第9話 大雨
ザーーーーーーーー
雨が降る音が聞こえる。
馬車の窓から外を見る。黒い雨雲が辺り一帯を覆っているのが見える。
さっきまでは日が差すくらい良い天気だったのに。
「ひっひっひ。ついに降って来たか。こりゃ、少しばかりのんびりし過ぎたな」
父さんの言葉に俺は頷く。
昼食時のメタボマン伯爵とのやり取りがあった影響で、俺達の出発が大幅に遅れたのだ。
「とにかく急がないと」
運が悪い事に、俺達が今進んでいる場所は峠道だ。周囲に人家はなく、最寄りの村まで辿り着くには、まだ距離が長い。
雨が降る中での野宿は避けたいところだ。
あれ?
突如、背中を冷たい感触が襲う。
何だろうと触ってみると、濡れている。
もしかして。あー、やっぱりそうか。
上を見上げると馬車の天井に水滴が付いている。
雨漏りしているのだ。
「最悪だ」
悪態をつきながら俺は座席の下からバケツを取り出す。
馬車の中で催した時に使用するバケツだ。
昼食休憩の際にバケツは洗ってあるし、その後は使用していないので、中に排泄物は入っていない。
俺はバケツを雨漏りしている下に置く。
すると水滴は待っていましたとばかりに落ちてくる。
ポトッ、ポトッと水滴がバケツに当たる音が馬車内に聞こえる。
とりあえず応急処置は完了だ。馬車内が水浸しになる恐れは減る。
「リック、お前は機転が利くな」
父さんが感心した表情をしている。
「そうか。これくらい当たり前だろ」
雨漏りしたからバケツを置く、これのどこに機転があるのだろうか。
俺が不思議に思っていると、父さんは「ひっひっひ」と相変わらず品の無い笑い声をあげてから、質問をしてくる。
「じゃあ、なんで馬車を停めて修理させない」
「今は、早く村へ着くのが最善だろう」
雨が降りしきる中での修理なんて、たかが知れている。
むしろ貴重な時間を多く浪費してしまう。
どんなに通い慣れた道であっても、雨の中の夜道の移動は危険だ。月明かりも街灯もない。遭難間違いなしだ。
野宿をする選択肢もあるが、雨の中の野宿は体力を消耗させる。
日暮れまでに残された時間は限られている。
ここは、急いで村まで行くのが、最善策なのだ。
「ひっひっひ。これがポールだったら、慌てて馬車を停めて、修理をさせていたはずだ。あいつはハプニングが苦手だからな」
「そうかな」
俺は首をひねる。頭が良くて冷静なポール兄さんなら、同じ事をしていたと思うのだが。
「まあ、あいつも経験を重ねれば、ましになるだろうさ」
父さんが呟いていた。
さて、馬車の雨漏りはしたものの、幸い被害はそれ以上拡大しなかった。
雨は降り続いたが、ウォーカー男爵家一行は速度を落としながらも村へ向けて着実に進んでいった。
「失礼します」
バケツに溜まった水を十回くらい捨てた頃だろうか。
馬車が停まり、外から使用人の声が聞こえる。
「開けろ」
父さんに言われて馬車の扉を開けると雨に濡れた使用人が立っている。
さっきよりも雨脚が強くなっている。
「オリーヴ様が乗られている馬車が泥濘に嵌って動かなくなりました」
これは最悪だ。泥濘から出すのに時間が掛かるし、最悪馬車を放棄しないといけない。
「ひっひっひ。むしろこの雨の中でここまで順調に進められた事の方が運が良い」
父さんは前向きだ。
「オリーヴ義姉さんの様子を見に行ってくる」
俺は立ち上がる。
「気を付けて行って来い」
父さんは馬車の中で待っているつもりらしい。
俺は雨具用のコートを羽織って外に出る。ちなみにこの世界では雨傘は誕生していない。こういう時、あると便利だ。機会があれば作ってみるとしよう。
オリーヴ義姉さんの馬車の周りには、大勢の使用人達がいた。
車輪に板をかませたり、馬車を押したりしているが、動かない
「リック様」
エセルが俺を見つけて近寄ってくる。
「苦戦しているな」
俺の言葉にエセルは頷く。
「はい。それでお願いがあるのですが」
「なんだ」
エセルの話によると、馬車を少しでも軽くしたいので、オリーヴ義姉さんとアニーに馬車を降りて貰いたいそうだ。
