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私が極めて切実かつ悲壮なる決意を固めていると、コツコツと窓の方から、窓硝子を何か硬いものが叩く音が聞こえてきた。ああ、そうだ。そろそろそんな時間だったか。いけないいけない、うっかりしていた。

いつもであれば私の方が先に窓を開け放して待っていてあげるところだというのに、今朝は何故か蘇ってしまった前世の記憶という厄介なもののせいでそれどころではなくなっていた。小鳥遊美鳥にあるまじき失態である。

大きな窓の元まで歩み寄り、カーテンを引いて、思い切り窓を開け放てば、金色の朝日と共に、銀色の閃光が部屋の中に飛び込んでくる。その閃光はまるで流れ星のようにぐるりと部屋の中を旋回し、そして私の肩でその羽を休めた。


「おはよう、綺羅星(きらぼし)。いい朝ね」


その喉元を指先でくすぐりながら笑いかけると、私の守護鳥である銀の鳥、綺羅星は、クルルと気持ちよさそうに小さくさえずった。

鳩のような丸みを帯びた体形に、月影を紡いだかのような長い尾羽、そしてその瞳は、右目は青、左目は赤というオッドアイの私の守護鳥の属性は、水と火だ。

本来、守護鳥はその属性を一つしか持たないと言われている中で、綺羅星はなんと二つ、しかも相反する属性を持ち合わせている。こんなところまでチートだなんて本当私ったら恵まれてるわ。うふふふふふ、前世を思い出してしまった今の私は素直に喜べない。

はあ、と溜息を吐くと、心配そうに綺羅星が肩の上から私を見上げてくる。幼い頃から一緒に育った、姉のようでもあり、妹のようでもある綺羅星に心配をかけさせたくなんてないけれど、こればかりはどうしようもない。


「心配しないで。ちょっとこれからのことが憂鬱になっただけ。でも大丈夫よ。上手くやってみせるわ」


そう、例えどんな邪魔が入ろうとも、私の目標、すなわち未来のぐーたら三食昼寝付き引きこもり生活は必ず達成してみせる。矢でも鉄砲でも来るなら来い。笑顔で叩き潰してやる。

ふふふふふ、と低く笑う私に、綺羅星は不思議そうに小首を傾げた。若干引かれているような気がしたけれど気のせいだろう。そうよね、綺羅星。

そんな思いを込めてにっこりと笑いかければ、何かを悟ったらしい私の親愛なる守護鳥はこくこくと何度も頷いてくれた。流石我が守護鳥様である。


「さて、そうと決まればさっさと着替えて作戦会議よ。綺羅星、悪いけど付き合ってね」


ええー……と、不穏な気配を察知したらしい綺羅星が何やら嫌そうな雰囲気を発しているけれど、それをスルーして私は寝着に手をかけた。慌てたように私の肩から飛び立つ綺羅星を後目に、絹で作られた柔らかく滑らかな手触りの寝着を脱ぎ捨て、翡翠色の地に緋色の牡丹が描かれた着物に袖を通す。

この世界においては、普段着や制服はほとんどが洋服だけれど、小鳥遊家においては着物を身に纏うことが一般的なのだ。

そう、ここでも攻略対象の好感度にまつわるミニゲームなるものが発生する。攻略対象好みの色柄を選択することは元より、季節にも合わせた模様や生地、小物を選択しなければならないのだ。おかげで、着物にまつわる豆知識がどんどん増えた。『彩鳥恋歌』のファンイベントでは、着物を身に着けるのが一種のステータスとなっていたとかいないとか。私は行ったことがないので知らないが、妹に「お姉ちゃん、一緒に着物教室通わない?」と誘われた時には、妹の本気を垣間見た気分になった。閑話休題。

そんな前世はともかくとして、今の私、小鳥遊美鳥は幼い頃から着物を着て過ごしてきた。おかげで今では、振袖でも着ない限り、普段着用の着物ならば自分一人の力でさっさと着ることができる。

そうしていつものように着付けを終えた頃合いを見計らってか、使用人にドアの向こうから「お嬢様」と声をかけられた。

定位置である私の肩に綺羅星を乗せて自室を出ると、幼い頃から私の世話をしてくれている小鳥遊家の使用人、十和子さんがその白髪混じりの頭をぺこりと下げてそこに立っていた。


