ラ・ウール防衛組 ~ 凛として ~
草木も眠る丑三つ時……からさらに数刻。
ズペリン公国の関所付近において、闇夜に潜む獣が跳梁跋扈に暗躍している頃。
帝都ラクロナにおいて、ついに動き出した帝国軍本隊と討伐連合がぶつかり合い、狂乱と狂騒のカラ騒ぎの盛り上がりが最高潮に差し掛かっている頃。
王都ラ・ウールの戦場は、未だ膠着状態にあった。
双方の陣営に、事実上、開戦が前倒しとなった旨の通達が出されたのは数時間も前。
しかしながら王都ラ・ウールの東海岸沿いを占拠していた『革命の七人』の兵士2千人に目立った動きは見られない。
どのような理由があったにしろ、規約を破ったのはラ・ウールの側。
どのような思惑があるにしろ、正式な戦争という体をとったのは『革命の七人』の側。
ラ・ウールにはそのような負い目と、何より此度の戦は侵攻ではなく防衛なのだという主題のために、こちらから仕掛けることは憚られ。
『革命の七人』は自軍の上層部がこれまでのゲリラ的な革命行為とは違う、型にはまった戦形式を提案してしまったがために、やはり勝手に仕掛けることは躊躇われた。
どちらも動くに動けない睨み合い。
ただ、どちらによりプレッシャーがかかっていたのかと問われれば、それは間違いなくラ・ウールの方だっただろう。
なにせ相手は、噂に名高い荒くれ者たちが寄せ集まった野蛮なテロリスト集団。
大仰な大義とねじ曲がった正義を掲げれば殺人も許されると本気で信じている無法者であるからして、戦争の規約やモラルなど順守するはずがないとラ・ウール軍の面々は内心で思っていた。
しかし、開戦の宣言がなされる前、奪取したケルアック船籍の貨物輸送船が入港する際にひと悶着を起こしたきり、後は黙々と自陣の設営にのみ励む姿は実に統率がとれたもの。
避難誘導の手が回り切らず沿岸部にはまだ多くの民間人が残されていたが、実のところ彼らのほとんどを速やかに退去させたのは他でもない賊軍の兵たちであったりする。
暴力にものを言わせた略奪行為も人権を侵すような非道も一切働かず、足腰の悪い老婆の先導、自分の家から頑なに離れたがらない頑固な老父への気長な説得など、むしろ並みの中・小国の軍隊よりもよほど良心的であり、随分と手慣れていた。
大仰であっても歪んでいても、そこは『正義』を謳う者。
彼らの『悪』には足りえない民間人たちに対しての振る舞い方についての教育は、末端の末端まで徹底して行き届いているらしい。
……だからこそ、余計に不気味だった。
どこまでも軍式。どこまでも生真面目。どこまでも正義。
正規の軍人として、見習わなければいけないところが多々見られる。
果たして自分は彼らよりもキチンと兵隊をやれているだろうかと自戒する者まで現れる。
しかし、わからない。
礼節を持って民間人に接してはいるが、これが一たび、革命の成就の障害になると判断されれば、優しく介抱した同じ手でもって今度は無慈悲にその老婆を彼らは殺す。
空いた民家に押し入って財産を奪うようなことは絶対に行わないが、これが一たび、掲げる正義に抵触したならば、人の在宅の有無に関わらず容赦なく彼らは火を放つ。
わからない。
わからない。
彼らの価値基準と正義の定義がわからない。
同じ人間として、明らかに自分たちとは考え方の根幹が致命的にズレている。
わからない。
わからない。
何を考えているのかが想像できない。
彼らの中でいつその正義のスイッチが入るのかが読めない。
想像できないからこそ、恐ろしい。
読めないからこそ、恐ろしい。
こうして上からの命令があるまでは大人しくしているようだが、いつ何時テロ集団としての本性を表すのかがまったくもって予想できない。
ただでさえ、守りの側というのは忍耐が必要になるものだが、そこにさらに余計な警戒心まで上乗せされ、ラ・ウール軍の兵士の神経は待機しているだけでゴリゴリと削られていく。
「…………」
