第七章・囚われの姫君~ ICHIJI‘S view⑥~
突然の襲撃者との短くも激しい立ち合いに一息ついた間隙。
その襲撃者が発したあまりに不敬な言葉への絶句。
そして気が付けばもはや状況が詰みとなっていたという事実からの膠着。
同じ静けさでも、目まぐるしくその性質が移り変わる静寂に、誰もが屈してしまった。
舞台に登場した瞬間から、終始、場の中心を支配していたのはデレク・カッサンドラ。
彼が放ち続ける奇妙な空気感。
この場にいる誰よりも自身を疑わない、強くて歪な存在感。
そんなものに知らずあてられ、萎縮していたんだ思う。
どんなにふざけた戯言、狂った妄言でも。
どれだけ気持ちが悪く、間違っているのだとわかっている信念でも。
デレク・カッサンドラはどこまでも本気であり。
そんな本気を何の衒いも恥じらいもなく掲げられるこの男が『本物』なのだと、誰もが暗黙のうちに認めてしまっていた。
戦闘技術や魔術の練度の差じゃない。
純粋に人間として、同じ生き物としての強度が違い過ぎる。
勝てない、覆せない、抗えない。
思考を越えた本能みたいな部分で、俺たちは負けを認めてしまっていたのだ。
……そう、たった一人。
歪んだ『本物』に唯一対抗できるであろう、ひたすら清く正しい生き様をさらす、真っすぐな『本物』である少女を除いて……。
「この俺を『悪』と説くか、ラ・ウールの姫君よ?」
「それも大言壮語をのたまうだけの小物、というところをお忘れなく」
俺とアンナの後ろに控えていたアルルが前に出ばり、正義に狂った男と真っ向から向き合う。
「あなたの主義主張、あなたの性質、あなたが皇帝陛下に手をかけてまで成し遂げたい理想……あなたにとってわたくしの命が一体どんな意味を持つのか、大体把握できましたわ」
「……聞かせてもらおう」
「ええ、もちろん。……ですが、その前に……」
アルルが一歩踏み出す。
「ギャレッツ!!」
「むぅ……」
「何ですかその体たらくは?あなたは近衛騎士団の団長でしょ?常にわたくしたち王族、ひいてはラ・ウール国民全員の盾となって守ることがあなたのお仕事でしょう?それをなんです、敵の煽りをまともに受けて逆上し、言いくるめられ、空気に飲まれて縮こまって」
「…………」
「わかりますわよ。お父様のこと……気にしているのですね?やはり自分が傍についていれば、と」
「……面目ない」
「これは皆で事前に十分に話し合って出した結論。それにあなただけが最後まで納得していなかったこともわかっています。あなたがお父様の護衛についていれば状況はまた違っていたのかもしれません。そもそもお父様が皇帝陛下と非公式の密談を交わしに帝都になど行かなければよかったのかもしれません。……ですが、ギャレッツ。悔いても仕方がないのです。状況は動き、お父様が虜囚の身となった……その現実は覆らないのです」
「……わかっている」
「そして覆らない中で、覆す方策を練るのが今わたくしたちのするべきことです。捕らえられたお父様の安全を、ついでに皇帝陛下のお命もお助けする、その実現に向けて現実を見据えなければなりません」
「わかっている。……わかってはいるのだが……」
「顔を上げなさい、ギャレッツ・ホフバウワー」
「アル坊……」
「わかっているのなら動きなさい。理解しているのなら立ち上がりなさい。無茶を言っていることは百も承知しています。無理を強いているのは千も承知しています。ですが、わたくしはそれでも敢えて命令します、ギャレッツ・ホフバウワー騎士団長。この圧倒的不利な状況をどうにかして打破し、その命に換えてもラ・ウール国王陛下を奪還しなさい」
「……なんとまぁ……簡単に言ってくれる」
「……ねぇ、ギャレッツ?どうかその丸まった背中を伸ばしてくださいまし。あなたがその大きな体と器の大きな心を全部使ってガハガハと能天気に笑っていてくださらないと不安になります。……いつだって剣の師匠として、頼れる大人として手を引いて下さらないと、どこかのじゃじゃ馬で生意気な小娘が、道に迷って泣いてしまいますわよ」
「……まったく……いくつになっても世話をかけさせる……」
「子育ての良い練習になったのではなくて?」
「……うむ、然り、であるな!がっはっはぁ!!!」
アルルが一歩踏み出す。
「アンナ」
「……はい」