「おはよう、十和子さん」

「おはようございます、美鳥お嬢様。綺羅星様におかれましても、ご機嫌麗しく」


いつも通りの挨拶。いつも通りの返事。これが小鳥遊美鳥の日常だ。

十和子さんを背後に引き連れて廊下を歩けば、擦れ違う使用人達が皆一様に深々と頭を下げてくる。

うーん。昨日まではこれが当たり前だったのに、今日はなんだか居心地が悪い。

前世とやらを思い出したとはいえ、別に今の私――“小鳥遊美鳥”の何かが変わる訳ではないと思っていたのに、どうやら話はそう簡単にはいかないらしい。これでは先が思いやられるといったものだ。

はあ、と小さく溜息を吐いて、食卓へと向かう。いつもよりも遅くなってしまった気もするけれど、どうせ一緒に食べるような相手は元よりいない。両親は例によって例の如く、長期の領地視察という名の、もう何度目かも知れないハネムーンの真っ最中だ。あの二人本当いい加減にしてほしい。

そしてもう一人、食卓を共にすべき人物がいるのだけれど、彼もまた、その両親のハネムーン(遠い目)についていっている。本人は非常に嫌そうにしていたし、私もその気持ちはものすごーく解ったのだけれど、あの二人を野放しにしておく訳にもいかず、お目付け役として私が頼み込んだのだ。好感度が高くてよかったと思える数少ない点だと言えるだろう。

ひとまずはのんびりと朝食を食べて、その後で改めて今後どうするかの作戦を立てるとしよう。幸いなことに今日は仕事もひと段落していることだし。

朝食には甘い卵焼きがあるといいなぁと思いながら、食卓へと繋がる扉を開ける。


そして私は、目を何度も瞬かせる羽目になった。



「おはよう、美鳥ちゃん」



現在は私以外に座る者がいないはずの食卓に、その少年はのんびりと座って、ずずずっと湯飲みから緑茶を啜っていた。


「……玖郎(くろう)?」

「うん。俺だよ。久しぶりだね。元気だった?」


湯飲みを食卓に置き、その少年――私の記憶が確かならば、私と同い年である私の幼馴染が、その薄い唇に弧を描いて、ひらひらと手を振ってくれた。

呆然とその場に立ち竦む私を後目に、私の肩から綺羅星が舞い上がり、少年の周りを楽しげにぐるぐると飛び回った後、その頭のてっぺんで羽を休めた。記憶にある姿よりも随分と成長した、それでもその綺羅星とのやりとりは、昔と何一つ変わらない。


「本当に、玖郎なの?」

「そうだよ。ちゃんと名乗った方がいい? 酉越(とりこし)玖郎(くろう)、ただいま帰りました。美鳥お嬢様におかれましては、ご機嫌麗しく」


確かめるように呼びかければ、少年はこっくりと深く頷いて、椅子から立ち上がり、大仰な仕草で頭を下げてきた。

『とりこしくろう』。その懐かしい響きに、一気に懐かしい記憶が蘇ってくる。それは前世の記憶でもあり、今世の記憶でもあった。

とりこしくろう。取り越し苦労。名前にするには、あまりにも間抜けすぎる響きだ。ぷっと大きく吹き出してしまう。いけないと解っていながらも、一度堪え切れなくなってしまうともう耐えられない。ああそうだ。初めて会った時もこんな風に笑ったのだったか。つくづく懐かしいことこの上ない。

そして、そのまま私は、くすくすと笑いながら背後を振り返り、微笑ましそうに私のことを見つめている十和子さんと目を合わせた。


「十和子さん、図ったわね」

「申し訳ありません、美鳥お嬢様。玖郎様たってのご希望でして」

「ふふ、まあいいわ」


改めて少年――酉越玖郎と名乗った少年に向き直ると、彼は「ふふ」と穏やかに笑った。とは言っても、長く伸ばされたぼさぼさの前髪のせいで、はっきりと彼が“笑っている”ということが解るのは、その口元とその笑い声だけだ。

まるで鳥の巣のような、ぼさぼさの灰色の髪。長く分厚い前髪のせいで、顔の上半分は覆われていて、その瞳は窺い知れない。昔は同じくらいの背丈だったのに、気付けば私よりも頭一つ分ほど高くなっているその身長。ひょろりと伸びた細い手足。墨染の着物をきっちりと着て、その腰に巻いた前掛けには、丸で囲まれた『酉』の文字。それは小鳥遊家御用達の商家、酉越家の一員の証だ。