もちろん、それはこの一人の小隊長とて例外ではない。
その女は、兵士としても人間としても本当は中庸な女だった。
年齢は22歳。
所属は王室近衛騎士団。
ラ・ウール王国の貿易業最大手、マルクイット商会の子会社で要職を務める父と、専業主婦の母に間に生まれた三姉妹の真ん中。
容姿平凡、学業平均、運動だけは中の中の上。
特別に裕福でもないが、貧しさにあえいだこともない経済状況。
格別に人格者でもないが、普通の倫理観を持った両親がいる家庭環境。
人並みの夢を描いては挫折し、人並みに恋をしては失恋をし、また恋をした。
どこにでもいる普通の少女として青春時代を暮らしていくうちにやがて就労適齢年齢である15歳を迎えた彼女は、ボンヤリと何か人の役に立つ仕事をしたいと思い、幾つかの選択肢の中からラ・ウール王国軍に入隊することにした。
見習い兵として社会人のキャリアをスタートした女は、そこでももはや特殊技能と言っても差支えないくらいの人並みさをいかんなく発揮し、訓練でも実地でも座学でも無難な成績を残した。
無難……それは自分のために用意されたような言葉だと女はよく自嘲した。
いや、私なんかのために用意されたなんて特別なことがあるわけないか。
きっと私は自分の方から進んで無難という枠の中に納まっているだけにしか過ぎないんだ。
平均以下になることが嫌だった。
さりとて平均以上になるのもまた嫌だった。
誰かよりも劣ることは自分が惨めに思えて怖かったし、誰かよりも優れることで生じてしまう期待や責任みたいなものが恐ろしかった。
無難、平均、凡庸、並大抵……。
そのリスクもリターンも少ない場所の居心地が、女には丁度良かった。
きっとこの先もこうやって普通以下にも以上にもはみ出さない平らな人生を送っていくと思っていたし、送ろうと思っていた。
それが強がりではなく、心底からの本心へと切り替わったのはいくつのことだっただろう?
それは彼女の願いなのではなく、単なる諦めであるのだと気づくのはいくつになったらなのだろう?
何一つ劇的な出来事がないまま、女は十代も後半に差し掛かり、そして同じように平凡な二十代、平均な三十代、中庸な四十代を過ごそうとしていた。
……そう、あの日、光と闇を併せ持つ彼女と出会うまでは。
「落ち着いてますね、小隊長殿?」
そう女に話しかけてきたのは彼女の隊に属する男。
女よりも幾らか年上で普段の所属も違う。
声色は彼の性格を表すように軽薄で、この僅かな期間の間に随分と打ち解けたのは、男のその誰にでも物怖じしない人懐っこさの賜物だろう。
上官に対して馴れ馴れし過ぎるようにも見えるのだが、その声と態度には常に女に対する自然な敬意が確かに含まれていてなかなか憎み切れず、気づけば胸襟を開いてしまっていた。
「そうでもないさ。私だって内心では焦れている」
「全然、そんな風には見えません。さすがはその若さで近衛騎士団に所属するエリートですね。素直に尊敬します」
「ありがとう。その敬意に応えて何か出してやりたいところだが、生憎と何も持ち合わせていないのでな。申し訳ない」
「いえいえ、とんでもない。小隊長殿が上着の一枚でも脱いでくれれば、それだけで小生も、隊全体もググっと士気を上げるかと思われます」
「なるほど。こんな肉付きの悪い体を晒すだけで諸君らが奮闘してくれるのならば、上着と言わず幾らでも脱いでやることは吝かではない。しかし、すまない。私は酷い冷え性ゆえ、靴下一つ無くなっただけでガタガタと震え、とてもじゃないが剣も指揮も震えなくなってしまう。お前が私の代わりを務めてくれるというのならば心置きなく脱げるのだがな」
「失言でした。それは勘弁願います。剣の腕にしても采配の巧みさにしても、≪戦場の麗人≫の片腕たる小隊長殿の代わりを務められる者など、この小隊にはおりません」
「そうだろうか?貴様は他の隊員と比べて随分と余裕があるように見受けられるが」
