現状確認
現実逃避しても意味がない。
何とかして、この状況を打開する策を考えないと。
「現状はわかった。俺がいつから学校に通えるようになるのかは、わかる?」
「お母様からのまた聞きになりますが、夏休みが終わる9月には学校に通えるようになる、と。回復が遅ければ10月にずれこむ可能性もあるそうです」
約1カ月から2カ月、か。
「ですので、その間は私が秦さんの教師役を仰せつかっています」
「え? 家庭教師ってこと? 誰に? どうして?」
「身の上話も絡みますが……私と秦さんが通う、東京国立第二ACT高校は、他のACT高校同様、派閥が存在します」
派閥? 表情から疑問を汲み取ったのか、ハクロさんは一つ息をついて、頷いた。
ひょっとしたら―今のは、ため息だったのかもしれない。
「血統主義とでも言えば良いのか―現在の日本におけるACTの階梯は織田、羽柴、松平に連なる一族を頂点とした階層構造になっています。私は、織田の派閥に属しているので……」
今まで歯切れよく説明してきた彼女にしては、ここで初めて口ごもり、
「織田の上位者にACTの案件について何かを命じられると、私に拒否権はありません」
「なんだそりゃ! ……あたたたたっ」
カッときて上体を起こしたら、頭がめちゃくちゃ痛ぇ。
麻酔がまだ利いている、というのは本当だったようだ。
あーくそ、頭は痛いし、両親は外見こそそっくりだが赤の他人のようだし、腹の立つ話は聞いてしまうし……ひょっとして、少子化対策法とやらで、俺の彼女になったのも、そいつらのせいじゃないだろうな?
「大丈夫ですか?」
それを面と向かって問いかけても、目の前の彼女は、俺の心情に配慮して、本当のことを言わないだろう。
しかし、さっきの話が本当なら、『平成』の日本国憲法であるような人種、性別、経済力や宗教とかで差別されない、というのは、こちらの日本では存在しないのか?
だが、この場でハクロさんに憲法とかのことを聞くのはマズイ。
想像してみればわかりやすい。
知人が、『この国の憲法忘れてしまったんだけど』と言ったら、どうなるか。
『風邪でもひいた? 大丈夫?』ですむかもしれない。
しかし、根掘り葉掘り質問されて、本気で何もわからない事がバレたら……肉親相手でも、精神科に連れていかれかねない。
ましてや、アレは外見こそ親父とお袋だが、中身は別物。
「秦さん、聞こえていますか?」
「ごめん、大丈夫。あんまり腹がたったもんで、すーはー、すーはー」
意識して腹式呼吸を行う。身体は動かせないので、腕は広げず、すー、と鼻から息を吸いこみ、はー、と口から吐き出す。
「えーと……拒否権が無い、と言うのは?」
言葉を端折って聞けば、まさか、この国の憲法がどうなっているのかを探ろうとしているとは思うまい。
「日本皇国憲法では、天皇陛下と法の下に、全ての国民は平等であると規定されているものの、現状の日本の政治と武力、司法は三氏族の力が強く働いています。特に、孤児である私は、織田の後ろ盾が欠かせないため、あらゆる意味で政治的、特に経済的な力が弱く、奨学金が無ければ学校に通う事はおろか、明日食べる食事にさえ困る有様です」
「え? っ……」孤児なの? と言ってはいけない。どうにか言葉を飲み下し「そんなに三氏族の力って強いの?」
「これまで一般の高校に通われていた秦さんにはわからないかもしれませんが、ACTを用いて生きようと思えば、三氏族に逆らってはいけません。財閥系の力が強く働くのは、経済分野だけですのでご注意を」
反射的に言葉を返してしまったが、そのおかげで貴重な情報が得られた。
ACTの世界では三氏族に逆らってはいけない、経済分野は財閥系が強い、と。
ん? 財閥? 『旧』財閥ではなくて? ただ単に『旧』をつけ忘れただけか? それとも、
「今日はもう時間が無いので、これで失礼させて頂きます。よければこちらを使って下さい」
そう言って、花瓶置きに置かれたのは、教科書。
「その教科書は」
「私の物ですが、今は夏休み中ですので遠慮は無用です。と言うより、どの話題を選んで話せば大丈夫なのかと神経を使って会話されていては、怪我の回復に影響が出かねません」
!
「とりあえず、明日も4時以降にお邪魔させて貰います。それと」
椅子から立ち上がった彼女は病室の扉の前で立ち止まり、
「神経を使って極力無難な会話をしようとしていたのに、三氏族のことについて突っ込んだ話題をしてまで、私が孤児であることを話題から遠ざけてくれた事には感謝します……ですが、あまり気にしないで下さい。私には、両親の記憶がありませんので」
では失礼します、と言うと、彼女はこちらを顧みることなく病室から出て行った。
本当に、頭の回転が早い娘だ。
いや、俺が色々とわかりやすいだけ、というのもあるかもしれない。
疑問は色々とあるが、やるべき事がある。
とりあえず、慎重に首を横に傾けて、
「……っ! クソ、痛いなんて言ってられねえんだよ……!」
明日起きた時に『これは夢でした』ってなっていれば良いが……流石に都合が良過ぎる。
精神科に連れて行かれないよう、多少痛いのは我慢してでも、知識がいる。
左手でベッドガードをつかんで態勢を維持し、花瓶置きに置かれている教科書に向けて右手を伸ばす。
もうちょい、もうちょい……っし! 教科書ゲット!
さすがに国語はチェックしなくても大丈夫だろう。たった今、日本語話していたんだし。
数学と英語と理科系の科目は、後から勉強する必要があるだろうけど、最優先じゃない。
最優先なのは、この日本が、現在どういう風に形作られているのか。
そして、どういう歴史を歩んできたのか、だ。
俺は手にした『現代社会』『世界史』『日本史』の中で、まず『現代社会』の教科書を開く事にした。