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マジカル・ビート・タクティクス -異世界ってこうですか?-  作者: YAMAYO
RHASE:03 三つの戦場
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帝都組~ いつかの少年(後) ~

            @@@@@


 何が起こったのだろう?

  なにがおこったのだろう?

   ナニガ……オコッタノダロウ?


 『…………』


 少年はそこに立ち尽くしていた。


 気が抜けたように呆然として?

  それとも驚きのあまり唖然として?

   もしくは失望にからめ取られて憮然として?


 ……どれも違う。

 

 『…………』


 少年はただ立っているだけ。

  ただただ、その場に立っているだけ。


 それだけだ。


 『…………』


 では、その場とはなんだろう?

  そもそも、そこは『場』として成立し得るのだろうか?


 なにせ見渡す限り、何も無い。


 連なる山。

  流れる川。


 可憐な花。

  実り豊かな田。


 賑やかな鉱山の活気。

  青空を滑る鳥の飛影。


 ……何も無い。


 『…………』


 笑っていた人。

  幸福を享受していた人。


 悲しんでいた人。

  憂いていた人。


 諍いを起こしていた人。

  それらを乗り越えてやはり笑っていた人。


 強くて、心が豊かで、美しかった人。


 ……誰もいない。


 『…………』


 逞しさや勇ましさ、強さや畏怖や憧れの象徴だった父。


 優しさや温もりや、厳しさや清らかさや美しさの象徴だった母。


 ズシリと響く声。

  フワリと香る匂い。


 追いかけた背中。

  縋り付いた胸。


 抱き上げてくれた腕。

  撫でてくれた手のひら。


 無償の愛。

  無謬(むびゅう)の愛。

 

 ……何も無い。

  ……誰もいない。


 ない

    無い

  失い

       亡い

   喪い

           ナイ

 な

       イ


 『…………』


 ともかく、少年は。


 そんな場所なき場所で、ただ立ち尽くすことしかできないでいた。




 戦乱の世、天下を統べるべく、武闘派の筆頭として各地で暴れまわっていたガストレア公国。


 大陸全土を巻き込んだ大戦が終結した際、初代ラクロナ皇帝によって国土や権利がどの国よりも大幅に取り潰しになったのは、表向きはどうであれ、その時の行き過ぎた暴威への罪科の為と言われている。


 大陸随一の強国が瞬く間にラクロナ帝国の一領土にまだ成り下がってしまったわけだが、もちろん、ガストレア側としては面白くない。


 併合された直後は悪あがきとばかりに反発し、他国が次々におもねっていくのも関せずに幾度となく国威の復権を企てるものの、その度に帝国は、次元違いの圧倒的軍事力によって制圧。


 その鼻っ柱を容赦なく挫き続けた。


 重ね続ける蛮勇。

  繰り返される無謀。


 ガストレアが、もはや自分たちの戦い方は時代遅れなのだと気が付くまでに、どれだけの時間が無為に費やされただろう。


 ただ闇雲に兵を突撃させたところで得られるものも取り返せるものもないのだと頭を切り替えるまでに、どれだけの血が無駄に流されただろう。


 明白に過ぎる帝国との力量差を学び、受け入れるまでに支払われた人的および時間的な犠牲は、対価として釣り合いなど取れようもないほどに膨大かつ甚大。


 いよいよもって窮地に立たされたところでガストレアは、ようやく省みた過去にうず高く積まれた自分たちの愚かさに驚き、それがなおも進行形で嵩を増している現実に慄(おのの)き、そして遠くない未来に訪れるであろう完膚なきまでの破滅に絶望した。