「……内心どころか、体中で焦れてますけどね、俺」
そう皮肉げに言う男の顔を、女は横目で確認する。
なるほど、確かに言葉の軽さとは裏腹に固く張り付いたような力のない笑み。
その笑い顔の額には、夏の夜の蒸し暑さという理由だけでは収まり切れないほどの、多量にして大粒の汗が浮いている。
無理もない。
簡単に王宮内に侵入を許してしまった賊の首領。
ラ・ウール国王陛下、ラクロナ皇帝陛下の幽閉。
アルル王女殿下の拉致。
戦乱の世から中立の象徴であったラ・ウール王国への堂々とした宣戦布告。
そしてただ慌ただしいままに布陣されたこの防衛戦線における極度の緊張状態。
戦争に向けた心の準備どころから、一体、この国、この大陸で何が起こっているのかわからないままに戦場へと駆り出された者がどれだけいるだろう。
これまでの訓練や実戦の経験、学んできた兵法の定石などことごとく踏みにじられた異例ずくめのこの戦い。
平静を保てと命令する方が、よほどまともな神経を持っていない精神破綻者なのかもしれない。
「……すまない。私の方も失言だったようだ」
「お気になさらず。バカな俺だからこの程度で済んでいますが、先ほど交代の引継ぎを行った別小隊の面々など、百日戦争でも戦い抜いてきたような疲弊ぶりでしたからね」
「……そろそろ、皆の緊張も限界か」
「……あまり、良い傾向ではありませんね」
「この必要以上に張り詰め過ぎた空気。どこかで堪忍袋の緒が切れなければいいのだが。……いや、緒だけならまだしも袋その物が破裂したらどんな恐慌的な事態に陥るやら……」
「巧い表現です。さすがは片腕」
「おべっかはもういい。……それに私など、その腕の本体である、あの人には遠く及ばないさ」
女はふと真夜中の暗い空を見上げる。
彼女の隊が配置されたのは、敵勢が展開する港から沿岸の砂浜にかけてを一望で見渡せる、内陸側の少しだけ小高いところ。
平地よりも僅かに近くなった夜空に貼り付くのは、薄っすらと長くのびる雲、そしてその雲を透かして見える右の半分だけが少し黄色がかった上弦の月。
特に懐古に浸りたいわけではなかったが、その半身を金、もう半身を黒に染めた半月の冴え冴えとした有様に、女はどうしても、≪戦場の麗人≫の立ち姿を思い出さずにはいられない。
平凡に甘んじて投げやりになっていた自分をここまで引き上げてくれた人。
凡庸に埋もれて諦めていた自分をここまで導いてくれた人。
恩人であり、尊敬してやまない上司であり、目標とする憧れの人。
そして、何よりも。
私を突き動かしたこの一途な感情は、もしかしたら……あるいは……。
親愛の情を越え、敬愛の情を越え、同性という性別でさえ易々と越え。
平坦な場所でくすぶることを良しとしていた頃の女の前に涼やかに現れ、その名前が示す鈴のように凛とした佇まいと声とで瞬く間にこの心を攫っていった彼女。
さきほどの部下の軽口を真似するわけではないが、ただ彼女の顔を思い浮かべるだけで、自分は百日でも千日でも戦い抜ける気がする。
「……もしかしたら恋人のことでも考えてます?」
横合いから部下の男が茶化すようなことを言う。
「羨ましいですね。仕事人間という感じの小隊長殿にそこまで想われる野郎は」
「……野郎じゃない。バカ者が……(ボソリ)」
「え?なんですか?」
「…………そんないいものじゃないと言っているんだ」
「そうなんですか?ご自身では気づいてないかもしれませんが、かなり乙女な顔してましたよ?あ、もしかして片思い相手ですか?それもまた羨ましい」
「本当にそんなんじゃない。……本当に……」
本当に、そんなのじゃない。
そんな下世話で下品な感情なんかじゃない。
あの人は……。
あの人へと向けるこの私の想いは……。
ボォォォォォン!!
ボォォォォォン!!
睨み合いの均衡と、女の束の間の夢想を破る音。
ドンドンドンドンドン!!!!