彼の名前は取り越し苦労。じゃなくて、酉越玖郎。


小鳥遊家に出入りする大店、酉越商店の九男坊だ。幼い頃はよく酉越家の当主であるご両親に連れられて、小鳥遊家分家である我が家にもやってきたものだ。

初めて出会った時にその名前に思わず爆笑してしまって以来、なんだか意気投合してしまい、私と彼は男女の垣根を超えた友情を育んできた。五年前、将来のためにと玖郎が他の商家へと奉公に出されてからも手紙のやり取りを交わしてきた仲である。

そんな彼がこうしていきなりまた目の前に現れたことに戸惑いがない訳ではない。けれどそれ以上に、純粋と嬉しいと感じるというのが正直なところだ。

我ながらいつになくにこにこと笑顔を大盤振る舞いしながら、玖郎が座っていた席の正面の席に腰を下ろすと、一歩遅れて、玖郎もまたその腰を下ろした。見れば見るほど、昔とちっとも変わらない。変わったのは身長くらいなんじゃなかろうか。


「それにしても、貴方は相変わらずね、玖郎」

「美鳥ちゃんは昔にも増して、とっても綺麗になったね」

「あら、ありがとう。貴方は口が少しは上手くなったみたいね?」

「口が上手くなきゃ商人なんてやっていられないよ」

「それもそうね。でも、だとしたら私に対する賛辞としては落第点だわ。もう少し修行が必要なんじゃない?」

「手厳しいねぇ」

「なんとでも言いなさい。お互い様よ」


なんてことのないやり取りだけれど、“小鳥遊美鳥”相手にこんなにも遠慮なく言い返してくる相手は本当に数少ない。その数少ない貴重な友人を前に、大人しく朝食なんて食べていられない。

朝食を後回しにすることを十和子さんに告げると、私と玖郎の関係を幼い頃からよく知る十和子さんは「仕方ありませんね」と苦笑して、料理人にその旨を伝えに言ってくれた。

ついでに部屋に控えていた他の使用人の皆さんも連れていってくれたその手腕、実にありがたい。幼馴染同士、ゆっくりと過ごせということなのだろう。いやはや、よくできた世話役を持って私は幸せ者である。

使用人一同が出ていくのを見送って、お互いの近況報告をいざ始めん――とした途端、「それで?」と玖郎は、綺羅星を器用にも頭のてっぺんに乗せたまま首を傾げた。予想外の言葉に瞳を瞬かせる羽目になった私の反応は間違っていないはずだ。


「それでって、何が?」


どういう意味だと首を傾げ返せば、玖郎はその薄い唇に弧を描いた。な、なんだか嫌な予感がする。思わず身構える私に対し、我が親愛なる幼馴染はもったいぶる様子もなく、すぱっと本題を切り込んできた。


「うん。だからね、それで、美鳥ちゃん。君に何があったの?」

「な、何がって、何が?」

「誤魔化さないでよ。いくら五年も会ってなかったとはいえ、俺が気付けないって本気で思ってるの?」

「だから、何のことかしら」


にっこりと笑顔で空っとぼける。老若男女が見惚れ、誤魔化されてくれるこの美貌の笑顔、ここで使わずしていつ使うというのだ。

ほれほれ、我が幼馴染よ、貴方もこの笑顔に惑わされるがいい。

……と、私が思うよりも先に、玖郎の薄い唇が殊更ゆっくりと動いた。


「美鳥ちゃん」


ぴしり、と。ただ名前を呼ばれただけだというのに、空気が凍り付く音がしたような気がした。こ、これはまずい。

私の知る限り、この玖郎という少年は、とても穏やかなおっとりさんだ。だがしかし、一度機嫌を損ねると、なかなかその機嫌を直してくれないという厄介な一面も持つ。

幼い頃、一緒に遊んでいた中で機嫌を損ねてしまった時、もう一度その笑顔を見せてもらうまでに私はとんでもなく苦労した。

当時の記憶が蘇り、顔を青ざめさせる私の目の前で、玖郎は口元に刻んだ笑みを、更に深いものにした。


「さあ、キリキリ吐こっか?」


おいこら一介の商人風情が“よりどり美鳥様”に対してなんて口を利きやがる――なんて、言えるはずがなかった。

笑みを含んでいるようで決してそうではない、抑揚のない声音に対し、白旗を上げずにいられる奴がいたら、そいつにはぜひとも今この場で私と立場を変わってほしいものである。そう思えども、現実としてそんなことができるはずもなく、私は玖郎に、洗いざらいすべてを話す羽目になったのであった。