 手遅れと言われれば確かに遅すぎたかもしれない。

  末期と言われれば確かに挽回する期は既に逸していたかもしれない。


 しかし、それでも本当にギリギリの際の際、ガストレア公国はラクロナ帝国に全面降伏。


 帝国領として与することを認めるその宣言と条約への署名を持ってして、ラクロナ大陸の覇権を巡る長い長い戦乱の時代は、正式に終わりを告げたのだった。



 通例であるならば戦争を長引かせた責任として一族郎党、老人も子供も関係なくガストレアの名を冠する者すべてが処刑台の上に晒されてもおかしくはなかった。


 しかし、その通例を破ったのは他でもない、そもそもガストレアを貶めた張本人とも言える初代ラクロナ帝国皇帝だ。


 彼は、ガストレア公国という国家の在り方を非常に高く買っていた。


 堅実で勤勉な国民性を有した優秀な民。


 それらを統括する立場にあったガストレア一族のカリスマ性と政治手腕。


 客観的に見れば無謀ないし愚策と評価されている最後の抵抗も、ことガストレア公国内部からは非難の声が一つも上がらなかった。


 誰もが公王の示す道に疑問を抱かなかった。

  誰もが支配者の声に賛同し、付き従い、導かれた。


 権力が一極集中するその政治体制は紛うことなく独裁と呼ばれるものであり、世間からはついぞ疎まれがちな国家の運営方法ではあった。


 だが、ことガストレア公国のそれに関して、初代皇帝は組織というもののある種の完成系を見ていた。


 盲目的と言っても過言ではない絶対的な信頼の大きさ。

 

 上から下、縦から横まで国民が一致団結できる絆の強さ。


 そんな民の期待を裏切らぬよう常に頭と体を動かし精進する首脳の意識の高さ。


 命令系統のトップに鎮座する決して間違えない一柱の神のごとき存在の下で、民草はただ粛々と指示されたことを熟していけばそれでいいというシンプルかつスムーズな体制は、実のところ、初代皇帝が大陸規模で目指した理想の在り方そのものだったのだ。


 だから彼は興味を持った。


 対外的にある程度の粛清は行ったものの、ガストレア王族を完全に取り潰すことはなく、公爵という爵位を与えて領土を自由に統治させ、肩書や規模は変われども立場だけはそのままを維持したガストレアの行く末がどうなるのかを見届けたかった。


 それは単なる強者の戯れだった。

  あるいは、ある種の箱庭実験のようなものだった。


 尊厳など在りようもない、それこそが敗戦国として与えられた最大限の辱めであると、ガストレア側も重々、承知していた。


 ただ、彼らは甘んじて受け入れた。


 たとえ気まぐれに弄ばれていたとしても、かつては下に見ていた小国より地位や権力が貶められてしまったとしても。


 ガストレアという名が残り、愛すべき国民が理不尽な迫害を受けることもないのだというだけで幸いだった。


 そのお情けにすがろう。

  初代皇帝の気まぐれに乗せられてやろう。


 領地を奪われ、国家が崩れ、何もかもが1からのスタートにはなるが、その『1』として残されたガストレア魂を燃やして這い上がろう。


 いつの日か……そう、いつの日か。


 強国ならぬ『恐国』としてラクロナ大陸を震撼させた頃にも勝る、ガストレア公国の復権をいつの日か……。


 そうして、時を経ること数百年。


 過去の繁栄と衰退を実際に知る者がいなくなった世代へと時代が移り変わっても、その時の屈辱だけは脈々と受け継がれ、気が付けばガストレア公爵領は、首都に次いで人口的にも領地範囲的にも経済的にも、ラクロナ帝国内で第二位の位置を占めるまでに発展したのだった……。




 『……もちろん、帝国が首輪も付けず放し飼いにしていたわけがないですけれどね』


 そんな声が、少年の耳に入ってきた。


 『当然です。初代皇帝が興味を持つほどにその能力を評価したかつての強国。不屈の精神で表舞台に返り咲こうとする功名心が強まれば強まるだけ、同じくらい謀反の可能性ないし危険性もまた高まるのですから。戯れで獰猛なペットを飼う際は、牙を抜き、爪を削り、厳しく躾けてもまだ本能という部分の警戒を怠ってはいけないという教訓に似ているでしょうか』