「というわけで、この脳筋団長様では後先考えずにただ突っ走るだけだと思いますので、その辺りのフォロー、貴女にお願いいたしますわ」
「……はい」
「ごめんなさいね、アンナ。昔から貴女には苦労ばかりを押し付けて」
「いいえ。……いいえ、姫様。それが、私の……アンナベル=ベルベットの存在意義ですから」
「そう言って、貴女はすぐに我慢をする。そうやって、貴女はいつだってわたくしのことを最優先にしてくれる。だからわたくしはすぐにその忠義と優しさに甘えてしまう。……言いたいことがたくさんあるのでしょう?わたくしがこれからすること、止めたいのでしょう?」
「……はい。言いたいことはあります。ぶつけたい感情もたくさんあります……何を賭しても姫様の歩みを止めたいと、たとえ縛ってでも殴ってでもこの場から去って頂きたいと思っています」
「でも、貴女は絶対にしない」
「はい。それが姫様の決めたことであるならば、私は甘んじて受け入れるまでですから」
「たまには逆らってみてもいいんですのよ?」
「それは私に死ねと仰っているのと同じことです」
「ふふふ、本気で言っているところがアンナですわよね。……ま、貴女に死なれたらホントに困ってしまいますし、本当に本当に悲しくなってしまいます。だから易々と死んでもらうわけにはいけませんわ」
「姫様……」
「後を……頼みます、アンナ」
「っっつ!!……はい、頼まれました……」
「……あ、別に負けを認めてイチジ様のことを頼むぅとかじゃないですからね?そこだけはたとえ何があっても譲りませんからね?」
「いいえ、既にすべてを頼まれてしまいましたので。諸々、私にお任せください」
「ちょ!……アンナ、恐ろしい子……」
アルルが一歩、二歩と前に進む。
「ゼノさん!!」
「……あ?」
「なんだかとんでもないことに巻き込んでしまったようで申し訳ありませんわ」
「……ホントにな。めんどくせぇ」
「降りてしまわれてもよろしいんですのよ?あなたを縛っているあれやこれ、こんな事態ですから、もはや殆ど意味をなさなくなっていますし」
「そうもいかねーさ。一度は受けちまった仕事だ、ある程度、格好はつけーねと」
「いい男ですわね。……イチジ様の次くらいに」
「はん、言ってろ」
「では新たにお仕事を依頼してもよろしいでしょうか?政治的な駆け引きも何もない、わたくし個人からの純然たる依頼。報酬は弾みますわよ?」
「……聞くだけ聞いてやる」
「どうか、わたくしたちにご助力下さい。あなたのその力が、わたくしたちには必要です」
「……仕方ねぇ、乗り掛かった舟だ。頼まれてやんよ」
「そのツンデレ風味、素敵ですわよ。……イチジ様の次くらいに」
「……うぜぇ」
「どうか、わたくしの大事なもの……そしてあなた自身の大切なものを、最後まで守り抜いて下さいませ」
「……ああ」
「そして、ヒイラギさん!!」
「は、はいぃ!!」
「こんなことに巻き込んでしまって申し訳ないというのはあなたにこそ送るべき言葉でしょう。本当にごめんなさい」
「い、いや、僕は……別に……」
「この国の命運、この世界の生末など本来、あなたにはまったく関係のないこと。なんだか事故みたいな出会いから流されるままにわたくしたちと行動を共にしているわけなのですが、いいのですよ?この場所で、好きなようにあなたの人生をやり直していただいても。……もちろんサポートはしっかりと致しますし、あなたならばきっとすぐに自分の居場所を見つけ、穏やかに、幸せに暮らしていくことができるのでしょう」
「…………」
「正直にお答えください。……怖い、ですわよね?」
「……はい」
「ありがとうございます。ちゃんと怖いと思える、嫌だと思える。そんな普通の感性を持った人で安心いたしました」
「…………」
「そしてやっぱり、ごめんなさい。多大なる力を有しているあなたでも、どれだけ適応力のあるあなたでも、中身はわたくしと一つしか年の違わない若輩者、子供なのです。こんな殺伐とした世界に無理に身を置くことはありません。こんな命を賭けた戦いに参加する義務などありません……誰も責めたりしません。誰もあなたのことを馬鹿になどいたしません。ですので、どうか……どうか、普通の生活を送ってくださいませ」
「…………」
アルルがもう一歩、前にで……。
「で、でも、お姫様!!」
「……はい」
「い、今、僕に言ったっすよね?僕とお姫様は年が一つしか違わないって……僕よりも一っこ下の女の子だって」