* * *



そして、すべてを話し終えた私は、恐る恐る玖郎を見つめていた。

頭がどうかしていると思われてもおかしくない荒唐無稽な私の話に、玖郎は口を挟んでくることはなかったけれど、逆にそれが余計に不安を誘った。

玖郎の手が、食卓の上の湯飲みに伸ばされる。思わず身体をびくつかせる私を余所に、彼は既に冷め切っている緑茶をくいっと飲み干した。最上級の玉露が、なんてもったいない……と、現実逃避のように思う私の前に、玖郎は湯飲みを再び戻す。


「ふうん。それで、美鳥ちゃんにとっては、この世界はその『乙女ゲーム』っていうやつで、このままだと美鳥ちゃんは自動的に『攻略対象』っていう役割の男の内の誰かとくっつく羽目になるってことでいいのかな?」

「……まあそういうことね」

「そっかぁ。それは大変だ」


のんびりとした口調に思わずむっとする。

玖郎の言っていることは何一つ間違ってはおらず、確かに『大変』なのだが、玖郎の言い方にはこれっぽっちも切羽詰まったような響きがない。なんだか「今日もいい天気だなぁ」と軽いノリで言われたような気がしてくる。

思わず両手を膝の上で握り締めて、ぎろりと玖郎の瞳……は、前髪で隠されて見えなかったから、とりあえずその瞳があると思われる顔の上半分を睨み付けた。


「玖郎、貴方、信じてないでしょ」


随分と、恨めしげな声音になってしまった。そんな声を出す筋合いは私にはないことくらい解っているのに。

だってそうだろう。こんな話、信じられるはずがない。信じられる方がどうかしている。日々の激務で疲れ切った頭が創り上げた妄言だと言われても反論できない。私自身、こんな話は作り話であってほしいと思っている自分を否定しきれないのだから。

それでも、それなのに私は、この話を、この幼馴染には信じてほしいと思っていた。我ながら随分と我儘なものだ。

そう、我儘なのだ。信じられなくて当然なのだから、落胆する方がおかしいのだと自分を納得させている私に対し、玖郎はこちらが驚くほどあっさりと、ふるふるとかぶりを振ってみせた。


「信じてるよ」

「え?」


今、何を言われたのか。あまりにもさらりと言われたものだから、なんて言われたのか解らなかった。

いや、違う。何を言われたのか解っているけれど、それこそが信じられない言葉だった。

そんな私に、今更何を言っているのかとでも言いたげに、玖郎は肩を竦めてみせた。


「だから、信じてるって。美鳥ちゃんは俺に嘘を吐かないし、吐けないでしょ。昔からそうだもの。ねえ綺羅星、君もそう思うよね?」


頭から肩へと綺羅星を移動させながらのんびりと放たれたその言葉に息を呑む。

玖郎とこうして顔を合わせるのは五年ぶりだ。いくら手紙をやり取りしていたとは言え、私と彼との間には、五年の月日の溝がある。それなのに玖郎は、私が乗り越えるのを躊躇ってしまうその溝を、やすやすと一足飛びで飛び越えてくれた。

それがなんだかとても恥ずかしくて、同時にとても嬉しくて、私は赤らむ顔を隠すために思わずそのまま俯いてしまった。


「…………ありがと」

「どういたしまして」


私の小さなお礼の言葉を、これまたのんびり、かつあっさりと受け入れて、そして玖郎は更に言葉を続けた。私が、ここに至るまで、明言を避け続けたその内容について突っ込んでくる言葉を。


「それで? その肝心の攻略対象って、誰?」


うん。解っていた。そうだよね、ここまできたらそこが気になるよね、肝心なのはそこだよね。

のろのろと俯かせていた顔を上げれば、口元に笑みを浮かべたまま、玖郎は私の答えを静かに待っている。これは、私が答えるまで、自分からは口を開かないつもりであると見た。