いつ果てるともしれない緊張と、闇夜を引き裂く鮮やかな光彩。
「っっつ!!!」
「ようやくきやがったか!!」
開戦のはじまりを知らせたのは、偶然にも帝都での戦いと同じく汽笛の音。
汽車か船かという違い、発した者の立ち位置の違い、心持ち低音で阻むような壁もないまま広く長く響き渡ったという違いなどはあれど、それは紛れもなく開幕の合図。
更にまだ汽笛の音が耳からも空間からも抜け切らないうち、続けざまに港に停泊する敵の貨物船の甲板から放たれるまま、何もない遥か海洋の虚空へと静かに吸い込まれていく色とりどりの魔術による砲撃まであった。
そんな汽笛にしろ、ロクに狙いも定めず闇雲に放たれた花火のような魔術にしろ、わざわざこちらに戦のはじまりを教えるような律儀さはやはり不可解。
そして、長時間にわたる沈黙からどうしてこのタイミングで唐突に開幕を告げたのかも皆目わからない。
わからない。
わからない。
相も変わらず、相手の考えがわからない。
……それでも。
「三番隊、抜刀!!魔術隊、砲撃隊、装填用意!!!!」
女の号令によって、彼女の率いる小隊の面々が、訓練により培われた反射じみた動きで腰に携えた剣を抜き放ち、遠距離支援要員の隊員もそれぞれに射撃の準備に入る。
「聞け!!諸君らの混乱は大いにわかる!!かく言う私とて、此度の戦についてすべてを理解できているのかと問われれば、甚だ疑問ばかりだ!!つい三日ほど前の同時刻、ある者は早朝の勤務に備えて穏やかな眠りを貪り、ある者は眠気をこらえて夜警に従事し、ある者は明日の非番の予定に心躍らせていたことだろう。……それがどうだ!?陛下が囚われた?姫殿下が拉致された?革命の七人?防衛?戦争?なんだそれは!?なんの冗談だ!?夢か!?幻か!?わからない!!わけがわからない!!……しかし!!!!」
そうして女は、鞘から抜き放った剣の剣先を、ピシリ、と海岸方向へと向ける。
そこでは最前線に配備されたラ・ウールの一番・二番隊と敵の先鋒隊が、今まさにぶつかり合おうとしているところだった。
「あれは冗談ではない!!夢でも幻でもない!!畏れ多くも我らが愛すべき母国、このラ・ウールを侵そうと攻め込んできた賊と我らの同胞が剣を交えているのは紛れもない現実である!!それを未だ信じられない、夢見心地のままで眺めている者がいるならば前に出よ!!賊よりも先にこの私自ら切り伏せてその目を覚まさせてやる!!」
朗々と響き渡る女のよく通る声が、緊張と戸惑いにまだ幾分か曇っていた兵士たちの目と心の焦点を合わせさせる。
「よいか諸君!!敵がいる、それを斬る、国を守る、諸君らに課せられた使命はただそれだけの簡単なお仕事だ!!日頃の野党狩りや魔物・魔獣の類の排除などよりもよほど単純でわかりやすい!!だから迷うな!!躊躇うな!!疑うな!!難しいこと、ややこしいことを考えるのは私や上のお偉方に任せておけ!!諸君らはただただ敵を屠り、街や王宮への侵攻を阻むだけに専念しろ!!」
「「「応っ!!!!」」」
「うむ、良い返事だ!!ほとほと雅さに欠ける野太い声ばかりだがそれでいい!!戦場の華に必要なのは可憐さなどではなく、勇ましさだ!!……もしもあまりのムサ苦しさに嫌気がさしそうになったら私を見ろ!!ほとほと色気が足りなくて申し訳ない限りだが、こんなものでも一応は女だ!!諸君らの男が奮い立つよう、全力で愛想を振りまこうではないか!!!」
そんな言葉とは裏腹な、荒々しく獰猛な笑みを浮かべる小隊長の姿に、停滞気味だった隊の士気は最高潮に達する。
「それでは、状況を開始する……進めぇ!!!!」
「「「応っ!!!!」」」
前線の隙間をかいくぐってくる敵兵を殲滅するため、女の率いる三番隊が坂を駆けおりる。
後方からは既に魔術や銃弾が放たれ、雨のように降り注いでは壁のように敵の足止めをしている。
それでいい。
これでいい……。
自身の言葉を自身にも言い聞かせるよう、女は内心で呟く。
難しいこと、ややこしいこと……今は考えちゃいけない。
私がやらなければいけないことは単純明快。
少しでもここで敵を押しとどめて戦線を維持することのみ。
ただそれだけ。
ただただそれだけ。
我が愛すべき王都の中心部には行かせない。
我が守るべき王宮には誰一人として踏み込ませない。
……あの人の。
……私が、この想いを向けるあの人のいるところになんて。
「……絶対に行かせませんからね……副団長……」
そして本当は中庸のまま生涯を終えるはずだった女は剣を振りかざす。
平坦な人生ではまず味わうことなどできなかったはずの高揚感に浮かされて突き進む。
その姿はその場にいる男連中の誰よりも勇猛であり。
しかし、どこまでも艶やかで嫋やかで、とにもかくにも美しい。
そう、まるで。
彼女が憧れる、あの眼鏡の才女のように。
舞い踊るように双剣を振るう≪戦場の麗人≫のように。
鈴の音のごとく、凛として……。