「ええ、そうですわ」
「な、なのに、あなたはどうして行くんっすか?」
「わたくしは……」
「あなただって子供だ!ただの女の子だ!そりゃ、僕みたいなただの高校生と違って、国のお姫様なのかもしれない。……けど、けど!!子供じゃないっすか!?大人に守られるべき可愛い女の子じゃないっすか!?なのに……なのに……どうしてあなたは、守るって……国とか国民とか世界とかでっかいモノを守るって……どうしてそんなにも強くいられるんっすか!?」
「わたくしが、姫、だからですわ、ヒイラギさん」
「姫って……それだけ……?」
「それだけで十分、命を賭す理由と成り得るのですわ、ヒイラギさん。この世界においては」
「……そんなの……」
「わたくしだって、出来ることならどこにでもいる普通の女の子に……。恋に遊びに勉強に一生懸命、朝の星座占いを気にしないフリをしつつちゃっかりラッキーカラーの小物を身に付けて学校に登校してみたり、将来への漠然とした不安と憧れを抱いたり、自分の中で育つ自意識や理想と現実とのギャップに悩んでみたり……そんな人生を送ってみたかったとも思います。ええ、それはそれは心から」
「…………」
「ですが、もう、わたくしはわたくしなのです。アルル=シルヴァリナ=ラ・ウールとして生まれ落ちたのです。その命、その立場、その責務、その宿命……いろんなものを全うして生きなければなりません。……そして、わたくしがわたくしであることに、確かな誇りを持っているのです。逃げてはいけません、目をそらしてはいけません、それがわたくしの担うべき『生』なのですから……」
「……お姫様……」
「だから、わたくしは行きます。……わたくしがわたくしである為に……」
今度こそアルルがもう一歩前に出る。
アルルがアルルである為に……。
「さて……流れ的には我なんじゃろうな?」
「ええ、貴女には言いたいことがたんまりありますわよ」
「なんか他の者と違くない?」
「当たり前じゃないですの。貴女がいながらなんですの、この絶体絶命な感じ?」
「あれじゃよ、あれ……四番に行っておったのじゃ」
「どこの百貨店!?」
「にょっほっほ。いいのぉ、いいのぉ、そのリアクション。これじゃよこれ」
「……なんだか純情な女の子のお尻を触って喜ぶ近所のスケベじじぃみたいなこと言ってるんですの」
「最近の娘っ子は恥じらいと言うものを知らんのじゃ。ほれ、そんなパンツを見せて歩いとるような格好をしおってからにぃ。けしからん、ほんにけしからんぞい……ふへへへ」
「喜んでるんじゃないですの……」
「……まぁ、なんじゃな。……とりあえず、めんご☆」
「……イラっとしますわね」
「てへペロ☆」
「イライライラっとしますわねぇ!!」
「なんじゃ、人が珍しく殊勝な態度をしてやっとるのに」
「……そう、それですわよ」
「てへペロ♡♡のが、かあぁいいかの?」
「記号とかどうでもいいんですの!!何を殊勝な態度してるのかってことですわよ!!」
「ペロリンちょ☆のがよかったかの?」
「……何を回りくどいことしているんですの、貴女?」
「ふむ」
「貴女なら幾らでも侵入者の気配を感じられたでしょう?たとえ侵入を許したとしてもあっという間に排除できたでしょう?」
「買い被りじゃ」
「それがなんです、これ?神域結界?非戦闘員の隔離?罪悪感に反応する鎖?……何を中途半端なことしてるんですの?」
「おいおい、さすがに結界はグッジョブじゃろうに」
「ええ、そうでしょう。グッジョブでしょう。おかげさまで被害は最小限、余計な混乱も招かず、残酷な場面を目の当たりにした紳士淑女の皆様にいらぬトラウマを植え付けないで済みましたわ、ありがとうございます」
「随分と皮肉っぽいのぉ」
「似合わないのですよ、魔法幼女。ええ、ホント、らしくない」
「……ふむ」
「周囲への気遣いですって?捕縛ですって?どうしたのです、らしくない。いつもの貴女ならば……傲岸不遜で厚顔無恥で傲慢ウーマンな貴女であるならば、周りの一般人などお構いなしで全方位に雑なテレフォン技かまして侵入者もろとも辺りを焦土に変えるくらいのことはしてたでしょうに」
「どこの魔王様じゃ。押しも押されもせぬ悪キャラじゃろ、それ」
「だから悪キャラぶれと言っているのです。魔女は魔女らしく。貴女は貴女らしく。……そうすれば少なくとも、あんな狂人の妄言に皆の耳が汚れることはありませんでしたわ」