私は深々と溜息を吐いた。綺羅星が玖郎の肩から私の肩へと乗り移ってくる。気遣わしげに私を見上げてくるその小さな頭を撫でて、私は沈痛な面持ちで口を開いた。


「貴方もよーく知ってる、小鳥遊家の五人よ」


わざわざ名前を出さずとも、これだけで十分すぎるほどヒントになる五人なのだが、しばらく小鳥遊家を離れていた玖郎にとってはまだ足りなかったらしい。んんん?と腕を組み、彼は深く首を捻る。


「えぇ? 小鳥遊の人で、俺がよく知ってる人達? それも五人も? 俺、小鳥遊の家に深く関わる前に奉公に出されちゃったからなぁ。そんなに知り合いいないんだけど」

「その数少ない知り合いの中から、年頃の、特に目立つ五人を思い出してみなさいな」


ここまで言えば、今度こそ十分だろう。

私の心底嫌そうな声音に、やがて玖郎は、ポンッと片手で作った拳を、もう一方の手のひらに打ち鳴らした。


「あ、もしかして」

「気付いたなら結構。名前は出さなくていいわ」


名前を出したら出てきそうですごく嫌だ。そんな私の気持ちがどうやら伝わってくれたらしく、だからこそ解せないとばかりに再び玖郎は首を傾げた。この上何を更に不思議に思うことがあるというのか、むしろ私の方が不思議なんだけど。


「美鳥ちゃんはなんで嫌なの? 別に悪い相手じゃないと思うけど? むしろ良縁なんじゃない?」

「綺羅星」

「あいたっ!? いたたたたっ! え、なに、なんで!?」

「なんでも何もないわよ」


私が一言命じると同時に綺羅星が飛び、玖郎の鳥の巣のような灰色のぼさぼさ頭をくちばしで突き始める。

そのままひとしきり玖郎の悲鳴を聞いた後、手を差し伸べて綺羅星を肩に戻し、私ははあ、とこれみよがしに物憂げな溜息を吐いてみせた。


「超絶天然ボケも、不器用ツンデレも、なんちゃって女タラシも、腹黒眼鏡も、シスコンショタも、どいつもこいつも心の底から御免被るわ」

「……ああ、そういうこと。うわぁ、美鳥ちゃんも言うねぇ」


何やら思い当たることがあったらしい玖郎は、口元に苦笑を浮かべた。うむ、解ってくれたようで何よりである。

攻略対象は、確かに乙女ゲームの攻略対象となるに相応しく、見た目も身分も能力も申し分ない五人ではある。だが、いかんせん性格がアレだ。アレなのだ。

親類としてはそれなりに慕わしく思っているし、何かあれば手助けすることも辞さない考えではある。だが、そこはあくまで親愛の情の域を出ない。

生涯を共にする相手にはなり得ない。あんなのは二次元だけで十分だと思う。

萌えは二次元にこそあり、それが三次元にあったらただの欠点にしかならない。何が悲しくて生涯を添い遂げなければならないのか。

無理だ。ないわ。全力でお断りだ。


「俺も奉公先で色々噂は聞いてたけど、あの五人をそんな風に言うの、美鳥ちゃんくらいだよ」

「私だからこそ言うのよ」


何せ、人生がかかっているので。冗談などではなく、本気と書いてマジで。

そう言外に続ける私にどうやら思うところがあったらしい玖郎は、例の五人についてはそれ以上何も言おうとはしなかった。

やがてしばしの沈黙の後に、玖郎は「じゃあさ」と口火を切った。


「ちなみに、俺もその、えーっと、なんだっけ? 『彩鳥恋歌』? とかいうゲームの中の登場人物なの?」


その質問もまた、本人を前にしたら非常に答えにくい質問であった。けれど下手なごまかしが通用する相手ではないことは既に先程の質問で判明しているため、私は大人しく頷きを返した。


「へー。どんなの?」


自分が架空の人物であると言われたにも関わらず、やはり玖郎の反応はのんびりとしたものだった。

私が言うのも何なのだけれど、これでこの少年は大丈夫なんだろうか。まあそういう性格であることは、私は前世においても今世においても、よくよく知っている訳で、深く突っ込んでも無駄なのだろう。

彩鳥恋歌における酉越玖郎の役割。それは私こと“小鳥遊美鳥”とは別の意味で、主人公、小鳥遊雛姫にとってとても重要なものである。


「“酉越玖郎”は、主人公である雛姫のサポートキャラと言ったところかしら。基本は、ゲーム内で必要なアイテムを主人公に売り捌く役目なの。つまり貴方はいずれ、酉越家の代表として“鳥籠”に販路を広げることになるのでしょうね。後の重要な役目としては、攻略対象の好感度を主人公に教えることよ」