オリーヴ義姉さんの甲冑はかなり重そうだからな。馬車から降りるだけでも相当軽くなるだろう。
ただ、使用人達では頼みづらいので、俺から頼んでほしいそうだ。父さんが以前言っていた「何かあった時」というのは、まさに今なのだろう。
「分かった。俺から頼んでみる」
「ありがとうございます」
俺はオリーヴ義姉さんの馬車へ向かうが、周囲の泥濘は相当だ。足首まで埋まってしまう。一歩一歩がとても重たい。
コンコン
「オリーヴ義姉さん。良いか」
俺が馬車の扉をノックして声を掛けると程なくして扉が開く。
「リック様、如何されました」
これまでと同様、アニーが出てくる。
奥の座席には甲冑姿のオリーヴ義姉さんが座っている。
「実は…」
俺は馬車が泥濘に嵌った事、少しでも軽くする為、少しの間馬車から降りて欲しい事を伝える。
「馬車から降りている間、どちらで休めばいいのでしょうか」
アニーの言う通り、ずっと雨が降る中、外で待つのは酷だな。
「二人とも、父さんと俺が乗っている馬車で休んでいれば良い。あの馬車は席に余裕がある」
「そうですか」
俺の話を聞いたアニーは困った表情を浮かべながら、オリーヴ義姉さんの方を向く。
ガシャ
金属音を立てながら兜が下へ動く。
了承の合図らしい。
「それでは、私が後ろからオリーヴ様を押しますので、皆さんは馬車の外で受け止めてください」
馬車内からアニーの声がする。
馬車の出入り口にはオリーヴ義姉さんが立っており、彼女の後ろにはアニー、馬車の外にはウォーカー男爵家の使用人達がスタンバイしている。
この状況ではアニー一人でオリーヴ義姉さんを降ろせないので、使用人達も手伝う事になったのだ。
事態が事態なだけに、俺は甲冑を脱いだ方が良いと説得してみたのだがオリーヴ義姉さんからは兜を左右に振られてしまった。拒否の意思表示らしい。
「リック様、申し訳ございません。今はどうしても甲冑を外せないそうです」
アニーがしきりに謝っていたが、甲冑を外せない理由があるようだ。まさか装備すると不気味な音楽が鳴り響く呪いの甲冑なのか。
「いきます」
アニーが掛け声をあげるとオリーヴ義姉さんが馬車から出てくる。
甲冑の右足が泥濘に敷かれた板の上に乗る。
だが、その途端、オリーヴ義姉さんはバランスを崩す。
不安定な足場にバランスを崩したのだ。
「支えろ」
掛け声と同時に使用人達がオリーヴ義姉さんを支える。
甲冑は全身を金属で覆っているので高い防御力を誇るが、その重量のせいで行動に制約が掛かり、倒れてしまうと起き上がる事すら出来なくなる。
もしここで前に倒れてしまうと、泥濘で溺死してしまう危険がある。それは避けたい。
支え役は使用人の中でも力自慢の者を揃えたが、いかんせん足元が悪い。オリーヴ義姉さんの体勢を立て直させるのに四苦八苦している。
ここで俺が神様から転生時に貰った特殊能力『超人』を使えば簡単なのだが、あれは寿命を一日分消費するから、出来る事なら使いたくない。
それにここで使うくらいなら、もっと早く使って馬車を泥濘から引っ張り上げるべきだっただろう。
俺達は固唾を飲んで見守っていたが、力自慢を誇る使用人達の力は伊達ではなかったようだ。
「ファイトォォォ!」
前世、某栄養ドリンクのCMで聞いた絶叫を使用人の一人があげると、他の使用人達もそれに応えて、ファイトに続くあのフレーズを叫ぶ。
すると、倒れかけていたオリーヴ義姉さんは体勢を立て直す。
「凄いですね」
「本当だな」
エセルは素直に感心している。
俺は色々な意味で感心している。
なんでこいつら日本のお約束を知っているんだ。
まさか、あのフレーズが日本のオリジナルというのがそもそも間違いであって、実はこの世界で生み出されたフレーズで、鷲のマークが目印な製薬会社の人間がこの世界から日本へ転生して広めたというオチなのかもしれない。
俺がくだらない事で悶々としている間に、オリーヴ義姉さんは使用人達の助けを借りながら、泥濘から出て来る。
「義姉さん、お疲れ様」