「え~だってぇ~我って~実はケッコー気配りができてぇ~男子からいいお嫁さんになるなって言われることとか多いじゃないですかぁ~」
「……らしくいなさいな、魔法幼女……」
「……お主から見てらしくないかの?」
「ええ、大いに。……貴女がトンデモないことをして、そのフォローをわたくしがする。それでいいじゃないですの。貴女が辺りを焼き尽くすのなら、わたくしはその前に全力で皆様をお守りします。たとえわたくしでなくても、これだけの頼もしい面子が揃っているのです。誇るべき仲間たちがいるのです。……貴女はもう少し、わたくしたちを信用してくださっても、いいんじゃありませんか?」
「にょっほっほ。小娘が一丁前に説教をしよる」
「貴女のどうしようもないボケを拾い、お説教をできる者なんて、この世に二人といないでしょ?」
「……じゃな」
「……頼みます。……おそらく貴女の働き如何で軍配は大きく左右されます」
「……死ぬんじゃないぞ、ツッコミ担当」
「ええ、当たり前じゃないですの……」
アルルが一歩前に出る。
一歩、一歩と歩みを進める。
そうしてようやく、俺の元へと辿り着く。
「アルル……」
「イチジ様……」
俺たちは目も合わせない。
向き合いもしない。
肩を並べ、隣り合って立つだけ。
目線はじっと前方に注がれ、意識ももう殆ど遠くに向けている。
「行ってきますわ、イチジ様」
「俺には何かないんだろうか?」
「ええ、ありますわよ。誰よりも何よりも。あなたに話したいこと、あなたと語り合いたことは、まだまだまだまだ、たくさん、たくさんありますわよ。千夜一夜を要しても、万の月日を越えたとしてもまだ足りないほどに……」
「……そっか、それはいっぱいだな」
「なので、先に用事を済ませてしまいましょう。それからゆっくり、同じお布団にくるまって、朝までずっと寝物語を綴りましょう」
「その時はぜひネグリジェでお願いします」
「ふふふ、そう仰るかと思って、途轍もなくセクシーなのご用意していますわ」
「途轍もないかぁ」
「ええ、ドチャクソですわ」
「どちゃく……ってなんだ?」
「むしろドチャシコと言ってもいいですわね」
「わからない言葉の重ね掛けだけれど、なんだろう、なんかもの凄いことだけはわかる」
「では、これも約束ですわ」
「……ああ、約束だ」
「勇気が欲しいと言ってキスを迫るのははしたないでしょうか?」
「いや、可愛いと思うよ。……二番煎じだけれど」
「はぁぁぁ!?い、一番茶をかっさらった淫乱女は一体どこの誰ですの!?ねぇ!?ちょっと、ねぇぇぇ!?」
「前。前ね?前を向こうか、アルル。せっかくのカッコイイ場面なんだから」
「カッコ何てどうでもいいんですの!!今、大事なのはその泥棒猫の正体を暴くことで……」
「これで勘弁してくれ……」
「あ……」
ギュ……
俺はアルルの手をそっと握る。
俺の右手。
アルルの左手。
今更、俺が君に何を言えることもないだろう。
君はもう決めたのだし、その意志の固さと強さは誰にだって動かすことは出来ない。
だから、俺ができるのはこれくらい。
いつだって気丈な君の、そのかすかに震える手を握ってあげることくらい。
「この右手はね、アルル。これまで色んなものを取り零してきたんだ」
「……はい」
「それだけじゃない。色んなものを奪ってきたし、色んなものを傷つけてきたんだ」
「はい」
「もう何も掴めない、もう何も掴みたくないとずっと思ってた……どうせ最後には失くしてしまうんだからってね」
「……けれど、掴んでくれたのですね?」
「ああ、掴んだ。手を伸ばした。……俺は確かに今、君を掴んでいるよ、アルル」
「では、なんとしても帰らなくてはいけませんわね。あなたがまた、取り零したのだと思わぬように」
「ああ、今度こそ……」
「ええ、今度こそ……」
ギュ……
一際、強く握られる右手。
ついぞ覚えのない、しかし、どこか懐かしい小さな左手。
そうだ、俺は今度こそこの手を離してはいけない。
この手に感じる、この温もりを、優しさを、柔らかさを……。
俺は絶対になくしちゃいけないんだ。
そしてアルルが、踏み出していく。
「お待たせして申し訳ございません、デレク・カッサンドラ」
歪んで狂ってはいるけれど……。
「さぁ、少しおしゃべりを致しましょう……」
同じように輝く光と対峙するために。