そう。“酉越玖郎”とは、“鳥籠”に入学した雛姫に、彼女が必要なアイテムを金銭や依頼と引き換えに提供したり、攻略対象の中における雛姫の好感度を雛姫に教えたりする、いわゆるサポートキャラである。

繰り返そう。攻略対象ではなく、サポートキャラ。私が大人しくすべてを話したのも、玖郎がゲーム本編に直接関与する存在ではないためだ。け、決して、笑顔の威圧に負けたからばかりではない。そう、決して。

酉越玖郎は“鳥籠”において、生徒達を相手に商いを行う存在だ。当然、雛姫も彼が切り盛りする酉越商店を利用することになる。そこで、攻略対象の好みに合った着物や小物をゲットしたり、はたまたちょっとした依頼を受けてそれに見合った報酬を受け取ったりする訳である。

そして同時に、“鳥籠”内において一番の情報通である酉越玖郎から、攻略対象の好感度を教えてもらい、今後の行動の指標にするという訳だ。

そんな“酉越玖郎”と“小鳥遊美鳥”が幼馴染だったなんて設定、これっぽっちも知らなかった。まさかすぎる。

縁とは奇妙なものね、と思いつつ、十和子さんが置いていってくれた急須から自分の湯飲みに緑茶を注ぎ、ついでに玖郎の湯飲みにも注ぐ。それを口に運びながら、「うーん」と玖郎は小さく唸った。


「なんだか責任重大だなぁ」

「他人事じゃないのよ?」

「解ってるよ。美鳥ちゃんの言うことだものね」


本当に解っているんだかいないんだか実に悩ましい、のーんびーりとした言いぶりである。ここで「そんな馬鹿なことがあるか!」と怒鳴られる方がかえって簡単だった気がしてきたぞ。

そうやって怒鳴られでもしたら、「ああはいはいそうですね私が馬鹿だったわそれではごきげんよう」とでも言って何もなかったことにできたのに。

それをさせてくれないことを、喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか。うーむ、これまた実に悩ましい。

どうしようかしら、と綺羅星と顔を見合わせていると、口元に手を寄せて何やら考え込んでいた玖郎は、ふとこちらをじっと見つめてきた。分厚い前髪越しからでもそうと解るほど視線を感じる。何だというのだろう。

ゲームをしていた時は気にならなかったその前髪が、“今”の私には邪魔に思えて仕方がない。


「美鳥ちゃんは、その雛姫っていう子のことを、例の五人に好きになってほしいんだよね?」

「……そう、だけど」

「そっかぁ。じゃあ美鳥ちゃん、俺に言うことあるよね?」

「え?」


その問いかけの意味が解らず、私は首を捻ることしかできなかった。

言うことなんて、これ以上何を言えというのだろう。私が知る限りのこと、解る限りのこと、そしてそこから導き出される私の望み。言えることはすべて言い尽くしてしまって、もうこれ以上言うべきことなんて、言えることなんてないはずだった。

それなのに玖郎は、そんな私からまだ言葉を引き出そうとしてくるのだから困ったものだ。この五年の間にちょっと性格悪くなっている気がする。思わず肩の綺羅星を見遣れば、綺羅星はクルルと小さく鳴いて首を振った。あ、そうね。そういや昔からこんなのだったわね。

諦めろと言いたげな綺羅星に向けていた視線を再び玖郎へと向ければ、彼は両手を食卓の上で組んで、小首を傾げてみせた。


「よく考えてみなよ、美鳥ちゃん。ここが美鳥ちゃんの言う通りの世界で、このまま美鳥ちゃんの知る通りになれば、俺はその雛姫っていう子に協力してあげることになるんだよ? 美鳥ちゃんの言うアイテムって奴もその子に融通してあげられるし、その“攻略対象”の好感度も、都合よく曲解して伝えられるんだ」