 少年が目を向けた先にいたのは一人の女。


 特徴らしい特徴のない顔立ち。

  個性らしい個性のないいで立ち。


 気配らしい気配すらもなく、少年にとっては突然、相手にとっては必然といった具合に、一人の女が彼のすぐ目の前に立っていた。


 『やっとこちらに気づいてくれましたか』


 声の感じと女性的な丸味を帯びた体のラインがなければ性別さえあやふやになる程にどこか朧気な像。


 群衆の中に紛れれば……もしくは少しでも他のことに気を取られたならば、忽(たちま)ち見失ってしまうであろう希薄な存在感。


 それが女の纏ったあまりの地味さによるものなのか、それとも自分の未だにフワフワとした頭が他人をうまく認識することができないでいるのか、少年には判断しかねた。


 『ずっと無視されて、私、悲しくて泣いてしまいます。しくしく』


 どうやら長々とガストレアの歴史を少年に語り聞かせていたらしい女。


 生憎と彼の意識に言葉がほとんど入ってはいなかったことを嘆き、しかし、一つも悲しくなさそうに淡々と口だけで泣いてみせながら、彼女はさらに続けた。


 『村一番の快活な娘と評判だったのですが、そんなに存在感、なかったのでしょうか?しくしくしく』


 『…………』 


 『えんえんえん』


 『…………』


 『冗談です』


 『…………』


 『あ、冗談なのは悲しいというところで、私が快活な女だという点は冗談ではありません』


 『…………』


 『そして、この状況もまた、冗談ではありません』


 『……(ピクッ)』


 そこで終始、虚ろだった少年の瞳に少しだけ揺らぎが生じた。


 それを見た女が満足げにニヤリとしたような気もしたが、表情にも声色にも特に目立った変化はない。


 『夏の日が見せた陽炎でもなければ、泡沫の夢というわけでもありません。目を閉じ、そして開いたところで、あなたの目に映る景色はなんら変化することはありません』


 『……っつ……』


 『これは……現実です』


 女がゆっくりと大きく手を広げることで表したのは『これ』。


 そして『これ』とは、ようするに見渡す限りに何もない……命あるものも無いものもすべてが消え去ってしまった、少年がこよなく愛する世界のことであった。


 『……なにが……』


 初めて少年が声を漏らす。


 まさしく口から思わず『漏れた』という表現が相応しい、か細い声。


 女の平坦な語りと、緩慢な手振りによって表された現実を直視し、急激に膨れ上がった様々な感情に押し出されるようにして、少年はそれだけを尋ねた。


 『何が……起こったんですか?』


 『そうですね……今のあなたにも理解できるように言うとなると……』


 女は頬に手を置き、小首を傾げながら言葉を探しているように少しだけ間を置いた。


 今のあなた……という言い回しは、ただボンヤリと立ち尽くし、女が声を掛けなければおそらく身が朽ちるまでその場から動くことはなかったであろうほどに酷い自失状態にあった彼の心に配慮したのか。


 それとも、この光景を招いた要因にまったく心当たりを探せないほどに無知で無力、これまでキレイなものだけしか見ようとしてこなかった少年の甘さや愚かさを暗に皮肉っているのか。


 どちらにしても、女は相も変らぬ感情のこもっていないような口調で……。


 『あなたの故郷は跡形もなく滅びました』


 頬に添えた手も、僅かに傾げた首も、真っすぐに少年を見つめる空虚な瞳もそのままに……。


 覆りようもない現実、決して覚めない悪夢のような現実を……。


 『ガストレアという概念ごとすべてが、本日を持ちまして、この世界から抹消されてしまったのです』


 淡々と少年に突き付けるのだった。



 『……え?』


 『戸惑うばかりで、どうして?という疑問も浮かんではきませんか、アーガイル=デト=ガストレア次期公爵?』


 困惑する少年を尻目に、女は続けた。


 『いいえ、当主たるお父様亡き今はあなたが正式なガストレア公爵。いいえ、いいえ。その肩書ですら、こうなってしまってはもはや何の意味も成しませんか』


 『ちち、うえ……が?……え?……』


 『人も街も自然も、父親も母親も爵位も城も、歴史としての過去も、領地としての現在も、これからあなたが背負うべき責務としての未来も、何もかも。あなたは失ってしまったのです』


 『え?……あ、う…………え??』


 『……まだ理解できないのですか?……本当に愚か者ですね、あなたは』


 抑揚のなさは変わらない。


 しかし、女の声が、僅かに険を帯びたように聞こえたのは少年の気のせいだろうか。


 『どれだけ衰退の憂き目にあっても消えることのなかった『1』、ガストレア魂ですらも蒸発し、後に残されたものは抜け殻のように呆けたあなた一人だけ。ガストレアは文字通りの『0』と期してしまいましたね』


 『ぼ、僕は……』


 『まぁ、いいでしょう。私はただ今日と言う日を見届け、何が起こったのかを報告する命令を受けてこちらに立ち寄っただけです。さすがに想定外過ぎて障壁の加減が出来ず、結果的に近くにいたあなたまで助けてしまいましたが……どうやら、余計なお世話だったようですね』


