったわ」
アニーが指差す先には、皮袋に収められた細長い物体がある。
俺が残骸をすくって、そこまで行くと、アニーは大事にそれを抱える。
「ありがとう」
うん。素敵な笑顔だ。見惚れてしまう。
「ところで、中身は何なんだ」
俺が尋ねると、アニーは恥ずかしそうな表情を浮かべながら答える。
「槍よ」
「やり?」
そう言えば、オリーヴ義姉さんは槍術が得意って、父さんと家臣のマーカスが言っていたな。女学校創立以来最高の成績だったとか、熊を一人で撃退したとか。するとこの槍は、
「オリーヴ義姉さんの持ち物なのか」
「ええ、そうよ。子爵様が花嫁道具の一つとして持たせて下さったの。名匠が作った槍なんですって」
そう言って彼女は槍を愛おしそうに抱きしめる。
花嫁道具に槍を持たせる父親って一体・・・。
笑顔一つない冷たい印象のマイエット子爵だが、案外親馬鹿なのかもしれない。
「ところで、アニー」
俺は未だに嬉しそうに槍を抱えている少女に声を掛ける。
皆の元へ戻る前に俺の疑問を聞いておいた方が良さそうだ。
「なにかしら」
笑顔のアニーは、俺の表情を見て、首を傾げる。
その仕草も可愛らしいが、見惚れるのは我慢しよう。
俺が次の言葉を出そうとした矢先だった。
「助けてくれ」
叫び声が聞こえる。
アニーにも聞こえたようで、その方角へ顔を向ける。
声の主はすぐ近くにいるようだ。
どうやら俺はアニーを意識しすぎて、無意識の内に他に聞こえる音を遮断していたようだ。
せっかくの超人の能力が台無しだな。
助けを求めている人物は俺達から見える場所にいた。
男性の様でこっちに向かってくる。
どこかで見たことあるな。
「メタボと七三分け男!」
俺は思わず叫んでしまう。
そう、昼飯の時に俺達にいちゃもんをつけに来たメタボマン伯爵とその部下だ。
大きなお腹をタプタプと揺らしながら走ってくる伯爵。見た目に反して足は速いらしい。
一方の七三分け男。何回か転んだのだろうか、泥だらけで服も至る所が破れている。
それなのに髪だけは、ビシッと七三分けに決まっている。これが彼のアイデンティティなのだろう。
「殺される」
そう叫びながらやって来る二人の後方から大勢の男達が追ってくる。
皆一様にボロボロになった革鎧に錆びた剣を装備し、人相の悪い顔をしている。
典型的な盗賊の群れがそこにいたのであった。