「……!」


玖郎のどこか笑みを含んだその言葉は、私の想像を超えたものだった。

玖郎の言葉は、“ゲーム”の枠組みをぶち壊す発言に他ならない。


「貴方、自分が何を言っているのか解ってるの?」

「もちろん。伊達や酔狂でこんなことは言わないよ。商人はいつだって真剣勝負なんだ」

「そう。なら、その商人としての貴方が望む見返りは? まさか何の目的もなくそんなことを言い出した訳じゃないわよね?」


私が瞳を眇めてそう問いかければ、玖郎は困ったように肩を竦めた。どこか途方に暮れたようなその仕草にうっかり情に流されそうになるが、そうは問屋が卸さない。


「俺、そんなに信用ない?」


情けない声である。これまたうっかり情に以下省略。ここで舐められてたまるものか。

傾国と謳われる美貌に、私はふふふと努めて艶然とした笑みを浮かべてみせた。


「友人としての貴方のことは信頼しているわ。でも、商人としての貴方のことはまだ信用する訳にはいかないわね」


一応これでも、この小鳥遊分家を、使えない……もとい、平和ボケした両親に代わって背負っている身の上なのだ。

それが今の私にとってどれだけ不本意なものであったとしても、この家に仕えてくれている使用人の皆さんや、この家と取引してくれている家々、そして小鳥遊本家への見栄のためにも、私は迂闊な真似などできないのである。


――この五年間の丁稚奉公で、大商家たる酉越商店の一角を、十六歳と言う若さで担うまでの力を付けて帰ってきた“酉越玖郎”相手ならばなおさらだ。


そういう意味では、前世をまじえた彩鳥恋歌云々の話を玖郎に話したのは失敗であったと言えるだろう。

しまった、もう少し言葉を選んで話せばよかった。久々に会えたからって浮かれて口が滑ってしまったにしてもうっかりすぎる。

チッと笑顔の下で舌打ちする私を前にして、にこやかに玖郎は「嫌だなぁ」と続けた。


「見返りなんていらないよ。他ならぬ美鳥ちゃんのためだもの。でも、そうだなぁ。それじゃあ信用できないっていうのなら、今後のこっちの小鳥遊家における取引は、俺……酉越玖郎を通すように、小鳥遊本家に進言してもらおうかな。“鳥籠”は、美鳥ちゃんの言う通り、たぶん俺の担当になるんだろうけど、こっちの家はこのままじゃ今まで通り兄さん達が担当することになりそうだからねぇ」

「そんなことでいいの? と言いたいところだけれど、ごめんなさいね。生憎、私にそんな権限はないわよ」

「“よりどり美鳥様”なのに?」

「玖郎!」


そのセンスはないけど的確な呼び方で呼ばないでほしい。

思いっきり批難を込めて睨み付ければ、「ごめんごめん」と玖郎はごくごく軽く謝ってくる。

その頬を思い切り抓り上げたくなる衝動を堪えていると、そんな私の意図を敏く汲み取ってくれた綺羅星が、私の肩から舞い上がり、コツン!とまた玖郎の頭をつついた。先程よりも大きな悲鳴が上がった。ははは、ざまあみろ。


「綺羅星、いい子ね。まあその辺にしておいてあげて」

「酷いよ美鳥ちゃん……」


頭を押さえて情けない声を上げる玖郎を鼻で笑い飛ばすと、玖郎は「仕方ないなぁ」と言いつつ笑い、その姿勢を正した。


「さて。それじゃあ美鳥ちゃん、もう一度言うよ。俺に言うこと、あるよね?」


これが最後通牒だと、わざわざ言われずとも解った。解っている。解っているのだ。でも、だからこそ怖い。そう、怖かった。私の我儘に、この少年を巻き込んでしまっていいのか、私には解らない。


……それなのに玖郎は、五年前別れた時と何一つ変わらない笑顔を浮かべてくれる。


「――――いいの?」

「よくなきゃ言わないよ」


のんびりとしたその口調に、私は何度救われてきたことだろう。五年ぶりに聞くその声を、いつの間にか忘れてしまっていたことに、ようやく気付かされる。



「お願い、玖郎。私のこと、助けてくれる?」



気付けば縋るようにそう口にしていた。なんて情けない声だろう。玖郎のことをとやかく言えないではないか。

けれどそんな私の言葉に、我が親愛なる幼馴染にして大親友たる酉越玖郎は、その薄い唇に深い笑みを刻んで頷いた。頷いて、くれた。



「美鳥ちゃんのお願いなら、喜んで」



その言葉がどれだけ嬉しかったかなんて、私以外に知る者は、きっと誰もいないに違いない。

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