 『たす……』


 『どうかそこで何もせずに朽ち果て、大好きな父上と母上と同じところへと堕ちてください』


 そう言って女は体を翻し、その場を去ろうとする。


 実際、彼女の意識や興味は既に自分を離れ、何某かの考察作業に入っていることが遠ざかる背中からヒシヒシと少年には伝わった。


 『ま、まっ……』


 少年は女に向かって手を伸ばそうとした。


 『待って』と声を掛け、彼女を引き留めようとした。


 ……しかし、腕は上がらず、声も出せない。


 女の醸し出す拒絶の空気に尻込みし、少年は何も出来なかった。


 なにせ、少年は無知で無力で、救いようもなく愚かだった。


 他人に悪感情を向けられたこともなければ、冷たく突き放されたような経験もなかった。


 父や母に叱られることはあっても、そこには必ず少年への愛情が溢れていた。


 誰もが彼に優しかったし、誰もが彼に好意だけを与えてきた。


 だから、自分を拒絶する人間への接し方がわからなかった。


 『っつ!!』


 少年は反射的に周りを見渡した。


 わからないことがあれば、誰かが懇切丁寧に教えてくれた。

  知らないことがあれば、誰かがまだ知らなくてもいいと諭してくれた。


 その誰かの姿を探した。


 困った時にはいつも頼る前から傍にいてくれた、誰かの中の一人を探した。


 ……その誰かが、もう二度と導いてくれることはないことですら、少年はわかなかった。


 『こんな……なんで……』


 ある時から城の敷地内から出てはいけないと言われた。


 ある時から遠くで炸裂音のようなものや怒号のようなものが聞こえるようになっ

た。


 時折、昼間のように明るくなった夜があった。


 時々、開け放した窓から何かが焦げたような匂いがした。


 首都ラクロナから取り寄せていた絵本の配達が止まった。


 仲の良かったどこぞの伯爵家の友達と会えなくなった。


 廊下を歩く父の足音が段々と荒々しくなった。


 添い寝をしてくれた母の顔に憔悴の色がうかがえるようになった。


 一族でも一際体の大きかった叔父に生傷が増えていった。


 兄のように慕っていた従兄の姿を見なくなった。


 『……どう……して……』


 わからなかった。

 知らなかった。

 教えてくれなかった。

 気づかなかった。


 『ああ……あああ……』


 わかろうとしなかった。

 知ろうとしなかった。

 教わろうとしなかった、

 気づこうとしなかった。


 『あああ……あああああ……』


 穏やかな日常が崩れはじめた音は聞こえていたはずだ。

  認識と現実のズレによる違和は確かに見えていたはずだ。


 けれど、耳を塞いで聞こえないふりをした。

  けれど、目を瞑って見えないふりをした。


 鼻をつまみ、口を閉ざし、思考を停止して、想像を放棄した。


 ……この世界には、テラスから眺めた夕陽のように美しいものだけしかないのだと、信じたいがためだけに。


 『ああああああっっ!!!あああああっっっ!!!!』


 それは、少年が生涯で初めて発した慟哭。 


 『なんだ!なんだ!なんなんだっっ!!!!』


 それは、少年が人生で初めて垂れ流した悲嘆。


 『ちくしょう!!ちくしょうっ!!ちくしょうっっっっ!!!!』


 それは、愚かなだけの少年が最初に受け入れた醜いものであり、その後、終生にわたってアーガイル=デト=ガストレアという男が抱き続け、研ぎ澄まし続けた憎しみの感情であった。



 『……やれば出来るではないですか』


 地面に手を付き、嗚咽と怨嗟を吐き出し続ける少年に、そう語り掛ける平坦な声。


 少年を見放して去ったはずの女が、彼を見下ろすような位置に立っていた。


 『そうです、それが当たり前です。不当に奪われ、理不尽に嬲られ、大事なモノを失ったのなら、そうやって感情を先走らせ、嘆いて叫んで涙する……それが人間としてのあるべき姿です』


 『殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる!!!!』


 『はい、殺しましょう』


 『壊してやる奪ってやる絶対に絶対に許さない!!』


 『はい、壊しましょう、奪いましょう、絶対に許さずに復讐してやりましょう』


 『ふく……しゅう?……ふくしゅうフクシュウ復讐っ!!』


 『はい、復讐です。あなたからすべてを奪ったラクロナ帝国に復讐してやりましょう』


 『らくろならくろならくろならくろなぁぁぁぁぁ!!!!』


 感情に任せるままに少年は地面を拳で叩いた。


 皮が破れるも肉が裂けるのも骨が折れるのも構わず、何度も。


 母親譲りのスラリとした指が血に染まり潰れるのも厭わず、何度も何度も。


 彼の世界を壊したものが何だったのか、具体的に何をどうすることが復讐であるのかもわからないまま、ただラクロナ帝国への憎しみに突き動かされて、何度も何度も何度も……。