俺が声を掛けると、彼女はガシャガシャと金属音をたてながら右腕をあげる。そして親指を立てる。
金属の手甲で器用な事が出来るものだと感心する。
「皆さん、ありがとうございました。それでは私も荷物を纏めてから降ります」
オリーヴ義姉さんが無事なのを確認すると、安堵の表情を浮かべたアニーは降りる準備を始める。
その時だった。
閃光が走った。
僅かな間を置いてバーンと轟音が響く。
近くで雷が落ちたようだ。
あまりの音の大きさに驚くが、雷鳴に驚いたのは俺だけは無かった。
ヒッヒーーーン
馬車を曳いていた馬達が一斉に暴れ出す。
そう言えば、馬は音に敏感だったな。
日本の競馬場でも観戦中はみだりに騒音を出してはいけない規則だったはずだ。本当は 拍手もやらない方が良いんだよな。昔の記憶だが。
御者達に、宥められて、ほとんどの馬は落ち着きを取り戻していくが、一頭だけ例外がいた。
「おいっ、落ち着け」
オリーヴ義姉さんが乗っていた馬車を曳いていた馬は落ち着くどころか興奮していた。
そして信じられない事が起きる。
なんと、馬車が泥濘から抜けたのだ。
まさに火事場の馬鹿力と言うやつか。こんなに馬力があるのならもっと早く出せとも言いたいが。
「うわぁ」
男の叫び声がする。
御者が馬から振り落とされたのだ。
制御を失った暴れ馬は勢いよく走り出す。
「きゃーーーーー」
女性の悲鳴が響く。
その主は、俺の隣にいた甲冑姿の女性オリーヴ義姉さんだった。
そして、悲鳴と同時にこの光景に呆然としていた俺達は我に返る。
馬車にはアニーが残っている。
このままでは、まずい。
追い駆けないと。
だが、人の足では追いつけないし、他の馬もまだ走れる状態にない。
どうやら、あれを使うしかなさそうだ。
そう、神様から貰った特殊能力『超人』だ。
寿命が一日縮まるが仕方ない。
ただ、人間離れしたこの能力を他人に見られたくない。
この世界には魔法だとか神の奇跡だとか、ファンタジー世界みたいに適当に誤魔化せる表現がない。
目撃されれば、騒がれること間違いなしだ。
幸い、この場は騒然としている。
近くの物陰に隠れてから発動させよう。
「リック様、どちらへ行かれるのですか」
物陰へ向かう俺の背後からエセルの声が聞こえる。
見つかってしまった。
「ちょっ、ちょっとお腹の具合が悪くて」
俺はお腹を抱えて具合が悪いふりをする。
エセルは疑いの眼差しを向ける。
無理がある、べた過ぎる誤魔化し方だったか。
「・・・分かりました。それではこちらをお持ちください」
エセルはそれ以上追求しなかった。
そして、いつの間に持ってきたのか、一本のシャベルを俺に渡す。
俺の背丈の半分程度の長さだろうか、角型のブレード部分は金属製で柄は木でできている。
汚物は埋めてくださいという意味らしい。
「ありがとう」
受け取った俺は、急いで物陰に隠れ、誰も見ていないのを確認すると、特殊能力『超人』を発動させる。
人生四回目の発動だ。それは既に寿命が四日縮まった事を意味するが仕方がない。
体中に力が漲るのが分かる。
俺は耳を澄ませる。
超人の力が発動している最中は、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感も向上している。
暴走馬車の音を拾って、場所を特定しようと思ったのだ。
あっちの方角か。
俺は暴走馬車の音を拾う事に成功した。
それと同時に。別の場所から気になる声も聞こえる。
さっき悲鳴をあげたオリーヴ義姉さん、甲冑姿の女性の声だ。
独り言のように呟いているし、周りの喧騒もあって使用人達は聞こえていないだろう。
だが、俺には聞こえる。
アニーが乗った馬車が暴走した事に相当ショックを受けている様だが、その独り言の中には気になる言葉もある。
詳しく聞いてみたいが、今はそんな暇はない。
アニーを助ける事が先決だ。
抱いた疑問は落ち着いてから聞いてみよう。
今助けに行くからな。
俺は全速力で駆けだしたのであった。