 少年は地面を殴りつける。


 『……なるほど、こうやって復讐にだけ囚われる、生ける亡者が生まれるわけですか……興味深い』


 そんな少年の姿を、女は静かな眼差しで見つめていた。


 『図らずもあ(・)の(・)方(・)が(・)執(・)心(・)す(・)る(・)彼(・)と似通った人間を造り出してしまった感は否めませんが……まぁ、いいでしょう。事象への介入は控えろとのことでしたが、そう命令する本人が誰よりも個人的な理由で動いていますし。これくらいのイレギュラーは許してもらいましょうか』


 女の声色は、やはり変わらない。


 年端もいかない子供が絶望感に狂い哭(な)き、己の体を傷つける様を見下ろしながら、それでも冷めて、褪めて、覚めていた。


 『……あるいは、私がらしくもなく人助けをすることまで含めて、あの方にとっては予定調和の範囲内なのかもしれませんがね。……不愉快です。ぷんぷん』


 と、また口先だけで感情を表しながら女は踵を返し、背中を向けたまま、未だ興奮状態にある少年に言葉をかけた。


 『私は行きます』


 『ふぅ、ふぅふぅぅぅ!!』


 『ここにいては充満するこの濃密な魔素にあてられて体が変態……死よりも悲劇的な、終わりなき終わりを迎えることになります。恩を着せるわけではないですが、せっかく救われた命。あなたに纏わせた私の魔術の効力が切れてしまう前に、動き出した方がいいですよ』


 『うぅ、うぅ……うぅ、うぅ……』


 『とはいえ、たとえここから逃げ延びたとしても、あなたを待つのは過酷な運命だけでしょう。今、あなたの胸を焦がしているその憎しみの熱を維持しながら生きていくことはもちろん、いつか復讐を忘れるほどの幸福が訪れたとしても、この一面に広がる何も無い光景が、いつでもあなたを仄暗い泥濘の底へと引きずり込んでしまうはずです』


 『わすれない……』


 『そうですか』


 『絶対に僕は忘れないっ!!!!』


 『……そうですか』


 そして、女は去っていく。


 今度こそこの場にもう用はないといった具合に、確かな足取りで。


 『どうやら私は最後までこの件を任されそうですので、あなたが変わらずにその道を行くのなら、どこかでまた会う機会があるかもしれません。……その時まで、さようなら、アーガイル=デト=ガストレアだった、無知で無力で、けれど愚かではなくなった少年……』


 『ううう……うがぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!』


 血の涙を流しながら、天高く叫び声を上げる少年。


 新しく構築された己の世界に埋没するだけで精一杯だった彼には、まるで少年の慟哭に反応したかのように、周囲で何か黒々としたモノが蠢きはじめていたことなど……。


 その何かの輪郭が、少年の愛した誰かのものに酷似していたことなど……。 


 知る由もなかった。



                 @@@@@



 ここまでが、ある復讐者が生まれた日の出来事。


 その後、生き延びるために非人道的な所業を繰り返して孤高の山賊紛いとなり。


 ガストレアの名を捨て、体と心を鍛え、巡り合ったカタナの技を磨き。


 潜り込んだ帝国軍内部で情報収集をしながら虎視眈々と機会をうかがい。


 一人の帝国軍人が掲げた眩い正義に魅せられ、共感し、主と定めて付き従い。


 その主の余興に付き合わされるのをもどかしく思いつつも、もうすぐ訪れるであろうこの三十年間、絶やすことなく燃やし続けた憎しみの成就を待った。


 そう。


 人も街も自然も、父親も母親も爵位も城も、過去も現在も未来も何もかもを自分から奪い去ったものと全く同じ、おあつらえ向きに『復讐の女神』の名を冠したあの兵器の発動を。


 「…………」


 無知でも無力でも愚かでもなくなった、いつかの少年は……。


 そびえ立つ『光玉宮(こうぎょくきゅう)』を睨むように見上げながら、静かに待ち続ける。

 

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